第11話

「王女なんかじゃないわ」


 かぐやはすげなくそう断言する。けれど、「いいや、お前は王女だ」と背後から低い声が響いた。勢いよく振り返ると、そこにいたのは先ほど宇宙船から出てきた、かぐやと同じ金の瞳を持つ男。


「真実から目を背けるな。その月の瞳は、王の証」


 ということは、一人だけ金の瞳を持つこの男がかぐやの言う兄なのだろう。その男をじっと見つめていると、視線に気づいたのかその男が僕を睨んだ。冴え冴えとした金の双眸が、僕を射貫く。かぐやと同じ金の瞳のはずなのに、それが与える印象はかぐやとは似ても似つかなかった。確かに美しいけれど、かぐやのような輝きは、ない。その瞳は、僕に魔法をかけない。


 だから僕は、しっかりと地に踏ん張って、その双眸をにらみ返した。


「なんだ、地球人」


「かぐやを、どうするつもりですか」


「……かぐや?」


 胡乱げな顔をした男は、僕とかぐやの顔を見比べたあと理解しがたいものを見るように顔を歪めた。


「名を捨てたのか」


「ええ。名前だけじゃない、何もかも捨てたわ」


「無駄な足掻きはやめろ」


「無駄じゃない。無駄じゃあ、ないわ」


 かぐやが強く頭を振った。まるで幼子に言い聞かせるようにゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「海が青くないことを知った。ラーメンはとってもおいしかった。初めて乗った列車も車もとても楽しかった。虹を見たいっていう新しい夢もできた。友達も、できた。楽しかったわ。月なんかにいるより、何倍も良い」


 誰も、何も、言わなかった。――いや、言えなかった。暗雲の立ちこめる空の下、きらきらと煌めく瞳で真っ直ぐに前を見据えるかぐやは、何よりも美しかった。


「つまらん」


 その空気を切り裂くように、男はふんっと鼻で笑って一蹴した。


「……つまらないって、何ですか」


 思わず飛び出たその声は、自分の声だと分からないくらい低かった。


「なんだ、地球人」


「海に来たいっていうのは、かぐやの夢だったんですよ。虹が見たいっていうのは、かぐやの夢になったんですよ。夢ってのは鼻で笑って良いものじゃないんですよ! 誰よりも探し求めてる僕だからこそ、その輝きを理解しているつもりです」


 体はひどく寒いのに、内側はひどく暖かかった。まるで何かが燃えているように。


 こんな人のところに、かぐやを帰すわけにはいかない。


「もう一度聞きます。かぐやを、どうするつもりですか」


「決まっているだろう、月に連れ帰るのだ」


「どうして? かぐやは、月から、家族から、逃げてきたって言ってました。僕はそれ以上を何も知らない。けれど、月に帰ることをかぐやが嫌がっているのは知っているつもりです」


〈家族から逃げてきたのよ、私〉


そう言ったかぐやの冷たい瞳を思い出す。かぐやがまたあの瞳をするのなら、目の前の彼らにかぐやを渡すわけにはいかなかった。かぐやの瞳には煌めきがよく似合うのだ。


「・・・・・・かぐやが王女だとか、そういうのはどうでもいいんです。かぐやは、僕の手をとって一緒に逃げてくれた。僕のことを助けてくれた。だから、次は僕がそうする番です」


 そんな僕の精一杯の言葉を、彼はふんっと鼻で笑って一蹴した。


 それが合図であったかのように、僕は布で顔を隠した集団に体を取り押さえられた。力強く握っていたかぐやの手はあっけなくほどかれて、僕は地面に顔を押しつけられる。アスファルトの地面でこすれた頬が痛くて、僕は顔をしかめた。


「真青っ!」


 かぐやが手を伸ばすけれど、その指先はむなしく空を切る。


「かぐや……」


「こいつはかぐやではない。■△☆◎だ」


 男の口から発せられたのは、聞き覚えのある、しかしやはり理解することができない言葉だった。かぐやの、真の名前。僕の知らない、月の言葉。僕とかぐやの間にある大きな隔たりをまじまじと実感させられて、僕は唇を噛んだ。


 それでも、このまま地に伏せて諦めるわけにはいかなかった。


 空から、月が下りてくる。かぐやを迎えに。かぐやを月へと戻すために。


「かぐやっ、逃げて!」


「でも、真青……」


「僕のことは良いから!」


 早く逃げて、と続くはずだった言葉は、王子に横っ面を蹴り飛ばされたことで遮られた。口の中が切れたのが分かって顔をしかめる。


「真青っ!」


「逃げるなら逃げろ。ただし、その場合はこいつを殺す」


「かぐや、僕のことは気にしないで逃げて!」


 そう言いつのる。けれど、王子の言葉にかぐやが瞳を揺らしたのが分かった。地面に押さえつけられた僕に、かぐやは唇を噛んで、「……分かったわ」と小さくこぼす。


「月に、帰るわ。帰るから、真青のことを離して」

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