第2話
「……ウッソでしょ。こんなのうどん屋にできていい行列じゃないでしょ」
富士吉田市内のとある駅で降りた高菜は、驚愕の言葉を漏らしていた。
ここは市内に数ある『吉田のうどん』を提供する店である。道路沿にそこそこの広さの敷地。プレハブをちょっと良くしたような店舗の周りには十五台分ほどの駐車場がある。
その店舗が彼女の記憶にはないレベルで混み合っていた。
駐車場は満杯、それどころか路肩にまで駐車している。ほぼ全て県外ナンバーだ。店の出入り口には行列が出来ており、まだお昼まで三十分はあるのに十人待ちは堅い。
ほとんど通行人のいない、車社会の田舎町にあっては異常とも言える光景である。少なくとも、彼女が学生だった時代はこうじゃなかった。
参ったな。どうしたものかしら。
『吉田のうどん』は塩を多めに使った非常にコシの強いうどんで、以前から町をあげて推している特産品だ。B級グルメの大会に出たり、高校生が店を出したりと色々な努力を続けた結果が結びつき、今では店舗によっては県外客で混雑するようになったのである。
知識として知ってはいたが、ここまでとは思わなかった。
高菜は過去の記憶を辿って昔行ったことのある店を目指したのだが、その店が経営者の世代交代と町の努力の結果を受けて有名になっていることまでは知らなかったのである。
その上、土曜日という最高に混雑する時間帯に来店してしまった。
「ここでねばるか、別の店に行くか」
『吉田のうどん』の店は回転率が高いことが多い。待っていればそれほど時間をかけずに入れるかもしれない。しかし、元々は地元でファストフードの立場にあった食材だ。それにわざわざ並んで食べるというのも複雑な心境である。
ちょっと歩けば昔行ったことのある別の店がある。そちらを目指せば良い。季節は梅雨入り前で歩くのにちょうど良い季候だ。……そちらも行列で無ければいいけれど。
そんなことを考えながら、高菜は持っていたバッグを開き、ある物を取り出す。
黒い小さなバッグから出てきたのは、透き通った青色の六面体だった。
表面には数字ではなく星があしらわれている、よくある六面ダイスだ。使い込まれており、本体の一部がくすんでいる。
高取高菜は重要でない決断は、この六面ダイスを振って決めることにしている。
これは富士吉田市でできた友人達とアナログゲームに興じるうちにできた習慣だった。
いつもやっているから「高菜は受験先までダイスロールで決めた」なんて言われたものだ。
この習慣は社会人になっても変わらない。こういうちょっとした選択肢が現れた時、悩まなくて良いので結構便利なのである。
「偶数だったら並ぶ、奇数だったら別に行く」
小さくそう呟いて、舗装された歩道に向かって軽くダイスを放る。
ダイスは軽い音を立てて少し回転すると、三の面を上にして停止した。
「じゃ、少し歩きましょうか」
ダイスを拾い、バッグから出したウェットティッシュで拭きながら、歩き出す。
十年ぶりに訪れた町を散歩するのも悪くない。そんな思いももあり、足取りは軽い。
運の良いことに今日は富士山がよく見えた。富士吉田は条例で建物に高さ制限があることもあり、視界を遮るものは存在しない。真っ直ぐな上り坂になった道路の先に鎮座する富士山は久しぶりに見ると迫力があった。
車社会にありがちな人通りのない歩道を楽しみながら歩くこと数分。ちょっと記憶が怪しいのでスマホで店舗情報でも調べようかと思った時だった。
いきなり目の前に軽自動車が停車した。
道の右側を歩いていた高菜の左後ろを走っていた車がいきなり右折、流れるように自分の進路を塞ぐ形での停車である。
停車したのは少し前の方で、危険こそなかったが、そこに交差点だとか横道はない。
完全に自分めがけての動きだった。
「……何?」
目の前に止まったオレンジ色の軽自動車に眉を潜めていると、運転席のドアが開いた。
中から出てきたのは眼鏡をかけた大人しそうな顔立ちをした女性だ。服装もゆったりとした淡い色合いでまとめており、穏やかな印象に拍車をかけている。
眼鏡をかけた女性は高菜の前までやってくると、おずおずと申し出た。
「もしかして、高菜ちゃん?」
「そういうあなたは白鳥さん?」
言葉は疑問系だが、車から出てきた瞬間に誰かわかっていた。
彼女の名前は白石由香。
高菜の同級生である。
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