応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント


  • 編集済

     unidentifiedという言葉がしっくり来ました。なんか、色々なことに理由を求めてしまいたくなる時がありますが、ロマンでいいのかもしれない……と。

     企画参加ありがとうございます! かなり参考になりました。次の企画がどうなるかは定まっておりませんが、またお越し下さいね! (*ᴗˬᴗ)⁾⁾ペコ


     ただすみません、相談したいことがあるのですが、僕の企画に全く対象外の作品が多いんですよね。小説や、創作論など。葛西様はもう、ピッタリオッケーなんですが、結構星が多い方もいますし、参加者を減らすことで企画の規模が縮小してしまいそうで……どうしたらいいでしょうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    自主企画についてですが、本当に企画内容を読まずに突っ込んでくる方は多いですね。カクヨムコンですらカテゴリーエラーがあるくらいですから、なかなかのひどさです。

    私の知る限り、自主企画参加済みの作品に関しては
    ・問答無用で自主企画主裁量で追い出す
    ・対象外の作者の方に事情を説明して自主企画から外れてもらう
    ・放置
    の3つの手段がございます。

    前にやはり評論ジャンルを集める自主企画に参加したことがありますが、その時も作品は十数作品と、数は多くありませんでした。あまりカクヨムでは馴染まないジャンルなのかもしれないです。

    もう一つの方法として、自主企画の内容をかなり細かく設定する、という手段があります。

    「評論」ならばどのような事柄を取り上げているのか、「エッセイ」ならば何についての考えをのべているのか、具体的に書くと効果があるようです。

    以前に私が企画した自主企画なのですが、どの程度具体的に設定したか、よろしければご参照ください。
    https://kakuyomu.jp/user_events/16816452220051555870

    何か少しでも一盃口様のお役に立つことができれば幸いです。

    そして、こちらこそ本作品を読んで頂きありがとうございました。また一盃口様が企画されるようでしたらぜひ、参加させていただきたいと思います!どうぞよろしくお願いいたします。

  •  "健全な"青年男子、という言葉がよくラノベに書かれていますが、あれもそうとう微妙でしょうね。自分は一応、申し訳程度の障がいを持っているシスジェンダーのいい年したガキなのですが、なんか、悩ましいところがあります。ここは話すと長くなりますので、いったんそれはおいといてですね……。

     やはり年齢制限かかるマンガのモラルのなさは激しいのかな、と思います。BL側の事情には僕の性別もあって疎いのですが、こっちサイドでは無法地帯というか、結局、避妊具なんていうのは、無きに超したことはないっていう態度が露骨なんですよね。本編の半分まで避妊具ありの焦らしで、結局、本番にはナシいくという。
     保健所に出頭することが盛り場のサインになる日は待ち遠しいでしょう……。

     前の方も仰っていましたが、僕も避妊具の重要性はやっぱりそこまで真剣には考えてなかったです。ネットニュースで時々、「r1 8に性教育を丸投げすること」に対して非難の声が上がっていて僕も激しく同感しますが、こうして聞くと、やはり僕もその界隈に教えられた身でした。

     男性の界隈のことについては、『漫画について』で述べさせてもらっています。良かったら(売名行為)。あと、恥ずかしいので最新話は見ないでください(⁄ฅ⁄⁄ฅ⁄⁄)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「評論」とは、読んで頂いた方に、新たな気づきや、物事を見る新たな視点を知ってもらいたくて書かれた文章である、と私は考えております。

    ですので、本作品に一盃口様にコメント頂きましたことを大変うれしく存じます。

    創作活動というのはどうしても人間の欲求にダイレクトに結びつく営みで、大衆に迎合すれば三文エロ小説、これまでに表現されていない心の動きを繊細に表現すれば文学作品になるなど、線引きが難しいところがあります。

    昨今、社会の多様化が取り上げられるようになり、これまで不動と思われてきた数々の物事の線引きが曖昧になってきているのではないかと思うのです。

    その曖昧さに耐えきれず、苛立ちを抑えられない人間によって過剰なヘイト行為が引き起こされるのでは、とも考えております。

    逆に、曖昧になった境界の中に自分なりのラインの存在を見出せる人間なら、今後の世の中を生きやすくなるのではないのかな、とも思っています。

    自分の価値観だけではそのラインに気づくことが難しい時、あるいはそのラインが妥当なものか評価したいと思う時、他人の考え、すなわち「評論」というジャンルの作品が有用なのかな、と思います。

    本作品が、一盃口様に何らかの気づきをもたらしたのでしたら、それは心底、作者冥利でございます。

    ご紹介いただいた『漫画について』、一盃口様のどちらの作品になりますでしょうか?是非読ませていただきたいと思います。適当なコメント欄、もしくは私の近況ノートの本文を気にせずにURLをお知らせ頂ければ幸いです。

    読んで頂き、ありがとうございました!

  • こんにちは。
    自主企画「週刊カクヨム」の企画主であるとざきとおるです。

    今回は自主企画「(週刊カクヨム企画)評論作品募集!」にご参加いただきありがとうございます。
    今回参加していただいたこの作品を次回の週刊カクヨムに掲載させていただくことにしました。

    万が一掲載を辞退する場合は私まで連絡お願いいたします。

    作者からの返信

    はじめまして。

    読んで頂いただけでも有難いことですが、貴作「週刊カクヨム」にも取り上げて頂けるとのこと、大変ありがたく、恐縮の限りです。

    なかなかのキワモノではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。

  • やおい黎明期の二次創作のそれにはコンドームどころか実は結構場所とかそういうのを想像せずに雰囲気で描いていた部分もあると思われます。
    BLを描く側が広がって年齢も上がり現実を眺める機会も、ネット情報社会になって得られる知識が増えたことも多いでしょう……
    まあそれでも今でも「コンドームの袋を歯で開ける」はあちこちにあるでしょうが(笑)。ぢみちに。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    やおい文化の変遷と、女性のジェンダー意識の変化はかなり相関があるのではないかと私は考えています。

    かなり最近まで(今も?)女性でも異性の裸に関心を持つことや、性欲を持った存在であることは公には語られていなかった面があるかと思います。

    性教育と言えば女子だけが集められて生理ナプキンの使い方を教わる、という時代にあって、「やおい」文化は当時のアングラカルチャーとしては充分に先鋭的でかつ成熟したものであったと思うのです。

    「やおい」からBLへ、その変化を語るのは社会学者の方にお任せし、この情報化社会において創作を行う者は、膨大なネット情報を上手に取捨選択することが望まれるのだと、そんなことも考えたりしております。

    ……半年ほど前でしょうか、ネットで「私は腐女子だけどBLが嫌いだ」という発言をされた方がいて、ようワカラン時代になったなあオイ!などと一人、強めの突っ込みを独り言ちました。時代は変わっているようです。

    「コンドームの袋を歯で開ける」は、どうも「素手で瓦を何枚割れるか」とか「車を運転している男性がバックする時に助手席のシートに手を掛ける」的な"男らしさ"の記号なんだと思いますが……落ち着いて、中身を破かないように、丁寧に開けて欲しいものです。

    読んで頂き、ありがとうございました!


  • 編集済

    すいません、今日来て気づいたのですが、葛西様私の作品を紹介して下さっていたんですね。
    ありがとうございますm(__)m
    ひろたけ様にフォローして頂き、ひろたけ様のエッセイを読み、ひろたけ様が実際にゲイの方だと知った時、私は正直、私の作品は所詮は腐女子の妄想であり、ファンタジーであるので、不快になってしまうんじゃないかとかなり心配したのですが、とても丁寧に読んでくださって、率直な意見を言ってくださって凄く感謝しています。

    そして、皆さまの意見交換すごく読み応えがあって圧倒されています。

    私も葛西様と同じタイプで、あまり書いてる登場人物に自己投影はしてないんですが、攻めの男になりたいなあという願望は正直あるかもしれません。
    私がBL自分でまで書くきっかけは、あるアイドルをめちゃくちゃ好きになり、その子がシンメである親友を見上げている顔があまりにも可愛くて、ああ、いいなあ、あんな風に好きな子に上目遣いで見上げられたいなあと思ったんですよね。
    なんか私、男だけじゃなく、女の子が好きな男子を、好きなの隠せてない表情で見上げてる顔も凄い好きで、感覚が少し、いわゆる普通の女の子とは違うのかもなと思うことがあるんですよね。

    あと性的なトラウマとまではいきませんが、小学校低学年の時男子にスカートめくりされて、中でも何人かの男子に囲まれて、自分でめくって見せろよと言われたのが、最も屈辱的な思い出なのですが
    同じくらいの時期に、ある、ちょっと可愛い系の男の子が、同じ男子何人かにふざけてズボン脱がされて、やめろよみたいにしてるの見た時、なんとも言えない興奮を覚えたんですよ。
    自分がされた時は凄く嫌だったし、まじ死ねくらい男が嫌いになるきっかけでもあったのに、そうされている人間を見て興奮を覚えてしまう男の心理もわかってしまうというか

    もちろん、実際には絶対してはいけないですし、当たり前ですがしません。
    でも、人間、特に男性にはそういう欲望があって、それがあるとわかった上で、どう教育していけば性犯罪が減るのか考えるべきかなと思ったり

    て、しまいにはただの身の上話しを語ってしまった上に、この作品の内容と話しが全然変わってしまって申し訳ありません💦
    でも、とっても勉強になったし読み応えがありました!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    いえいえ、こちらこそ勝手に安藤様の作品をご紹介させていただきまして、その後、ひろたけ様とも交流を持たれたようで何よりです(`・ω・´)

    BLもゲイ文芸も、おそらくどっちもここカクヨムではシェアの大きくないジャンルなので、重なる部分があるのならそこを尊重し合って上手くやっていければいいなあ、と思うのです。

    自分と違うところを探して相手をいじめるのって、楽なんですよね。自分本位で物事を判断すればいいから。

    でも自分と同じところを相手に探すのって、まず自分が何なのかを自分自身が分からないといけないし、それが本当に相手と同じものなのかを吟味しなければいけないし。

    相手を認めることって、相手を否定したり拒絶するよりもっと難しくて、でも人間らしい心の動きなのかなと思います。

    そうそう、そして私も安藤様と同じ感覚で(って、安藤様と"同じ"と思わせていただきますね!)けっこう受け攻め両方の感覚で見たりしちゃいますね。

    うちの弘紀の場合、ちょっと首を傾げて修之輔を見上げる場面では、自分の可愛さを自覚してその動作をしている、という但し書きがあるんです。修之輔もそれが分かっていながら、弘紀を可愛いと思っている。

    作者である私はそのプロットを元にその場面を書くのですが、その時私は弘紀と修之輔の両方の感覚を感じているんですよ。……作者の特権、一粒で二度おいしい(゚ω゚)!

    ちょっと私の方も話がずれてきましたが、ええっと、やってはいけないことの中には、やることによって何らかのメリットを"する側"に与える(快楽だったり利益だったり)ことが含まれると思うんです。

    "する側"のメリットと"される側"とのデメリットとのバランスが崩れると、それは社会的に認められない行為になるんだと思ういます。

    綺麗なバラには棘がある、とは少し違うかもしれませんが(´・ω・`)

    そして、「社会的に認められていないこと」と「社会的に認められていること」の境界って、実はすごく曖昧なものだと思います。

    過去に認められていたけれど今は許されない行為、なんてたくさんありますよね。そういったところの知識や認識のアップデートは、日々の生活だけでなく、創作をするときにも必要だと思いますよ、というお話を私はこのエッセイのいちばん最初の「基調講演」でしておりますので、安藤様のコメントはまったく外れているというわけではないですよ!むしろ具体例だったりします(`・ω・´)

    なので、安藤様にはこのお話を読んで頂いて、またさらに議論を深めるようなコメントも頂き、ありがとうございました!です(`・ω・´)

    編集済
  • 企画参加&私へのコメントの返信という形で新たなエピソードをご執筆いただきありがとうございます!

    BLという分野の歴史やその社会的背景など、非常に面白く興味深い内容でした。確かに、ゲイ文学の描き方はそのメッセージが具体的である、という点は大きな違いかと思います。どちらかというと、ゲイ文学は社会的マイノリティとしての同性愛者の種々様々な問題を定義する場であるように思います。

    あとみく様のコメントを見て思ったのですが、BL作品ってある意味「少女漫画」なんだな、と。作中のイケメンキャラに自分を投影し、疑似恋愛をする。そこで主人公が女性であるよりも、男性の方が入り込みやすい。もし、その作品のキャラクターが全てゲイであり、「女性が恋愛対象外」であれば、その疑似恋愛をすることができない。そこに現実的な「ゲイ」の恋愛が入り込んでは逆にだめなんだと。

    安藤唯様とは葛西様にご紹介いただいてから、いくつか作品を拝見いたしました。とても面白い作品でしたし、コメントなどで交流もさせていただいています。LGBTに対する配慮を感じ、感銘を受けております。

    私としましては、実際のゲイの作家さんの書かれたBL作品がとてもしっくり来ています。美しいファンタジーな恋愛模様もありつつ、現実的なゲイとしての苦悩やあり方も丁寧に描かれている。カクヨムでもいくつかそんな作品に出会いましたが、悲しいことに、あまり人の目に触れていないんですね。作品の質としても非常に高く、構成や文章も凝っているのになかなか日の目を見ていないのは、とても残念だな、と思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そうですね、BLとゲイ文学は似て非なるモノ、という事実は揺るがないかと思います。けれど互いが互いを拒絶したり、どこか貶めるような在り方にはなって欲しくないな、というのが私の単純な本音なのです。

    どちらにもやはり文芸としての価値や、見習うべき文章表現など、互いにプラスの影響を与え合うことのできる点があると思います。

    そして、個人がどのような作品を嗜好するのか、それこそ人の多様性に関わってくることかとも思います。

    私は、web小説の良い所は、出版社が宣伝して多くの人が同じ作品を読んできたこれまでの多様性の乏しい出版状況とは異なり、一人一人のニーズに合わせた作品作りができるところだと考えています。

    職業小説家のみに許されていた創作を、それを生業としない人にも裾の野を広げ、多様な物語をこの世界に供給する事ができる、そしてその物語を心から欲する少数の人に届けることができる、それこそがweb小説の醍醐味であると私は思っています。

    多くの方に作品が読まれることは、自己の承認欲求を満たすことのできる手段であり、その為には世間に迎合して妥協する必要があります。

    一方で、本当に自分が伝えたいことを100%の純度で作品にした場合、それを受け入れてくれる人は少数かと思います。けれどその少数の人は、おそらくその作品を心から必要としている数人でしょう。

    誰のために、何のために創作をするのか。その辺りのバランスを取りながら、創作をしていきたいなと思っております。

    web小説の多様化を目指して、ともに創作に励んでまいりましょう!

    読んで頂いて、ありがとうございました。
    追記:☆評価もありがとうございます!

    編集済

  • 編集済

    ちょいと横からお邪魔します!
    私も、「なぜ腐女子脳というものがあるのか」というのはだいぶ考えました。

    イケメンが好きというところは揺るがないけれど、少女漫画のヒロインと自分を重ねることには違和感があって…感情移入するのは可憐なヒロインじゃなく、男性の方がしっくりくる。
    三次元の自分自身よりも、二次元(創作の中)の男主人公に自分を投影してる時の方が、自分的にはナチュラルな感じなんですよねー。。。
    なので、ここで同性愛と異性愛が何ともいえずまじりあうんですよね。このぼんやりした感じが、多くの腐女子が居心地がいいんでしょうね。すごく女の子っぽい受けの華奢な子に感情移入しやすい人もいるだろうし、いかにも男らしいキャラに自己投影するのが気持ちいい人もいるだろうし。
    (でも、男性が、女性主人公に自分を投影して百合小説を楽しむ…という割合はBLより少ないような気がしますが…この辺は謎ですね…)←主観ですが

    私も常々、BLはファンタジーだと思ってます。
    少女漫画や恋愛ドラマは等身大の自分たちの投影かもしれないけど、BLは、等身大の自分じゃなくて、いわば「アバターの自分」を介した恋愛や友情であり、これと「リアルな同性愛」というのはたぶん全然関係ない(というか層の違う)世界なんじゃないかなと。

    そして確かに「望郷」が懸け橋というのは本当にそう思います!すごくリアルだけど、でも「ファンタジーなBL」も捨ててない。すごい絶妙なバランスですよね。

    ちょっととりとめなくすみません。
    でも気になってたことではあるので、秋さんのご意見読めて楽しかったです!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    ほほう、あとみく様は創作の男主人公にご自分を投影しているのですか。という私のコメントなんですが、実は私は作中の人物にそこまで自分を投影しておらんのですよ(´・ω・`)

    女性としてのジェンダーは「金平糖」に、科学者としてのアイデンティティは「赤銅の竜」に幾分か分配していますが、とりわけ「千鳥」の主人公二人は完全に私とは切り離してキャラクターを造形しています。

    これは「千鳥」の物語の性質上、このような形になっているのですが、他の作者の方はご自身の創作をどのように捉えているのでしょうね。私が異端なのかしら、とも思ってみたり。……その可能性が高いですね(゚ω゚)

    自分の創作の主人公に自己を強く投影する、というのは、そうすると自作の設定を使ったドリーム小説と分類することもできるのかなあ?などと思ってみたりします。

    このお話の2つ目の註に書いたように、まさしく個人によって様々なバリエーションがあるのかもしれません。というか、小説という表現活動自体がそもそも自己の投影を文字化したモノなのかな?という哲学的疑問も今さらですね。……じゃあ「千鳥」って何なんだよ、というのは物語が完成したら明かされるのです(゚ω゚)フフフフフ

    そんな主人公の扱いにすら生じる個々人のバリエーションをどのように捉えるべきか、ということについて、既に私は「基調講演:~」(https://kakuyomu.jp/works/16816700426569237774/episodes/16816700426569251588)で述べてみました。

    ――本の表紙をめくらなければその中身に触れることができないリアルの書籍と違い、web小説を創作している作者は、フリーリンクする社会からの評価に常に晒される存在である

    読者が勝手に自分の作品を見て勝手に評価して勝手に気分を悪くする。それが紙の書籍よりも身近に生じるのが、カクヨムを含むweb小説の逃れられない性質かと思います。

    同性愛を扱っている以上、BL作品はより当事者の方の目に触れることが多く、またセンシティブに捉えられることがあるかと思います。これは作者の意図とは別に生じる事態なんですよね。

    どのようにその事態と向き合うか、それが難しいかなあと。

    以下の文章は、あとみく様への返信ではなく、本文への補足になります。

    嫌なら見るな、という言い方もあるかと思うんです。
    けれど最近、それって、痴漢に遭いたくなければ電車に乗らなければいい、という言葉と同じ事なんじゃないかと思うのです。

    どちらも嫌な思いをした方に自己責任を求めていますよね?確かに、自立して社会で生きていくには責任というのが常に付きまといます。

    でも100%自己責任で、自分の身の上に降り掛かったすべてを自分のせい、と考える生き方は、辛くないですか?

    私が基調講演で述べた理想的なダイバーシティ社会は、個人に自己責任を被せて社会的孤立を促す現代の個人主義に「待った」を掛けるモノです。

    自己責任とは、裏を返せば「ここで自分が全てを背負わなければ社会から爪弾きにされる」ことを恐れる心理かと思うのです。ダイバーシティは「個人を社会から爪弾きにする事、それ自体」をなくそう、という考え方で成り立っています。そのための政策や、地方自治体の取り組みはすでにいくつも動いています。

    「社会から爪弾きにされないために自己責任で書いた線引き」が、その人(あるいはその分野)に「社会からの孤立」をもたらすのは避けたいところなのです。

    ここで、例えば、ひろたけ様はご自身もBLを好んで読んでいるとエッセイ(『BLの世界とゲイ男子のリアル』https://kakuyomu.jp/works/16816700427237442269)の中で述べておられます。その上で、BLがこうだったらいいのに、という意見を書かれているのですが、ここで「嫌だったら読まなければいいじゃない」と、ひろたけ様を拒絶するのは違うのかな、と思うのです。

    そこで少しだけでも、もし自分だったらこんな意見に対してどのような変更を自分の作品に施すことができるのか?そう考えることが意味を持つのではないでしょうか。別に実際に反映させる必要はないのです。

    痴漢に遭った、と被害を訴える人に、よしじゃあこれからその鉄道会社の監視カメラ映像を全て提出させて痴漢を割り出し警察に突き出そう!と、なかなかそこまでは対応できないかと思います。

    でも、「うわあ、酷い目に遭ったね。ほんと嫌だよね」と声を掛けることは、できるかなと。「男を誘う服を着ているから悪いんでしょ」というコメントは……(´・ω・`)

    unidentifiedな世界で遊べるBL創作が、今後の社会の変化にどのように対応していくのか、私はとても興味深いと思っているのです。

    読んで頂いて、ありがとうございました!

    編集済
  • なるほど。コンドームの件は、そこまで深く考えていませんでした。

    Web小説で気軽に投稿できるとはいえ、やはり社会的に気を付けるべき部分は多分にありますね。私も、できるだけ誰かを傷つけない、そんな作品作りをしたいと思います。

    貴重なお話でした。ありがとうございます。

    作者からの返信

    社会の変化に敏感に対応する、できるのが、web小説が紙の書籍に対抗し得る大きな利点かと思います。過去の行動のあれこれが今、炎上する事例は最近も幾つかあったかと思います。

    なんにせよ、社会と向き合うことが自分が生き残る道、というのは普遍的な真理かと思います。向き合い方にバリエーションがもっと増えればいいな、と。

    読んで頂いてありがとうございました!


  • 編集済

    この感覚! 私が常に抱いていたものです。必ずBL作品の主人公は異性愛者で、「俺はホモじゃないけど、お前だから好きになった」というセリフがほぼ必ずありますよね。直接的なセリフはなくても、それを匂わせる表現や展開も数多あります。

    ゲイとしては、「それってどうなの?」と思わずにはいられないですね。BLは好きですが、そのセリフが出た瞬間、いつも少々萎える気持ちがあります。最近ハマったあるBL映画では、ゲイの主要キャラはいるものの、彼が好きになるのは異性愛者で結局、「俺は女の子が好きだけど、君は特別に好きになった」というセリフを吐くんですよね。他にもレズビアンカップルがいたり、ゲイバーの世界が描かれたりしているだけに、この展開が本当に残念で。

    まず、リアルな同性愛者たちの世界で、異性愛者と純愛に陥るなんてことはほぼ皆無です。なくはないですが。でも、そんなほとんどないような事象を取り扱うことで、二人の恋人の「特別感」を演出しようとする所に違和感を感じます。「そこ、別に同性愛者、もしくは両性愛者でもよくね?」と思ってしまうんですよね。

    BLといえば男同士の恋愛を美しく描くもの。その世界観は大好きです。だからこそ、もっとリアルなゲイたちの恋愛を美しく描いてもいいじゃないか。そう思うのですが、そういう作品は残念ながら少ない。(私が知らないだけかも汗)腐女子の需要に合っていないのか、どうしてなのか、よく考えるんですが。

    せっかく男と男の恋模様を描くのだから、もっとリアルな男と男の関係を追求した作品もあって欲しいし、そういう作品がもっと評価される世の中であってほしいです。私はそういう作品を創りたいと思い、カクヨムを始めたので、一際そう思います。

    作者からの返信

     はじめまして。コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。

     ひろたけ様の作品を、駆け足気味ではありますが一読させていただきました。ご自身がエッセイでおっしゃっていたように、リアルな感情の動きや出来事を描写しながら、BL作品のような"美しさ"を失わないように注意深くセンテンスを重ねていった工程が感じられました。素敵な作品だと思います。

     ひろたけ様がおっしゃるように、BL小説とゲイ文学の埋まらない溝というのは確かに存在していると思います。

     その根幹に、なぜBLを好む女性が一定数存在するのか、という未だ答えが明確でない大きな問題が横たわっているかと思います。社会学的な観点から解き明かそうとした試みはいくつもありますが、BLを好む女性が世界中に、また歴史を遡って江戸時代に存在することまで考え合わせると、社会学では解決できない問題かと思います。

     生物学者でもある私は、性対象(何が自分の性的な刺激となるか)を決定する認知のメカニズムに、人間という種に共通した揺らぎがあるのではないかと、とこれは単なる私見に過ぎませんが。

     話が横にそれましたが、BLは、なぜそれが求められるのかという理由の根幹が、作者にも読者にも分からない、unidentifiedな創作物といえるのではないでしょうか。

     一方で、ゲイ文学では、作者がなぜその作品を書くのか、その目的や表現したいことが非常にクリアであると私には思えるのです。

     この違いこそが、BL小説とゲイ文学の埋まらない溝ではないかと私は考えます。

     BL作品を嗜好する界隈では、よく「BLはファンタジーだから」という言葉が聞かれます。
     リアルさの追求よりもunidentifiedな状態を楽しむ、昨今のBLにはその傾向がより顕著であるように私には思えます。その代表的なものがオメガバースの世界観ですね。私はあれをまったく受け付けないのですが。

     unidentifiedであるから、そこにソープオペラ的な、というかハーレクインロマン的な妄想が制限されることなく、自由な創作が行える、その様な利点もBL作品には有るかと思います。

     さて、私自身がBL小説とゲイ文学の埋まらない溝についてどのように考えているのかといいますと、実は ひろたけ様と同様に、BL小説にもっとリアルに足を付けた作品があればいいのに!という考えでおります。
     そして、カクヨムのBL作家の方達にもそのような考え方を持っている方は少なくないという手応えです。ただ、私自身BL作家ですので、この評価には偏りがあることは否めません。創作に当たって二丁目に通ってみたりもしてみたんですけど、所詮"お客様"ですよね。

     もし ひろたけ様が世直しとはいかないまでも、ご自身の思うことを多くの人に、特にBL作家の方に伝えたいと思われるようでしたら、是非、作家の作品へ直接コメントを寄せられてみてはいかがでしょうか。

     カクヨムの良い所は、作者同士が交流して、自分の作家性を切磋琢磨できるところにあるかと思います。読者の方からいただく感想は「面白かったです」「楽しい作品でした」といただけたらそれで御の字です。
     
     自分も作品を創作する作者同士だからこその意見の交換は、互いの認識に少なからず影響を与えるものと思います。

     ここで私から ひろたけ様に作品をご紹介させていただきたいのです。私が交流しているBL作家さんの作品なのですが、
    安藤唯 様の作品で「望郷」https://kakuyomu.jp/works/16816700426288165311 という作品です。

     私としてはこちらの作品が「BL小説とゲイ文学の埋まらない溝」に架ける橋の可能性を含んでいるように思えます。溝は埋まらなくても橋は架けることができるかと思います。

    「BL小説とゲイ文学」が同じモノになるのを目指すのか、異なった創作ジャンルとして分離しつつも互いを認め合って共生を目指すのか、一筋縄ではいかない問題かと思います。ですが、せっかく作者同士がこのように交流できるカクヨムで皆様、作品を書かれているので、そう云った交流も活発になればいいな、と思っております。

    ……といいつつ、私はBLもゲイも外して、ただの「文芸」「小説」だけでいいじゃん、なんて大ざっぱな事を思っています。

     返事が異様に長くなってしまい、申し訳ありません。
     また何かご感想やコメントなどありましたら、私の近況ノートの方にでも(どれでも構いません)書いていただければお答えいたします。

     読んで頂いてありがとうございました!

    編集済
  • ネットニュースを見てると本当に日々ポリコレ的な案件で次々炎上してますね。秋さんの講義(の前の近況)からこっち、すごく意識するようになりました。

    (以下あーでもないこーでもないグダグダを割愛)←マジで何もまとまらんかった。

    前回コメ返もとてもなるほどと思いました。
    そしてこれも千鳥につながっているとは!(・∀・)
    PDF、「~~っているよ」とか文体がやさしくてすこ。とってもいいと思いました。…ああ、でも「うん、でも別にそんなにお盛んな人生じゃないので…」とやや他人事に思いつつ、あっ、そういう人がBL書いて妄想爆発させちゃうとまずいってことか!と自戒いたしました。…あっ、でもこれ変に書いちゃうと「BL作家=喪女=ヤバい女」って偏見を助長しかねない…!?
    …いろいろ渦に飲まれております(笑)

    あっとにかく内容としては本当にためになりました!!!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    一回気づくと、目につくようになるんですよね。おそらく今、ポリコレ浸透の過渡期で、いちばん衝突が起きている時期なんじゃないかな、と思います。

    ポリコレは他人を叩くモノでなく、自分の中の規範だという考えに世間様が辿り着くまでもう少しかかりそうですわ(゚ω゚)

    てなかんじで、大学から研究者が発信する情報というのはかなり尖った状態で出されがちです。その情報を世間様に議論して揉んでもらって、万人に受け入れてもらう様に棘を削っていく必要があるのです。

    他人様に動揺の渦を作らせて、炎上してなんぼの世界です(゚ω゚)

    「千鳥」シリーズにいろいろ詰め込んでいるのは、セルフで自分の意見の棘を削る方法として、小説という手段を試行している、という面もあったりします。……オブラート程度では包み切れないガンガゼ(コメント欄にも画像添付機能の実装を希望)のようなトゲトゲをBLで包んでおります。

    すみませんわ、ほんと、読んで頂いている方にガンガゼを投げたりして(´・ω・`)

    といいつつ、もうちょっとガンガゼのストックがありますので、お時間あったらお付き合いくださいませ。

    読んでいただいてありがとうございました!

  • …っと!基調講演、遅ればせながら!
    一応近況ノートで読んでたのですよっ!紹介記事も早速読んでみました。

    なるほど確かに、おっさんずらぶは現状の社会とちょっとゆるふわなファンタジー的社会とコメディがうまく混ざってましたね。
    BLではやっぱり、「男同士はタブー」という大きな壁自体が見どころの一つでもあって、でもそれを「ホモ『なんか』じゃない!」は今やったらだめですよね。。。
    作品の中の登場人物本人が、そういう無意識の偏見を持っているキャラ、ってのは避けられないと思うんですが、作者本人としては、自覚的でありたい…。

    でも結局、ポリコレにしろ他の社会問題にしろ、根底にあるのって「差別された、すごい我慢させられた」側の人と、無自覚にそれをしてきた人。それをすり合わせようとして「これからは我慢せず皆快適に!」ってなるけど、でもそこで何か摩擦が起きちゃう。前者の被害者意識と、後者の加害者意識が釣り合ってないから。何か通じてないなーって前者がもう一歩踏み込んだ話をすると、後者が「なに、何かヤな感じ!そっちこそ押しつけないでよ!」でどんどん論点がずれていく…みたいな。

    でも本当、ここ最近急激にこういう世界的な流れがあると思うので、世界全体で底上げされていくでしょうね。「黒犬と山猫」にも多分に「ホモ『なんか』」的風潮が漂ってはいるのでビクビクしてもいますが(これは2014年の話ですからという逃げ口上は準備している笑)、それであっても作者が自覚的でありたいというのはすごくそう思いました。

    …というわけで、先生ありがとうございましたー!!

    作者からの返信

    コメントと、そして☆をありがとうございます!

    BLのマンガなんかですと作家さんたちは勉強しているのか、数年前からすごくポリコレに配慮しているのが見て取れるんですよね。作家さん達、二丁目にもガンガン取材に繰り出していますし。

    BLマンガを好む腐男子やゲイの方が増えているのは、マンガ作家さんたちのそういった努力の表れなのかもです。歩み寄ろう、理解しよう、という。

    小説書きは何故か来ないんですよね。なんでだろう、と思っていたのですが、絵に表せないファンタジーの方に小説の方は偏りつつあるのかな?という気もします。

    現実的には、ポリコレにしろマイノリティの権利にしろ、マジョリティ側の「押し付けないでよ!」という感情がいちばん厄介なんですよね、ほんと。

    マイノリティ側に被害者意識もなく、押し付けているつもりもなく、こういう自分達も世の中におりますことですしぃ今後ともお見知りおきください、言うただけでも「なんか自分の知らないイキモノが出てきた!意見を押し付けられた!自分の世界が侵害される!」ってなるんですかね。分かるような分からんような。

    マイノリティとして精神疾患の患者さんもまた、同じような無意識の偏見からどうしても抜け出せなくて、社会全体が精神病院にすべてを押し付けていると言った面もあります。

    性自認にしろ疾患にしろ、こういった「自分の認識外の存在を排除する」という強烈な感情は本能に近いところにあるのか、人類がこの感情を克服するのは難しいことなのかな、と仕事の関係上考えたりすることがあります。

    コロナ差別なんてのも直近でありましたしね。

    そんな私の人生の疑問を「千鳥」シリーズにはおすそ分けしており、幕末明治維新期を舞台にしたのはそこに理由があったりし、かつ、この「夏期セミナー」も、「千鳥」執筆のためのモノだったりします(゚ω゚)

    読んでいただいてありがとうございました!

    編集済
  • 七崎良輔さんはBL漫画読んで知ってました!
    俺はホモなんかじゃない!  お前がお前だから好きなんだ!
    いやこれね、私がBLにハマったきっかけの絶愛がこんな感じだったんで、でも当時は実際にゲイの方が傷つくとかまでは全然考えてなくて。ただただグォーと興奮してたなあと我が身を振り返り反省です。

    私、子どもというか人間て、色々な事を知って、色々な立場の人間がいる事を知らなければ、簡単に偏見にまみれた人間になれると思っていて
    私自身もやっぱり何かしらの偏見や自分の物差しで判断しちゃうことあるし
    でも多分、教育していけば変わってくんだろうなというのは感じていて

    例えば私の時代って、男子がスカートめくりとかカンチョウとか普通に女の子にやってたんですよ。
    うちの娘小学生なんで、ついその頃の感覚でそうゆう嫌なことする男子いない?と聞いたら
    え?スカートめくる男の子なんていないよ?そんな事する人昔いたの?信じられない!と言われて
    多分金メダル噛んだ問題もですけど、あれくらいの世代の人達って、全く男の子は!みたいな感じで色々許されちゃってた男達なんじゃないかなと、勝手に思ったりするんですよね。

    て、話がずれてしまいましたが、その、葛西様の言う、価値観のアップデートというのは、カクヨムで作品を書く上でももちろん
    普通に生きていても、必要なことだなって、常々思ったりします。
    長々とうまく気持ちが纏められずすいません💦
    とにかくとっても考えさせられるお話しでした!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    そういえば尾崎南先生の絶愛はそんな感じでしたね!(゚ω゚) ←リアルタイムではなく単行本で読んだ勢 

    今と昔と、社会の状況はかなり変わっているので、単純に過去に感じた感想を、それダメなやつ!とは責められませんよね。というか、当時はそれが"常識"だったので。そう云った意味で、価値観のアップデートが、時々必要になるのかな、と思います。

    そしてそうそう、スカートめくりも!男の子が好きな女の子のスカートをめくりたがるなんて可愛いモノでしょ、なんていう擁護も、今では通用しませんよね。

    色んな事がそうやって少しずつでも変わっていったらいいな、と思います。

    で、紹介した記事の中で、BL作家さんの中にはポリコレとか意識していないのに、時代の先を行く解釈や解決方法を作品で実現していく人がいる、ということが書いてあったかと思うのです。

    正直、私はこの部分を読んで、安藤様の作品をすぐに思い浮かべました。いや、ポリコレを意識していないという否定的な部分ではなく、意識していてもしていなくても、他人の心の動きや社会での在り方を深く読み込んで、結果としてポリコレの最適解を作品にする、という、それがまさしく安藤様の作品だなあ、と。

    ですので、安藤様にコメントを頂いて、すごく嬉しかったのです。いつも嬉しいですけど、特別に!

    もうちょっとポリコレについて踏み込まなければならないところ、ぜんぶ紹介記事に任せてしまって中途半端なエッセイになってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

    編集済