第4話
僕らの計画がずいぶんとずさんであったことを、僕は終点で思い知ることになる。
「・・・・・・電車がない」
時刻表を見ながら青ざめる僕に、かぐやは「どうしたの?」と僕の横から時刻表をのぞき込んだ。けれど時刻表の見方が分からなかったらしく、首を傾げる。
「次に電車が来るのが六時間くらいあとなんだ」
「ええっ、どうして」
「電車って一日中走ってるわけじゃなくて、深夜は止まってるんだ。最後のやつはもう出ちゃったみたいで、六時間くらい待たないと次の電車は来ない」
どうしよう。ちらりとかぐやを見る。
「・・・・・・かぐやってさ、お金持ってる?」
「地球のお金? 持ってないわ」
「だよねえ」
かくいう僕も、先ほど電車代を払ったことですっかり財布が軽くなってしまった。元々塾に行くだけの予定だったので大金は持っていないのだ。とてもじゃないけれどどこかに泊まることはできないだろう。かぐやの実年齢は知らないが外見は僕と同じくらいに見えるので、漫画喫茶に泊まることも難しい。
「とりあえず、駅から出よう」
かぐやの手を引いて、駅から出る。さすが都会と言うべきか、深夜に区分される時間だというのに街中は光で溢れていた。かぐやはその光景に目を輝かせていたけれど、田舎育ちの少年である僕にとっては恐怖の場所でしかない。適当に歩きながらどこか休憩できるところはないかときょろきょろ視線をさまよわせていると、突然かぐやが立ち止まった。
「ねえ真青、良い匂いがするわ」
そんなかぐやの言葉に、すん、と匂いを嗅ぐ。確かに、風に乗って空腹感を刺激するようなおいしそうな匂いが漂ってきた。
匂いの元を探すと、その匂いはどうやら道沿いにあるラーメンの屋台から発せられているようだった。それを視認した瞬間ぐう、と腹が鳴る。何を隠そう、僕はラーメンが一番の好物だった。
「……ラーメン、ってなにかしら」
屋台にかかった暖簾の文字を読んだかぐやが首を傾げた。
「月にはラーメンってないの?」
「ないわ」
「そんな!」
ラーメンを食べたことがないなんて。カルチャーショックならぬ異星間ショックを受けた僕は、かぐやの手を引っ張って屋台へと向かう。この何も知らない宇宙人に、ラーメンの味を教えなくては。僕は謎の使命感に燃えていた。
屋台のお客さんは男性一人だけだったので、僕らは暖簾をくぐって屋台の端へと座った。大将が「らっしゃっせ」と迎えてくれる。初めてのラーメンに好奇心が刺激されているのか、かぐやは席に座るなりそわそわと周りを見回していた。
「真青のおすすめはなに?」
「うーん……やっぱり豚骨かな」
柱にかけられたメニュー表を見ながらそう答えると、かぐやが「ならそれにするわ」と言った。
「豚骨ラーメン二つ」
そう注文すると、大将は一つ頷いた。寡黙な大将が作るラーメンはおいしいと相場が決まっている。これは期待できるぞ、と晩ご飯を食べ損ねた僕の腹はもう一度大きく鳴った。
「地球の食べ物っておいしそうね!」
「月ではどんなものを食べるの?」
「月では基本的にものを食べたりはしないわ。地球人とは基本的な身体の構成が違うから、食べなくたって生きていられるの。月では植物も動物もなかなか育たないしね。何かお祝い事があったときだけ、みんなで食事をするのよ」
「へえ。じゃあ今回のラーメンもごちそうだね」
「そうね。私が地球に来たお祝いかしら!」
「あはは、そうかも」
かぐやが宇宙人であることを、僕はもうすっかり信じていた。この非日常に興奮さえ覚えていたのだ。深夜、知らない街、宇宙人と二人きり。かぐやは月から逃げてきたというけれど、僕だってあの街から逃げてきてしまった。二人っきりの、逃避行。ふふ。
お客さんが僕らの他に一人しかいないからか、ラーメンはすぐに運ばれてきた。湯気をたてるそれはとてもおいしそうで、ごくりと唾を飲み込む。隣のかぐやを見ると、金の瞳をめいっぱいに見開いて「おいしそう……」と漏らしていた。
「かぐや、箸は使える?」
「箸?」
「これだよ。これで麺を挟んで食べるの」
実際にやって見せると、かぐやはそれを見て一つ頷いた。
「月にも同じようなものがあったから、きっと大丈夫だと思うわ」
「なら良かった」
じゃあ、と僕は手を合わせる。
「地球では、こうやって食べる前に挨拶をするんだよ」
「どうして?」
「うーん……例えば今なら、このラーメンを作ってくれた人とか、このラーメンの材料を育ててくれた人、あとこのチャーシューみたいに食材になった命とか、色んなことに感謝を伝えるためにするんだよ」
僕の説明に納得したのか、かぐやは一つ頷いて僕の真似をするようにゆっくりと両手を顔の前で合わせた。
「いただきます」
「いただきます!」
さて、と箸を手に取る。ラーメンを一口口に含んだ瞬間、まるで電撃に打たれたような衝撃が走った。
「うっま……」
「すごくおいしいわ!」
なんだこれ、うますぎる。
それから、僕らは何も言わなかった。人間、本当においしいものを食べるとそれを食べることに夢中になって無言になる。それは宇宙人も同じようで、僕もかぐやも一言も発さずにただひたすらにラーメンをすすった。
スープまで飲み干し、一息ついたところで、ようやく僕は口を開いた。
「これからどうする?」
「決まってるじゃない、海へ行くのよ」
「それはそうだけれど」
始発の電車が来るまでまだたっぷり時間がある。もし警察に見つかって補導されでもしたら間違いなく町に帰されてしまうだろうからあまり迂闊に歩けないし、漫画喫茶などで時間を潰すことも難しい。満腹になったことで余裕を取り戻した頭は、現実的なことばかり考えてしまう。すっかり夢から現実に戻ってきてしまったようで、僕はため息を吐いた。これが夢ならきっとどこまでも行けるのに、現実ってやつはどこまでも世知辛い。
夢。現実。夢。現実。金の瞳は相変わらずきらりきらりと光る。
「お前ら海に行きてえのか?」
突然横から飛んできたその声に、僕はばっと視線を向けた。
そこにいたのは中年のおじさんだった。ぼさぼさの髪に無精ひげ、清潔感とはほど遠い見た目に僕は思わず顔をしかめる。けれどかぐやは特に気にならなかったようで、大きく頷いた。
「ええ!」
「なら俺の車に乗せてやるよ。ちょうど海の近くを通るから、そこまで乗っていけばいい」
「いいの? 嬉しいわ!」
「ちょ、ちょっと待って、かぐや」
この宇宙人は疑うということを知らないのだろうか。おじさんの提案に目を輝かせるかぐやを、僕はあわてて手で制した。
「なあに、真青」
「いや、その」
海まで連れて行ってくれるというのはありがたいけれど、いくらなんでもこのおじさんは怪しすぎる。けれど本人の前でそれを言い出せるわけでもなくもごもごと口ごもる僕に、おじさんは「取って食ったりしねえよ」と豪快に笑った。
「ええっ、私たち食べられちゃうの?」
「食わねえって言ってるだろ」
「ふふ、じゃあ大丈夫ね」
その金の瞳に射貫かれると、僕はなにも言えなくなる。まるで魔法にかかったみたいに。
「わかったよ」
きらりきらりと、光が舞った。
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