042

「はじめまして、ソフィー・ラウテン。そして今日でさようなら、だ。手短に行こう。これから会社へ向かい、社長室で死ね」


 そう言われた彼女・ソフィーはまず「何だこの意味のわからない事を言う男は」と思う前に、その美貌に目を奪われた。横にいる少女なんて気にならないほどに、その立ち姿微笑む顔全てが美しく、見惚れてしまった。

 数秒してハッとする。いやいや、何顔の良い男に気を許しているの、と。そこでその直前に言われた言葉を思い出す。


「な、なんですか。あなた達は。突然来て何を……」

「貴様に理由を教える必要はない。我に従い――」

「ノーン様」


 ペトラがそれでは理解が及びませんわと視線を投げかければ、小さく舌打ちが飛んでくる。この舌打ちはペトラに向けてではなく理解が出来ない愚か者に対して送ったのだ。


「こほん。主に代わりまして、このペトラがご説明致しますわ」


 にこりと微笑む可憐な少女の口から、ソフィーが今まで行ってきたペンの正義という名の暴虐がつむがれる。


――社長・サンニとの不倫。

――横領、隠蔽、黙認。


 ソフィーが墓まで持っていくつもりだった秘密まで何もかも。どうして知っているのなんてありきたりな疑問は、「では次の三つ目は〜」なんてペトラが言い出してから消え去った。

 右から左へ流れていくペトラの言葉。しかしソフィーはそんな中冷静だった。

この娘の顔をじっくりと観察し、思い出した。――ペトラ・ヒルシュフェルト。現在の名はペトラ・レスベック=モア。


「まあよくもあの男の下で働きながらここまでやれましたわね」

「私を抱いてる罪悪感じゃないの。自分が悪いことしてるのに人に言えないってだけでしょ。……甘いんだから」

「なるほど。どうでもよいな。して、立ち話をしてる場合ではないのだ。我の魔法もそろそろ疲れた故な」


 心底つまらなさそうにノーンが言う。彼女(今の見た目は彼だが)、興味のない人間の言っていることはすべて戯言に過ぎない。

 疲れたと言っているものの、時を止める強大な魔術を展開して置きながら魔力は全く減っていない。それ以前に疲れてすらいない。

こんな女に魔力を割いているのがもったいない、とっとと女に死んでもらいたいという、彼女の気持ちの表れだ。


 ソフィーは震えた。どうして死なねばならないのか。

確かにやってきたことは、法や倫理に則って正義を下せば罰が必要だろう。しかし彼女の命で償うほどのことではないと自負していた。


「な、なによ! さっきから……死ぬ死ぬって、そこまでじゃ――」

「そこまでとか関係ないのです。イリアル様の邪魔者は死んで頂く。それだけですわ。他に理由が必要ですの?」

「これから死ぬ女に理由など説いて何になる。時間の無駄だ、ペトラ」


 ノーンがその鋭い眼光で睨みつければ、まるでメドゥーサに出会ってしまった人間のように体が固まる。しかし生命を奪われたわけではない。口も利けるし息もできる。ただ行動の自由を奪われた。それだけであった。

 ソフィーが女性であっても、動かない人間を運ぶのは少々厳しい。しかしノーンは全く問題なさそうに、軽々と肩に担いだ。


 ノーンが止めた時間はまだ動き出していない。野次馬の行き交う往来で女を担いだ男が歩いていたら不審に思う目が多数飛んで来るだろう。

だからノーンはこのまま行くことにした。


「まあ、ノーン様自ら……」

「ん? 羨ましいか? 後で抱き上げてやろう」

「あらいいんですの? うふふ」

「笑ってる場合じゃない! 離せ! 衛兵を呼ぶぞ!」

「呼べるものなら呼んでみろ。世界の時間が止まっておるのだ、不可能だろう」

「い、いやよ、いやぁ! 死にたくない!」


 彼女自身ではジタバタと抵抗しているつもりなのだろうが、実際の体の方は全く微動だにしていない。

だからノーンも何事もなく新聞社へ辿り着いた。

 外から見てもわかるように、一部の部屋の電気がついていた。まだ人がいるということだ。それもペトラには想定内だったが、ソフィーは何を勘違いしたのか部下がいると安心して不敵に笑う。


「明かりがついてる……! 部下に見られたら終わりね、あんたたち!」

「ペトラ、案内しろ」

「目の前の階段を登っていただいて、すぐ左の部屋ですわ」

「部下に見られたらあんたたちも何も出来ないでしょ!!」


 体を動かせずとも必死に叫んでいる。ノーンは耳元でキャンキャン喚く女に少し飽きてきた。どうせなら口も閉じさせるべきだったと強く反省した。

ペトラはそれを分かるか分かるまいか。横目で主人を見ながらくすくすと笑っている。なんだかすべて見透かされているようで、ノーンは嘆息した。


 会社に入るとノーンは時を動かした。ソフィーの体は未だ動かないままだったが、往来は野次馬の声で溢れかえり始める。

 階段を登ると廊下は真っ暗だった。左にある部屋から漏れる明かりでかろうじて見える程度だが、奥の部屋までは視認出来ない。この魔王の母にとって大したことない暗さだが、ただの人間であるペトラとソフィーには暗闇が広がるだけだった。

 ペトラの言うとおり部屋に入ると、机に向かってペンを走らせている青年が一人。

あの時、サンニと会話した新入社員の青年だ。


「ちょっと! あなた! 助けなさい! 暴漢に襲われてるの! ギルドか衛兵に連絡して――」


 声を張り上げて助けを求める。流石にそのうるささでは青年も作業を止めてこちらを見た。そして三人を見てはっとする。

ペンを置いて椅子から立ち上がり、三人のもとへ駆け寄ってきたのだ。

 ソフィーはやったと思った。味方だ、助けを呼んでくれると希望がわいてくる。

 そして青年は微笑むと、こう言った。


「こんばんは、ペトラ様」


 ――ソフィーの顔が面白いくらいに絶望へ染まっていく。


「ええ。御免なさいね、こんな時間まで残らせてしまって」

「いいんです。僕に出来る精一杯の恩返しですから」

「そうそう。お菓子はどうだったかしら?」

「すみません、僕には少し甘すぎて。社長にあげました。

「おッ、お前、新入社員……! う、うら、裏切ったのね!?」

「裏切り……?」


 若い男は首を傾げた。ペトラとソフィーを交互に見て、そして笑った。


「何を言ってるんですか、副社長。僕はイリアル様に助けて貰った身。ここでイリアル様の方につかない方が裏切りというものです。それともご存知ないのですか。この街にはイリアル様に助けてもらった孤児がたくさん働いていることを」

「な、何、を……」


 イリアルの経営する孤児院は今に始まったことではない。それなりの長い年月を経ている孤児院は、働ける年齢になった子供達を無事世に送り出し、世間一般と変わらぬ生活を送っている。

そして孤児院を出た後でも、どん底だった生活から救ってくれたイリアルに対しての敬愛は消えることはなかった。今もこの街のどこかで、いつかイリアルの役に立ちたいと働いている姿があるだろう。

それを実現させたのが、この青年である。


 別にこの時を狙ってこの新聞社に入れていたわけではない。たまたま青年が入社した新聞社で、たまたま暴走した正義が執行され、たまたま。


「入社時に調べられなかったのですか? そういったことをするはずでしょう?」

「なにが……ッ」


 正義に盲目になったサンニと同じように、彼女もまたサンニという恋焦がれた男のせいで盲目になっていたのだろう。

イリアルの孤児院の名前は比較的誰もが知っている名前だった。この女ソフィーも例外ではない。だから履歴書を見たときに「おや?」と思うべきなのだ。

特に悪を嫌う社長がいるこの会社であれば、余計に警戒すべき男だった。だが採用した。


「ではペトラ様。僕は二つ隣の会議室にて待ってますので、終わりましたら呼んで下さい」

「あら、鍵を預けてくださればわたくしが締めますのよ?」

「いえ――僕、帰宅前の社長と会話しているので、そこを使おうかと」

「そうなの。ではお願いね。終わったら呼ぶびますわ」


 青年は事件の前のサンニと会話をしていた。ただの新入社員から、娘を気遣う青年に昇格していたことだろう。

 だからそのへんの若いやつではなく、少しでも記憶に残っているはずだ。だから彼はこう言うのだ。

「副社長が帰り際に来て、鍵を掛けてくれると言っていた」と。

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