第10話 魅力的な旅の連れ

 しかし、私のその時の関心はナオの様子にあった。その日の彼女は調子っぱずれで、せっかく現実世界に下ろしている片足を自分でちょん切ろうとしているように見えた。加えて、彼女は機内サービスのワインをしこたま飲んでへろへろだった。

 後ろの老夫婦が居眠りを始めたあたりで、私は彼女に話しかけた。

「今日の君は、ずいぶんとハメを外しているように見える」

「たぶんそれは、ハメを外しているからね」と彼女は言って笑った。「そして次にあなたは『たぶんそうじゃないかと思っていたんだ』と言うのかしら」

「僕のユーモアの質がしつこいことを君が知ってても、別に驚かないな」と私は言った。「もう十年以上のつきあいだ」

「そう?」と彼女は言った。「じゃあ何か私の気に入ることを言ってみて。ユーモラスに。もっと私が楽しくなれるように」

 そこで私が一言二言むにゃむにゃと言うと、彼女は声を上げて笑った。

「こんなに楽しいのは久しぶりだわ。ねえ、最初はこんな仕事って思ってたけど、よく考えたら悪くないじゃない? 会社の経費でスペインまで旅行して、美味しいものを食べて、それでお給料も払ってもらえるのよ?」

「それに魅力的な旅の連れもいるし」と私は言ってみた。

「しつこいユーモアその二」と言って、彼女はくつくつと笑った。「そうね、魅力的な旅の連れ。得難い人材だわ」

 私がどぎまぎしながら、光栄に思うよ、と言うと、ナオはにっこり笑って先を続けた。

「あら、本気で言ってるのよ? この歳になると──って言っても、私はあなたより一つ年下だけど──そういう人に出会う確率がどれだけ少ないかということが、身にしみて分かってくるのよ。別に友達がいないというわけじゃないし、私だって三十歳になったんだから、人生経験だってそれなりにある。だけど、今になって、その中の何人が魅力的な旅の連れになれるか、となると疑問だわ」

「好奇心で訊くんだけど」と私は言った。「魅力的な旅の連れの条件はなんなんだろう?」

 ナオはグラスに残っていたワインを飲み干してから、「そうね」と言って、トロンとした目つきでしばらく宙を見上げながら考えていた。

「まずある程度は学がなくちゃね。どこへ行ってもただ馬鹿騒ぎ、じゃつまらないし。だけど、それと同時に、いつでもそこで馬鹿騒ぎができるような可能性も持っていてほしい。私の行きたい場所にいちいち文句を言わないでほしいけれど、私の知らないような場所を案内もしてほしい。いつものことをぱぁっと忘れさせて欲しいけれど、いつもと同じだという安心感も与えて欲しい」

「女性は初夜の男性に、紳士の優しさと野獣の激しさを同時に求めるものだ」

「私が言ったのは、別に男性に限らないのだけど」と彼女は困ったように言った。「まあ、それに近い所はあるかもしれない。でも、そんなに難しいことじゃないのよ。私が求めてるのは、この人と一緒にいれば何か新しいことが起きるという期待感であり、その時にその人が一緒にいてくれるという安心感なのよ。私はどこにも行けない用無しではない、という確信なのよ」

「僕がそれに当てはまるのかどうか、はっきり言って自信がないな」と私は言った。

 彼女はアルコールのせいで半分眠りながら微笑んだ。

「大丈夫。あなたは旅の連れとしてはピカイチよ。私の中では、ということだけど。だからお願い、あなたはそのままでいなさい。やりたいことをして、世間のはみ出し者でいなさい。どちらもサボっちゃ駄目よ。あなたが私の最高の旅の連れでいるには、その両方が必要なの。それは私をとてもロマンチックな気持ちにさせてくれる。自分が世界を向こうに回して戦える気分になれる。ねえ、誰かをそういう気持ちにさせることができるというのは、それだけでちょっとしたことよ」

 ナオはそう言うと、そのまま寝息を立てて眠りに落ちてしまった。まるで今際の際の遺言のようだった。

 私は気恥ずかしく感じながら、彼女に毛布をかけてやった。老夫妻も眠り、ナオも眠っていた。機内のほとんどの人間が眠っていた。

 私がふと視線を通路にやると、エマがばっちり目を見開いてこちらを見ていた。その眼差しは、普段彼女が好奇心を持って水道の蛇口を見つめるときとは違う、恋人だった頃の彼女の眼差しだった。



 さて、私は自分の記憶を少し美化しすぎたかもしれない。しかし、間違いなくナオは大体このような主旨のことを言ったし、エマもあの瞬間は確かに私の恋人だった。私はそのとき、ある種の感動すら覚えたものだ。

 だが、ロマンチストは良い気分になるとロクなことをしない。ご用心!

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