第3話

 かおりはもう一方のヒールを脱いでしまい、ストッキングをはいただけの足で、腰をふりふり歩き去っていく。


 ちょっと前に流行った浜崎あゆみの曲を大声で歌いだし、眠っていた最寄りの家の番犬を驚かせた。


 「やれやれ、まったく。酒が入るとあいつはいつもこうだ。言われたとおり探すしかないか」


 洋介はヒールが消えた狭い露地を見すえた。

 露地は暗くて、先まで見とおせない。


 途中までは、街路灯の明かりがとどき、本棚や机、それに鍋ややかんといった日用品などがころがっていたり、ゴミ袋の口があいてなかみがむき出しになっているのが見える。


それらに正体のわからない生き物たちがむしゃぶりついているだろう。


 (うごめく虫たち……。彼らを想像するだけで、嘔吐しそうになる。ねずみもいるだろう。生きていくのはどこの世界でも大変。臭いのなんのといっていられない)


 「宴会帰りの服装でごみの山のなかで、かおりのヒール探しか……」

 半泣きの洋介がつぶやく。


 洋介は触れるとざらざらするビルの壁に沿ってすすむ。

 革靴は新調したばかり、暗い中で、初めは選んで歩いていたが、途中から、靴が汚れようがどうなろうが、どうでもよくなったらしい。


 ふいに洋介の靴が空き缶を蹴った。

 それがころがってカランと音をたてた。


 生き物たちが一瞬静まりかえった。

 洋介がおいっと声をかけると、生き物たちは互いにからだをぶつけ合いながら走り去っていく。

 通り過ぎる風に、吐き気をもよおす臭いがまじる。

 洋介はヒールをさがす気力を、なかば、失くしてしまった。


 「なあに、かおりには懸命にさがしたって、言えばすむこと」

 ビルの壁によりかかり、床につく寸前まで、尻をおろした。


 なにか、やわらかいものの上に尻がのっかったようで、洋介は確かめるべく、おそるおそる手をのばした。

 それを右手でつまむ。


 人差し指と親指を、鼻の先にもってくると、ぷんとおしっこの臭いがした。

 (なんてついてないんだ、おれは。どうしてこんなことまでして、あいつの機嫌をとらなきゃならないんだ)


 洋介は立ち上がった。露地からでて、もとの通りに向かおうとしたが、かおりの顔が脳裏に浮かぶ。


 ぼりぼり、がりがり。

 ふいに聞きなれない音が闇の中でひびいた。


 洋介は振りかえり、聞き耳を立てた。

 ぼりっ、がりっ。


 確かに聞こえる。

 だが、音がビルとビルの間でこだまし、その音の出どころが定まらない。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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