第4話 彼女の名はナオ

 ナオは今年で三十一歳、私の高校の時の一つ後輩である。しかし私たちが出会ったのは、私が大学一年の夏、実家に帰省したときだった。母校の進路指導教師が、私と同じ大学を受験する予定の彼女を私に紹介したのだ。先輩にアドバイスをもらいなさい、云々。

 彼女は、私のアドバイスなどを必要としているようには全く見えなかった。私の方でも、彼女にできるアドバイスなど何一つ持ち合わせていなかった。なにしろ、その当時私が大学に通っていたのは、ガールフレンドに会うためと、音楽サークルのスタジオに顔を出すためだけだったのだ。

 しかし、とんまな進路指導教師の熱意の手前、私たちは何かしらの会話をしなくてはならなくなった。またもや「熱意は的外れ」の教訓が証明されたわけだ。私たちは数十秒ほどぎくしゃくした後、こんな会話を交わした。

「いろいろと大変だけど、なんとかやっていけるものでしょうか?」と彼女。

「何事もないけど、なんとかやっていけるものさ」と私。

 それ以来、このやりとりは二人の間だけでのジョークになっている。十年たってもこの通り!


 結局私とナオは友人になり、彼女は予定通り私と同じ大学に進学した。大学を卒業してから、私は大学院に進み、先に書いた通り大学の非常勤講師としてやっていたわけだが、彼女の方はしっかりと中堅規模の会社に就職した。

 彼女が会社でどんな種類の仕事をしているのかはいまだによく分からないが、大体において彼女の話題は、会社がいかに退屈で馬鹿げたものであるかということと、いまだに探し当てていない、自分を迎えに来てくれるはずの白馬の王子様のことだ。といっても、彼女は私のようなただのロマンチストではない。彼女が「白馬の王子様」という言葉を使うときには、それは「金があり、私をこの馬鹿げた所から解放してくれるのはもちろんだが、同時に私に非現実的な刺激を与えてくれる男性」という意味なのだった。

 思うに、ここに男性と女性の違いがある。女性はいつでも年をとるにつれて成長し、この現実に──彼女が言うところの馬鹿げた所に──しっかりと片足をつけておくことを学ぶ。男どもは、年を取るにつれて子供返りし、この馬鹿げた現実から逃げ出して、シャングリ・ラを探しに行こうとする。金などなんのその。野垂れ死ぬのはいつでも男だ。

 私? 私が探しているのはシャングリ・ラではなく、一人の女性だ。私は男性ではない。ただのロマンチストだ。ロマンチストは年をとる前も年をとった後も、いつでもシャングリ・ラにいる。


 ナオは平穏の中にロマンチシズムを求めている。私はロマンチシズムの中に平穏を求めている。私とナオは、二人とも無いものねだりという点でよく似ている。そして、自分たちが欲しがっている物はおそらく手に入らないだろうということも知っている。私たちのジョークは、いつでもそれを確認し合うためのものなのだ。

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