PM9:00 レン26歳

 アンプルを抜かれてもレンには痛みも何も感じられない。はずだ。だが今までのセクサロイドと同様、レンも少しだけ眉をひそめ、感応的な視線を俺に向けて来た。哀願の目。抜かれた感触は理解できるのだ。殺さないで、という哀願。

 3時間は生きている。だが、もう一度アンプルを指し込まなければ、そのまま死んでしまう。セクサロイドの死は2度、観た。劇的な死に方はせず、眠るように、ひっそりと目を閉じて亡くなる。それでなければ購入者も彼女らを買う気になれないだろうが。

 死にたくないと全身で訴え、あがく、そんな死に目を観てまで買いたい娯楽用品などない。いや、たまにはいるかも知れない。それも自分の手で人間を殺してみたい輩が。大抵は業者が引き取る。今後の研究にもなるからだ。だが自分で葬儀を出したり捨てたりする購入者もいる。この辺りの道徳的問題に言及できるほどは普及していないのが現状なのだ。

 俺はレンのアンプルを、彼女の目に入るよう机に置いた。干からびつつある惣菜の皿に埋もれて、それ自体が食材であるかのようにアンプルがたたずんでいる。それをレンは一度だけ見たが、また何事もなかったように微笑みなおしている。

 俺たちは夕食を片づけた。

 片づけるという作業すら、2人でやれば楽しいイベントとなる。愛し合う2人の会話を、カチャカチャと皿の鳴る音がBGMとして彩る。残念ながら俺たちには会話がないが、とても穏やかな時間だった。

 レンが見せた哀願は最初の一瞬で過ぎ去り、元の微笑みに戻っている。何もせず待つ3時間は辛いが、皿洗いやテレビ鑑賞などしていれば、すぐに過ぎ去る。今日だって、結局は何をして過ぎちゃったのだろうと思うほど短い一日だった。

 湯を沸かして2人で入り、丁寧に彼女を磨きあげる。明日にはなくなっている命だ。一度限りの入浴である。

 生き延びなければ。

 前の2人は駄目だった。3時間たったら死にそうになったので、諦めてアンプルを指し直したものだった。もしやと思って再度抜いたら、そこで、こと切れた。可哀想なことをしてしまったものだ。とはいえ、彼女らを買い、育てている時点ですべての行動がエゴであり可哀想な扱いをしていると自覚すべきだろう。彼女らを「商品」と見なした時点で人権はない。

 需要のために供給すべきセクサロイドが開発されたのか、そうした有機ロボットが生まれたから、こういう使い方をしてみようという流れになったのか。発端は後者だろうが、需要に可能なほど改良したことは前者だ。

 卵が先か、鶏が先か、かな。

 俺は彼女の柔らかな肌を磨きつつ、その様子を楽しんだ。風呂が何なのかも知っているBOTANだが、知識があることと経験することは違う。初めての風呂に彼女の微笑みには、違う感情も含まれているように見えた。

 髪も洗ってやる。実に26年分だ。ずいぶん伸びた。途中、気がついたら切るようにしていたのだが、さすが成長速度が尋常ではない。腰はおろか、太ももに届きそうな勢いだ。艶やかな黒髪がバスタブに広がる様は、昔の資料で見た平安時代の絵巻物みたいだった。レンは平安の絵にある女性までふくよかじゃないし、しもぶくれでもないけれど。

 そんなレンの髪に埋もれるようにして湯に浸かっていたら、11時半を過ぎていた。そろそろだ。

 レンは正常なセクサロイドとして死ぬのか、アンプルを抜いたのに死なない欠陥品なのか。

 それが知りたくて、生き続けるセクサロイドが欲しくて、俺は29時間を待ったのだ。

 だが。

 湯船の中でレンの身体は、けいれんを始めていた。もの言わぬ彼女が使う、唯一の訴えである。もうすぐ寿命が尽きます、という合図だ。それでも笑みを絶やさないレンが痛々しくも、腹立たしくも見える。

 無駄なあがきはしない。俺はバスタブに持っていておいたアンプルを、泡がついていないか確かめて洗ってタオルでぬぐい、レンの――……いや、BOTANの首筋に、ずぐりと差し込んだ。彼女は目を瞬いて恍惚とした表情で天井に溜め息を吹き付けると、俺に向き直って微笑んだ。胸が痛んだ。

 つい噛みつくように彼女の唇を、むさぼっていた。

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