第2話

 毎日のように乗っているはずなのに、列車の中はまるで異世界のようだった。がたごとと列車が揺れるたび、古びて錆び付いた窓枠もぎしぎしと音とたてる。これまた古びた電灯はちかちかとついたり消えたりを繰り返していたがやがて消えたまま点かなくなった。


 僕のこの異世界に連れ込んだ張本人は、黙り込んで窓の外を見ていた。月の光に照らされたその横顔は美しくて、金の瞳は月の光を反射してキラキラと輝いていた。


「・・・・・・ねえ」


「なあに?」


 金の瞳がぐるりとこちらに向けられる。


「どうして、海に行きたいの?」


「海が欲しいの。どうやったら手に入るのかしら」


 は、言葉にならない声が息になって漏れた。


「海?」


「そう、海」


「手に入れるってどういうこと?」


「あのねえ、私月に住んでるの。月から毎日地球を見上げてた。月ってものすごく殺風景で、私の周りに色なんてなかったから、地球を覆う青がすごく綺麗で。絶対に私のものにするんだって決めてたの」


 きらり、きらり。光が舞う。金の瞳が僕を射貫く。


 彼女の口から紡がれた言葉に、僕は言葉が出なかった。


「どうしたの?」


 押し黙った僕の顔を、彼女がのぞき込む。


「・・・・・・え、どういうこと?」


「どういうって?」


「月、から、来た?」


 僕の聞き間違いかもしれないと、彼女の言葉を反芻する。けれど彼女はあっさりと「ええ、そうよ」と頷いた。


「月、って・・・・・・あれ?」


 窓の外、変わりゆく景色の中微動だにせずそこにある金の光。僕が恐る恐るそれを指さすと、彼女は「そうってば」ともう一度頷いた。


「君は宇宙人ってこと?」


「ウチュウジン?」


「地球の外から来た人、のこと」


「ああ! ならそうね、私、ウチュウジンよ!」


 金の瞳を細めてそう笑った彼女は、宇宙人だなんて信じられないほど僕と同じ『ニンゲン』の形をしていて、宇宙人だと信じてしまいそうなほど美しい瞳を持っていた。


 その金の瞳に射貫かれると、魔法にかけられたように胸が詰まって何も言えなくなる。僕はそっと窓の外に目を向けた。彼女も僕の真似をするように窓の外を見る。見慣れた景色だった。代わり映えのしない、僕の生まれ育った街。水が張った田んぼには歪んだ月が浮かんでいる。あんなに美しいところから来たという彼女は、この風景を見て何を感じているのだろう。


「ねえ」


 トンネルに入ったところで、彼女が急に口を開いた。真っ暗な窓には二人が映っている。僕と、彼女。地球人と、宇宙人。


「あなた、名前はなんていうの?」


 その問いかけに、僕らはまだ名乗り合っていなかったことに気がついた。よく真面目だと評される僕らしくない失態だ。それもこれも、この宇宙人がとてつもなく強引だから。


「真青だよ」


「まさお」


 確かめるように、味わうようにして僕の名前を反芻した彼女に、僕は頷く。自分の名前は好きだった。


「君の名前は?」


「■△☆◎だよ」


「ごめんなんて?」


「だから、■△☆◎」


 何度聞いても、僕は彼女の名前を聞き取ることはできなかった。彼女は確かに言葉を発しているというのに不思議なものだ。首を傾げる僕に、彼女は「月の言葉はわからないのね。なんて言えばいいのかしら」と困ったように笑った。なるほどそれが月の言葉なのかと妙な納得に襲われる。よく考えれば同じ地球上の人間同士でも言語が違うのだ、宇宙人の言語など分かるはずもなかった。


 きらり、きらり。視界の端で光が舞った。気がつけばトンネルを抜けていたらしい。窓の外に目をやると、そこには相変わらず月が輝いていた。それを見ていると、ふとある名前が思い浮かんだ。


「かぐや、はどうかな」


「かぐや?」


「君の名前。月から来たお姫様の名前だよ」


「お姫様! ふふ、それは私にぴったりね! 気に入ったわ」


 そう言って、彼女――かぐやは笑った。

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