第14話 社会復帰!

 その次の日から、私たちは精力的に取材活動を開始した。

 私たちはいくつかの街をレンタカーで回り、観光地を訪れ、数多くのレストランやバルで食事をし、数え切れないほどのデパートやブティックを巡った。ナオは非常に有能な記者兼コーディネーターで、スケジュール組みや取材の段取り、実際の取材から記事の執筆まで、全てをパワフルにこなした。

 私はスペイン語以外のほとんどのことについて、完全なる門外漢だった。しかし、体中の細胞が入れ替わった(そして実態は依然として全く変わっていない──これで体細胞分裂の完全コピーが証明されたわけだ)私は、彼女の忠実なるしもべとして、意気揚々と彼女の言葉を翻訳し、夜が来ればナオと親切を交わし合った。通訳兼親切のお相手である私は、自分自身、非常に有能であるように思えた。

 そこで私はちょっとばかり色気を出し、ナオに内緒で、自分でもスペインに関する文章を書いてみることにした。以前に私がスペインについて書いたことといえば、ご存じの通り、面積と、人口と、首都の発音が主なトピックである。私は自分がどれほど変化したのかを試してみたかった。今の私なら、ひょっとしたら誰かの興味をかき立てるものが書けるかもしれないと思ったのだ。

 私が何を書き始めたか? 私はその題材をエマから拝借した。私は、エマが行く先々で好奇心にかられた物を書きとめ、それを一連の文章に仕立て上げた。

 さて、第二幕の始まりと行こうではないか!



 私はスペインで空ばかり見上げていた、と言うと、あなたは眉をひそめるかもしれない。「自然が豊かで空がそんなにきれいなのかしら?」とか、「カディスのパラドールから眺める夕日は最高だものね」とおっしゃる方はいるかもしれない。また、多少勘の良い方なら、「ああ、サグラダ・ファミリアのことかね?」とお思いになるかもしれない。しかし、私が言うのはそういうことではない。たしかにあれは、しばらく見上げて首を痛めつけるだけの価値はあるが。

 私が見上げていたものは、バルセロナの夜空に浮かび上がる、まんまるな光である。

 スペインの月──魅惑的な響きだ。

 実際の所、スペインは魅惑的な国である。人々はあくまで人懐っこく、鷹揚で、自分がそこに存在していることを紛れもなく謳歌している。彼らに「あなたは何者なのだ? これからどこへ行こうとしているのだ?」という問いかけは用を為さない。それはカー・ナビゲーション・システムの行き先に「シャングリ・ラ」と打ち込むようなものだ。彼らにとっては、そこに存在しているもの全てが愛すべきものであり、世界を構成する全てなのだ。私たちはそのような場所で、狂気的な熱にどっぷりと身を浸し、そして、次の瞬間、一瞬の静けさにその身を切り裂かれる。私がスペインの月、というのはそういうことだ。熱の中に一つたたずむ、フラメンコの静寂、シレンシアのように、心地よい冷たさをたたえた月。


 ところで、私はスペインに向かう飛行機の中で、一人の老紳士にこう教えられた──人間、なんといっても親切が一番さ、と。

 スペインでは、あなたは無数の親切に出会うことになるだろう。バルで、こちらが頼みもしないのに、おすすめの料理を教えてくれる者もいれば、通りすがりの人間が、どこのレスタウランテが美味いかということに熱弁をふるってくれることもある(主に食に関しては、この地方の人間は特に親切だ)。シェフのおやじが明らかなかつらでも、誰もそれを気にしない(これは、『そんなことよりも飯が美味ければそれで良い』というのが本当の理由だろうが)。

 それらの親切や人懐っこさは、彼らの──スペインに生きる人々の、このような考え方によるのかもしれない。


 世間皆様

 しんどいことは各々あれど

 家族がいれば

 そりゃ一安泰。


 彼らにとっては、そこに存在する者はみな、彼らの拡大家族なのだ。彼らはその家族を大切にし、熱狂的に今の瞬間を楽しむ。それは、彼らにとって不可分なものだ。家族を大事に扱うことは、身を寄せ合って、明るい笑顔で激しい波風を受け入れ、耐えることなのだ。


 だから、あなたは彼らとともに、スペインの一瞬を楽しむがいい。

 時間を気にせず、鷹揚に構え、何も心配せずにハモン・セラーノにかぶりつくがいい。ワインを浴びるほど飲み、バルの仲間と大騒ぎするがいい。ショッピングに出かけて、美しく着飾るがいい。フラメンコに酔いしれ、闘牛士の勇姿に熱狂するがいい。アルハンブラに時代の趨勢を思い、大聖堂の荘厳さにうたれるがいい。

 あなたが自身の熱狂をスペインの人々と共有しようとする限り、あなたは常に自分の家族をその地に持つことになる。あなたは異国にいる興奮を味わいながら、故国にいる安心感を味わうことができる。

 そして、ときには夜空のシレンシアを見上げてみるがいい。曇り空であろうが、大雨が降ろうが、スペインの月はそこにある。その月とともに、あなたの大切な人に親切を捧げるがいい。


 私がバルセロナで見上げていたのは、なんの変哲もないただの街灯だった。しかし、私はそれでもスペインの月を見ていたと断言する。

 スペインを愛するロマンチストには、そのくらいの芸当は朝飯前なのだ。



 第二幕はこれで終わる。

 ナオが手回しをしたおかげで、後日、その原稿は(もちろんいくつかの修正を施した上で)スペイン特集の冒頭を飾ることになったのだが、その記事には私の名前も一緒に添えられた。というわけで、私はなんとか「失業中のロマンチスト」の看板の半分は下ろしたことになる。

 社会復帰!

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