048

「きよったな」


 ノーンが静かに言う。今日はあの日の約束の一週間後当日だった。

ギルドの最奥にあるはずのこの部屋にも、表通りから人々の悲鳴や戸惑いの声が聞こえる。

 ペトラが窓を開けて外を見れば、空には飛べる魔族がビッシリ埋め尽くされており、本日は晴天だったはずなのだが黒くうごめいている。

遠方――都市の入り口付近では煙が上がっている。攻撃はもう既に開始されているのだ。


「おい、ペトラよ。あまり顔を出すな? 危ないだろう??」


 オロオロと心配しているのは、この奇襲のリーダーを務めている魔族の母だ。

そのギャップを面白く思い、ペトラは「うふふ」と小さく笑う。

 窓を閉めようとすると、突然目の前に成人男性が現れる。さすがのペトラも「きゃっ」と驚いて声を上げていたが、その人物を見てすぐに平静を取り戻す。


「おい、ペトラを驚かせるなレヴォイズ」

「申し訳御座いません。急ぎでしたので、お許しください」

「わたくしは構いませんわ。どうかしましたの?」


 やってきたのはレヴォイズだった。

 現在侵攻しているのは低級な魔族達。少し腕の立つ冒険者であれば、やすやすと倒せるだろう。

 王であるノナイアスの圧倒的な力を見せつけるために、あえて雑魚を前に出している。故にノナイアスが都市へ到達するにはまだ時間があるというもの。

 レヴォイズは急ぎと言いつつも、窓から部屋に入り込む。


「ペトラ様、こちらを」


 渡されたのは漆黒の宝石がついたブローチ。外枠は金でかたどられており、上品さが伺える。

 ペトラはレヴォイズからそれを両手で受け取るが、なぜ渡されたかわかっていない。

レヴォイズは「ごほん」と咳払いすると、話を始めた。


「ノナイアス様のお作りになったブローチです。あの方の魔力が少量込められておりますので、それを付けている限り魔物に襲われることはありません」

「まぁ。有難う御座います。まさかノナイアス様がわたくしに何かして頂けるとは思いませんでしたわ」


 ペトラのその言葉には皮肉も混じっていたが、この場にいる誰もが賛同する事実でもあった。

しかしながらペトラという存在は、レヴォイズが仲良くしている人族であり、母(父)が良くしている人間でもある。となれば、ノナイアスも不本意とて好感度なり友好度なり上げていても問題はない。むしろそうしないとノーンからのあたりが強くなるのは目に見えている。


「イリアル様はノーン様とのご契約がありますから、無事でしょうが――どちらへ?」

「……多分女を抱いておる」

「こんな日に!?」

「むぅ。い、いや、多分忘れておるわけではないはずなのだ。多分……」


 後半声が小さくなっていくノーンを見て、レヴォイズは大きく嘆息した。見た目が幼女のままなので、なんだか叱ってるようでいたたまれない。


「まぁ……いいでしょう。私はノナイアス様のもとへ戻ります。では、また後ほど」


 レヴォイズは美しいお辞儀を見せると、そのまま来たときのように瞬間移動をして消え去った。

会話が途切れた部屋には、外の喧騒がよりよく響いた。

 魔王軍の侵攻はすぐそこまで来ているのだろう。フロントが慌ただしいのも見ずとも分かる。


 ノナイアスはどこまでこの街を滅ぼす気なのだろうか、とふとノーンは思った。

ノーンにとって、彼女の愛する紅茶と菓子、そしてイリアルの財産を守れさえすれば問題ない。

 とりあえずその問題となる場所は既にノーンが保護の魔法を掛けている。だから滅多に壊れることはないのだ。


「イリアル様を拾いに行きますか?」

「いや、よい。代わりに受付に行って現状把握をして来てくれ」

「わかりましたわ」


 ペトラが部屋を出ると、ノーンは窓を開けた。ペトラが見た時と同じく、空は飛べる魔族で覆われている。火災は先程よりも進行していて、悲鳴も大きくなっている。

 正門に近い場所は地獄と化していることだろう。


 イリアルと出逢ってそれなりの時間をヒトと過ごしてきたノーンだったが、こうして命を奪われている人々に全く同情出来なかった。(いやそもそも一緒にいる人間が悪かったとも言うが)

 やはりそれでも最低でも関わりのない人間達には、どうも愛着すらわかない。これがせめてペトラのものであったりするのであれば、また変わってくるのだろう。

それこそ怒り狂って息子を殺してしまうかもしれないのだ。


 ノーンの意識はイリアルに向いた。あの女のことであれば、安い娼館のようなホテルでは寝ないだろう。

高いホテルとなるともっと街の中心や城に寄った場所になる。

 ギルドは利便性も兼ねているため、正門から割と近い位置に立地している。中心地からは少し外れるが、遠いというわけでもない。

周囲に建つのは冒険者に向いているホテルや飲食店ばかりで、貴族と同じレベルのイリアルにとっては物足りない。少し足を伸ばせば高級ホテルが建ち並んでいることもあり、イリアルはよくそこに入り浸っては女を抱いた。


「……まぁよいか。やつが死ぬことはないはずだ」


 これといって悪い予感もしない。予知能力がない――というわけではないが、発動するほどでもない。そこは女の勘というやつに頼った。

イリアルは助かるだろうが、一緒にいる女はわからない。生きていようがいまいがどちらにせよノーンには関係のないことだし、死んだところでイリアルに支障が出ることもない。

 彼女が抱くのは一晩限りの関係。リリエッタという特別が居たが、今となってはただの部下に成り下がっていた。


「全く。あの女が本気で惚れ込む者がいるなら見てみたいものだ」


 少し血と灰が混ざる空気に、ノーンはため息を吐いた。

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