050

 遠方でどん、という音が小さく聞こえイリアルは目を覚ました。普段であればこの程度の音では起きなかったのだが、今日は違っていた。

――約束の日、魔王軍が攻め入る日。

 決して忘れていたわけではなかったが、彼女には自覚があまりなかった。だから普段と変わらず、いやあえて普段と変わらず女を抱いた。

 女好きのイリアルを知っている食えないタイプの女だったから、ベッドの温度は一人分しかなかった。変に依存してくる生娘ではなく、一夜限りの関係だと割り切っているいい女だった。

 横に設置されたテーブルに、キスマークと「たのしかったわ」とだけ書かれたメモ。

 これくらいあっさりしている方が良い、とイリアルはメモを見て笑う。ローブを羽織って窓に近付けば、外の様子が見て取れる。

そこそこ頑丈に作られていたはずの正門が、ガラガラと崩れ落ちているのが見える。その辺りの空は黒く埋め尽くされており、ゆっくりと進行していることから空を飛ぶタイプのモンスターがそこにいるのだろう。


「ギルドに行くか……」


 くぁ、と欠伸を漏らす。

 このホテルから聞けば小さな悲鳴が街なかで上がっている。正門から近い家々が燃えているのも見えた。こんな中外を歩こうと思うのは、イリアルだけだろう。

 室内に乱雑に投げ捨てられた自分の服を拾い、ゆっくりと着ていく。そこではた、と手を止めた。ジャケットが妙に薄い。

財布分の膨らみがないのだ。


「あー、やられた。前払いのホテルで良かったよ……」


 がしがしと乱雑に頭を掻く。いい女だと思ったが、とんだ小悪魔だったらしい。後で見つけ出して殺さないとな、なんてぼんやりと思った。

最後に靴を履いて、室内をぐるりと見渡す。忘れ物はない。忘れたところで――彼女の支配する都市だ。すぐに届けられるだろう。


 ドアを開けて外に出ると、混乱した宿泊客で廊下はごった返していた。おおかた魔王のせいだ。

対応に追われるスタッフ、怒鳴る客。自分に関係なければ何の感情も湧かないイリアルは、その間をすり抜けてフロントへ出た。

 受付に鍵を渡して言伝を頼む。


「同室だった女に金を盗まれた。また来たら足止めしといてね」

「はっはい! あ、あの、レスベック=モア様! 外は危険かと……」

「んー、だいじょぶだいじょぶ」


 ひらひらと適当に手を振って、せっかくの心配を無視する。本当に大丈夫なのだから。

 城に近く、高級ホテルの建ち並ぶここには、まだ魔物たちは到達していない。外の喧騒に気付かずに悠長に朝食を食べている家庭だってあるだろう。後数分後には地獄と化すと知らずに。

 イリアルは往来を鼻歌を歌いながら歩いている。その様子は大層上機嫌で、まるでこれから行われる大虐殺を待っていたかのような。


「イリアル様!」


 その声に振り向けば、見知らぬ男達が立っていた。様相からして冒険者だ。彼女のギルドの人間だろう。

顔が既に結構な疲弊してみせている。避難や救護に追われていたに違いない。


「やあ」

「どうされたのですか!? いま外に居られるのは大変まずいです」

「ギルドに行こうと」

「ギルドに!? ……仕方ありません。ご同行致します」


 その言葉にイリアルはあからさまに顔を歪める。一人で散歩をしていたい気分だったのだ。余計な荷物が増えた。不機嫌になるのも当然である。

 それに彼女は先程女に騙されたこともある。元々あまり良くない機嫌が更に降下したのだ。そして悲しいかな男達はその様子に気付く気配もない。

 ――ノーンから借りたスキルでなんとかしてしまおうか。

そう思った時だった。


 ふ、と目の前が一瞬闇に落ちた。


 後方では冒険者達の「ぎゃあ」「うわっ」などの声が聞こえたと思えば、その闇は再び取り払われる。

明かりが戻った視界で見たのは、無残な死体となって倒れている冒険者達と、それを冷たく見下ろすノナイアスだった。


「やあ」

「貴様が人間に襲われていると思って来てみれば……ふん。まあいい――母は?」

「ギルドにいるよ」

「そうか。今回こそは良いところを見せねばな」

「程々にね」


 ノナイアスはそのまま瞬間移動をして消え去った。恐らく最後尾に戻ったのだ。王のいる城に直行しないのは、彼なりのルールなのかもしれない。

 イリアルは再び歩き出した。空を覆っていた魔族達はその翼を進めており、ギルドのある辺りまで広がっている。

 正門側の悲鳴もここまで聞こえるほどの勢いだ。実際声は届いていないのだが、炎の広がり具合や城壁の倒壊、その程度を見ればどんな地獄が広がっていることやら。


 イリアルの後方――城の方から、一筋の魔法が飛ぶ。ようやく城の魔術師どもが動き出したのだ。

 魔法は浮遊する魔族に直撃し、数瞬置いて爆発した。肉塊すら残ることなく蒸発したそれらを見て、生き残った魔族達は散り散りになった。と言っても逃げたというわけではない。

 今まで隊列を組んで動いていただけだった魔族達が、それを崩し警戒態勢に入ったのだ。次の一撃を当てるのは苦しいだろう。


(今のは牽制かな。勇者の準備が整うまでの時間稼ぎの線もある)


 イリアルとしてはいち住民として文句を言いたい。勇者の出動が遅すぎるのだ。

 正門からの被害は既に五分の一、もしかしたら四分の一に及ぶかもしれない。それは今も進行していて、もしもイリアルのギルドまで及ぶようならばほぼ半分が破壊されたも同然だ。

 しかも相手の大将はまだ姿を見せていない。これらを全て部下で済ませているのだから、全てが本気で攻めてきたら一瞬でこの都市は終わるだろう。

だがそうしないのは、魔王であるノナイアスが母ノーンを恐れていて、手加減をしているからだ。もしも母が許すのであれば、この程度の土地は魔王本人ではなくその側近レヴォイズ一人投入すれば、一日掛からずとも終わるだろう。


「――俺は出ていく!」

「お待ち下さい!」


 ギルド目前。イリアルは自分の城から飛び出してくる男を見た。そして、陽の光にさらされた瞬間、空から魔法が降り注ぐ。

男の末路など見ずとも分かった。

 こんな事が目の前で起こった今、イリアルは正面玄関から戻ることは難しいだろう。路地に入り裏口から戻ることにした。




「ノナイアスに会ったよ」


 ギルド長室に入りながら、イリアルはそう言った。ノーンの反応は薄く「そうか」と短く返された。


「頑張るってさ」

「そうしてもらわねば困る。今回は失敗しないといいがな」

「そうだねえ。ペトラは?」

「カウンターで現状把握をしてくるよう言った」


 イリアルは高いソファに荒々しく腰掛ける。テーブルに用意されていた茶菓子をつまんで口にほうれば、甘さを控えたそれが気に入ったのか手を止める様子はない。

 ペトラはイリアルにも菓子を食べてもらおうとここ最近新しいものに目をつけたり自分で作ってみたりと試行錯誤していた。

特に嫌いなものはない彼女だが、ノーンのように好んで食べるというわけでもない。そんなイリアルが食べて「美味しい」と言ってくれる物を探すのが、ペトラの趣味でもあった。


 そんなことを知っているからか、ノーンは手を止めないイリアルを微笑ましく見ていた。

 その空気を止めるように入ってきたのは、菓子を設置していたペトラである。


「只今戻りま――あら、イリアル様。お戻りになられたのですね」

「うん。今戻ったばっかり。ねえ、これ美味しいね」

「良かったですわ。また取り寄せます」

「して、ペトラ。どうだった?」


 ペトラはノーンの方を向いて話し出す。

 ルシオ達を貸し出したこと。冒険者が隊を組んで街の調査へ出たこと。少ないながらも街の住人も避難してきていること。などなど。


「そういや逃げようとした人もいたね」

「ご覧になられました?」

「ん。だから裏から入ってきた」


 現状は至って好調。勇者の登場が遅すぎること以外に関してはいいペースだ。


「そういえば先程轟音がしたが」

「城から魔法がぶっ飛んでったよ」

「勇者の攻撃ではないのか?」

「んー、私は魔法に詳しくないから知らないけど、多分違う」


 城からの攻撃のせいで、魔王軍の破壊活動はより一層強さを増している。今では攻撃音がここまで響くほどだ。

 恐らく外を見に行けば家屋が倒壊しているだろう。この場所だけ不自然に残っているかもしれない。もしかすると今もこのギルドを攻撃している可能性だってある。

 最低でもレヴォイズレベルの魔族でないと傷はつかないため、もしそうならば諦めてほしいものだが。


「!」

「どうした?」

「ライマーからの通信ですわ。何か変化があったのかもしれません。会話は出来ませんので確認して参りますね」

「あぁ、頼む。我も少し外を確認してくる。イリアルは?」

「んー、寝てる」

「……はあ、緊張感のないやつめ。わかった」


 ノーンは窓を開けて外に出た。黒いゴスロリドレスがひらりと舞って、そのまま空へと飛んでいく。

 ペトラもそれに続けて部屋を後にした。扉が閉まりペトラの足音が遠のいていく。

 イリアルは宣言通りソファに寝転がり、瞳を閉じた。魔王軍の奇襲に起こされねば、昼過ぎまで寝ているつもりだったのだから眠たくてしょうがないのだ。


 適度な甘さの茶菓子、紅茶、ペトラの香水の匂い。様々な匂いが混じっていた空間だったが、イリアルには心地が良かった。

ウトウトとすればすぐにそのまま意識を手放した。

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