第3話
マハロはそれから三日ほどしてから戻って来た。一体ポーラの元へ向かった後なにがあったのか。気にはなるけれど、それは私がマハロを愛しているからではなく、『ポーラ』と言う女性が、本当に存在しているかどうかが気がかりなのだ。
「――ローラが、ポーラのお見舞いに?」
「ええ、離婚するとは言えあなたの幼馴染だもの。一度くらいお会いしてみようかと思ってね」
さて、どのような反応をするかしら……? と窺うようにマハロを見ると、彼は驚いたように目を丸くして、それから破顔した。それも心底嬉しそうに。
「ローラがポーラに会いたいなんて、初めてだね。早速明日行ってみよう」
どうやら彼の耳には都合の悪い言葉は入って来ないようだ。私は呆れたように彼を見て、それから小さくうなずいた。
マハロは地図を取り出すと、「ここがポーラの家だよ」と道なりを教えてくれた。
「今日はまたこれから出掛けないといけないから、明日馬車で来ると良いよ。御者はポーラの家を知っているからね」
「……わかりました。私以外にも人を連れて行ってもよろしいですか?」
「ああ、きっと喜ぶよ」
……ポーラが喜ぶ? なぜ? そんなことを思いながら、マハロが出掛けていくのを見送る。それからすぐに、明日の支度を始めた。ポーラがどのような人なのか、マハロから聞いたことしか知らない。……そもそも、なぜ妻である私にポーラのことを言うのかが不思議だったのよね……。そりゃあ、ただ単に彼女の自慢をしたいのかもしれないけれど……。
――明日、ポーラのことがわかる。
翌朝、ナタリーともう一人、神殿から来てくれた司祭、エヴァン司祭も同行してくれることになった。とは言え、司祭と言うことを伏せてもらうため、服装は変えてもらったけどね……。
「わざわざご足労いただきありがとうございます、エヴァン司祭」
「いえ、ご相談いただきありがとうございます」
そう、三日前……、マハロとの離婚を決意した日。私はまず教会へと連絡を取った。そして、離婚することを相談したのだ。三年間夫婦生活がなかったことを証明するためにも……。
私は一度も男性との経験がないから、教会でシスターにそれが本当であるかどうかを確かめられることになりそうだ。どんな風に確かめるのかわからないから恐怖を感じるけれど、マハロと離婚できるのなら喜んで受けよう。
ポーラの元に同行してもらうのは、第三者から見てマハロとポーラの関係がどのように見えるかを教えてもらうため。
――準備も出来たし、そろそろ向かいましょうか。
「それでは、行ってきますね」
「お気をつけてくださいね、奥様」
「行ってらっしゃいませ」
ルシアとハーマンが見送ってくれた。
馬車は既に屋敷の前で待機しており、その隣にはエヴァン司祭が連れてきた護衛のフェリシアンと言う男性も馬の傍で待っていた。
「ごきげんよう」
「おはようございます」
あまり喋らない方だけど、挨拶をすればきちんと返してくれる律儀な方のようで……。
「フェリシアン、護衛を頼んだよ」
「かしこまりました、エヴァン司祭」
小さく会釈をすると馬車の扉を開けてくれた。エヴァン司祭、私、ナタリーの順に馬車へ乗り込み、扉が静かに閉められる。
――さて、ポーラはどういう女性なのか……、本当に病弱であるのかを確かめに行きましょう!
馬車に乗って一時間半くらい。どうやら目的地についたようだ。御者にはポーラの家から少し離れたところで止まってもらった。
お見舞い、と言うことで多少贈り物の準備もしてきたし、さて、どうなることやら……。深呼吸を繰り返してから、私たちは馬車を降りた。降りる時、わざわざフェリシアンさんが手を貸してくれた。紳士ね。
果物の入った籠を持って、ポーラの家へと近付いて行くと、なにか騒がしい。どうしたのだろうと慌てて駆け寄ると、女性が暴れていた。――この人が、ポーラ?
暴れるだけの元気はあると言うことなの……? 彼女の手首から血が流れているのを見て、私は「ひっ」と声を漏らした。その声が聞こえたのだろうか、彼女は私たちに気付くと虚ろな瞳を向けて、それからふるふると震え始めた。
「ポーラ、またそんな怪我をして……」
「マハロ……」
いつの間に来ていたのだろうか、マハロがポーラに近付いてその動きを封じるように手を取った。私たちに顔を向けると、にこやかに笑みを浮かべて、
「ほら、ポーラ。わざわざきみの見舞いに来てくれたんだよ」
「……ぁ……」
と優しく声を掛ける。マハロのその声に、ポーラはびくっと肩を震わせて、それからなにかに怯えるように言葉をのみ込んだ。
「体調が悪くなるとあんな風に暴れてしまうんだ」
「そ、そうなの……」
暴れている……? 自分を傷つけながら……?
マハロとポーラに視線を向けると、マハロは笑顔でポーラの手首の様子を見ている。笑顔なのが逆に怖い。それからポーラの耳元でなにかを囁くと、ポーラはぎゅっと目を閉じて、それから私たちに対して、恐る恐ると言うように頭を下げた。
「ポーラ、ベッドに横になる?」
「い、いいえ……。喉が渇いたわ。お茶が飲みたい。マハロの淹れたお茶が良い」
「お茶……茶葉はある?」
ふるふると首を横に振るポーラ。マハロは仕方ないな、とばかり眉を下げて、「茶葉を買って来るよ」とポーラの家から出て行ってしまった。マハロが居なくなったのを見計らったように、私に近付いた。
す、とナタリーが私の前に立つ。ポーラは弱々しく、ナタリーに縋るように手を伸ばして来た。
「……おねがい、助けて……っ」
「え?」
「わたし、わたし……『ポーラ』じゃない……っ!」
大粒の涙を流しながらそう言うポーラに、私たちは顔を見合わせた。……マハロは確かに彼女のことを『ポーラ』と呼んでいた。けれども、彼女はそれを否定している……どういうことなの……?
「村へ帰してっ、お父さんとお母さんに会いたい……会いたいよ……っ」
嗚咽を繰り返しながらそう言う彼女に、私は困惑した。彼女がポーラじゃなかったら、この人は一体……なぜ、ポーラと呼ばれているのか……。
「もういや、こんな生活……っ、ここから出ることも許されず、『ポーラ』として生きていくなんていや……っ」
……演技をしているようには見えない。私はナタリーの隣に立ち、そっと彼女の肩に触れた。
「あなたは一体……『誰』?」
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