日曜日 AM11:00 ROZE26歳

 グレーの女性は「ふぅん」と興味深そうに俺を眺めまわし、背中に回り、俺の首筋の、アンプルの箇所を確認した。その間、BOTANはずっと大人しく奥の椅子に座ったままである。密やかな微笑みを浮かべたまま。

「アンプルは?」

 と訊かれても、俺には答えられる声がない。部屋の一角に行き、保管してあるそれを彼女に差し出した。

 入れ違いに彼女は俺に電子メモを差し出しながら、訊いてきた。

「最後に刺したのは、いつ?」

 メモ画面にペンタブを走らせる。

『去年の3月12日。決めてある。アンプルなしでの耐久時間は今のところ、一年だ』

 訊かれてもいないことまで、ずらずらと書いてしまってから後悔したが、もう遅い。消すより先に彼女が覗きこんでしまっている。3月12日は、俺に戸籍をくれた彼の誕生日だ。

 俺は俺が思うより、自分のことを話したかったみたいである。

 ちょっと年上らしきグレースーツの女は、俺の回答を読んだ後、「話してくれる?」と微笑んだ。どうしてセクサロイドが戸籍を持って生活しているのか。女性型セクサロイドを購入していた理由。今回、自分をも回収してくれと依頼した理由。

 終わりにしたかったわけじゃない。ここから始めたかったんだ。ただ生きて暮らしているだけの日々から脱して、何かを構築したかった。相手が欲しかった。互いの傷を舐めあう相手でなく、一緒に何かを作り上げていくための相棒が欲しかった。

 隠れた暮らし方をしている、こんな状況からじゃ何もできないと思ったんだ。

「大した度胸ね。連れ帰られて即刻処分されるだけだとは思わなかったの?」

 呆れた風な顔をする女性に、俺は『思ってるよ』と書いて見せて、微笑んだ。そんなもの、こんな出来そこないは即座に処分されるに決まってる。

 でも。

 完全になかったことにされて終わりだとは思ってない。俺は、どこがどう悪かったのかを調べられることだろう。分解され、一年もアンプルなしで生きた経緯を記録されることだろう。その記録こそが、俺が生きた証となる。ひょっとしたら将来、長期生存型セクサロイドとして、いや、正規の人型アンドロイドとしての地位も確立される可能性だってある。

 俺の死が、子孫を生む。

 俺が生き続ける。

 そうなればいい。

「ロマンチストね」

 グレーのスーツが似合わないほどあでやかな笑みで、研究所員は俺に頷いて見せた。

「確かに、とても珍しいケースだと言えるわ。研究の余地は沢山あります。でも……」

 言い淀んだ彼女に何も書いて見せず、俺は目で次を即した。彼女の瞳は、とても綺麗だ。まつげも長い。結いあげたヘアスタイルとスーツのせいで老けて見えるが、華やかな恰好をしたら相当の美人なんじゃないかと思われる。ひょっとしたら、そこらのセクサロイドに負けやしないほどじゃないか?

 ずっと玄関で立ち話だった俺たちは、いったん中へ入ることにした。促すと、彼女も歩を進めてくれた。窓の側、BOTANの隣りへと座ってもらうと、案の定、研究所員などと思えぬ、BOTANにひけを取らない美貌で日の光に映えている。

 そんな俺の値踏みするかの視線に気付かないかのように、彼女は先ほどの言葉を続ける。

「でも、あなたがこんなケースを自分しかないと思いこんでいることは、ゆゆしき問題だわ」

 と。

 うっかり、俺は呆けた。

 女性の笑みが、急に艶やかさを増したように見えた。彼女が何を言いたいのかは、すぐに理解できた。俺の他にも、こうしたケースはあるということだ。だが問題は言葉の意味よりも、その声音と表情の明るさにあった。

 美しい研究所員。セクサロイドのように。その彼女が見せる、艶やかな笑み。

 彼女は言った。

「私も長期間生存可能型なのよと言ったら、どうする?」

 どうするも何も。

 あまりにサラッと言われても、思考回路が追いつかない。情報が断片すぎて何を信じて良いのやらという気になるではないか。

 しかも……そうだ、しかも彼女は口から声を発している。

「私の顔、見憶えないかしら。あなたが一番最初に購入したタイプ、SHAKUYA。生きて、3年がたつとこういう“とう”が立つわ」

 言われて観察すると、確かに彼女の面影はセクサロイドのものである。プロトタイプで売り出された最初の型、17歳から購入される女性。

 30代ほどで成長を止められた、というところだろうか。アンプル抜かれて死ぬはずだったのに死なず3年がたち今に至ると、こういう風貌になるらしい。

 キャリアウーマンらしき姿をしつつも情欲を誘うかの視線を見せる。少し勝気な情は、いかにもSHAKUYAらしい。

「ロイド社は意外と人使いが荒くてね。どうせ検査しなきゃならないなら、生かしてやるから働いてろって考え方でね」

 砕けた物言いに、なるほどと笑ってしまった。合点が行く。食事の必要ない、年に一度アンプルを刺せばいいだけの労働力だ。そりゃあ使わなければ勿体ない。

 が、彼女の様子を見るだに、その扱いはひどくないようだ。使い捨ての労働ロボットとは違うようである。

「戸籍はご本人に返すことになるけれど、彼の名はもらえばいいわ。戻ったら、あなたは研究開発部に配属されます。検査されるばかりでなく研究にもたずさわることになるわ。こういう“回収”にも出向くことになる。どう?」

 どう、と言われて戸惑いを見せると、彼女は電子ノートを指し示しながら言った。

「新しい人生を歩まされることを、よ。半ば強制よ? 嫌じゃなくて?」

 ああ、なるほど。ということは少なくとも彼女は、この与えられた選択肢に不満を持った時代があったということらしい。俺はペンを取るまでもなく笑顔ひとつで、返答とした。

 理解してくれたらしく彼女も肩をすくめて息をついた。利口ねとか何か言ったように見えたが、そこは追及せずにおいた。俺は多分、賢くない。


 ~エピローグに続く~

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