041

 家屋から炎が上がり、たまたま近くに居た冒険者がその燃え盛る火を消そうと奮闘している。当然放たれるのは水系の魔法だが、炎は一向に消える様子を見せない。

どころか次第に力を増している。周りの家々に移っていないだけマシとは言えるが、それでも尋常ではないほどの火を放っていた。


「よく燃えますのね」


 少し離れた家の上。そこにいるはずのない三人の影。

当然だがイリアル、ノーン、ペトラの三人である。まるで花見もするかのように、三人はそこで燃える家を見ている。


「あれは水を加えると、薪を得た暖炉のように燃える魔法の炎だ」

「まあ、怖いんですのね」

「……なあ、楽しい?」


 屋根に座り込むイリアルを見れば、親の買い物に付き合わされている子供のように退屈を極めている。彼女にとっての楽しみは、こういった他人を追い詰める行為ではなく、直接手を下し肉を潰し血を飛ばす殺人かいらくだ。

 楽しそうにしている二人の表情を曇らせることができず、ここまでついてきたはいいもののイリアルにとっては何も楽しくはない。

そのへんの町娘を拾ってホテルに連れ込むほうが楽しいのだ、彼女は。


「ふむう。イリアルにはつまらぬか。まぁよい、メインディッシュがご馳走になるよう調理しておる最中だ」

「まだ掛かりますので、終わったらお呼びしましょうか?」

「うーん、それがいいな」


 イリアルは面倒そうな目を家屋に向ける。未だ鎮火に至らず激しさを増す炎。

ノーンは欠伸をしながら「いつ分かるのかな、あやつらは」と呆れている。

 ペトラはイリアルと話しながら、傀儡達に指示を送る。この様子のイリアルでは、帰るという意思は揺るがないだろう。


「ではそのように致しますわ。もう帰られますの?」

「うん」

「ではエレーヌ達をお付けしますわ。お気をつけてお帰り下さいまし」

「ありがとー」


 ノーンがイリアルを地上へ下ろすと、どこからかエレーヌとルシオが現れる。少し離れた場所に馬車を待機させてある為、そこまで徒歩となる。

そしてそこから屋敷までの護衛として、エレーヌ達が同行することになった。

 ペトラは角の見えなくなる場所までイリアルを見つめ、消えたところで再び燃える家に目を戻す。

そのタイミングでノーンが声を上げた。鎮火がようやく終わりそうなのだ。


「高位の魔法使いが出てきてようやく分かるのか。力もなければ知識もない連中だな。まぁよい。してペトラよ。次はどうするのだ?」

「彼が信頼している副社長を殺しますわ。会社で自殺させます」

「ほう、面白い! ほれ、行こうではないか。家も特定しておるのだろう? はようはよう」


 ペトラのドレスを引っ張って、早く行こうと急かす主に笑いをこぼす。やはりこの魔王の母は生粋の悪である。

快楽殺人者のイリアルと違って、様々な方法で人をいたぶることを楽しんでいる。

 今回このペトラの発案に乗ったのも、ノーンが他人の苦しむさまを見たかったからだろう。悪趣味だと言われるだろうが、彼女は魔を統べる王の生みの親なのだ。


 さて副社長――ソフィー・ラウテンの話に戻そう。もちろんこのペトラは、そのソフィーに関しての情報を集めきっている。社長であるサンニの腹心であると同時に、彼と関係を持っていること。

所謂不倫というものだが、正義を語るサンニが率先して行ったのではなく、半ば脅しのようなものだった。


 ソフィーは気付けばその正義執行者に恋焦がれていた。助手、秘書、腹心、一番の部下。様々な地位を通ってきた彼女だったが、唯一欲しかったのは恋人の座。

しかしそれが叶うことはなかった。それも当然。彼には大切な妻と愛する娘がいる。

 せめて体だけでも関係を。それがきっかけで何か変わるかも知れない。

そう思って彼女は薬を、酒を盛った。――それが大成功。スラムで仕入れた怪しい薬は効果抜群で、翌朝の絶望したサンニの顔をよく覚えている。

 そこからは簡単だった。

ソフィーが「バラしますよ」と脅せば、妻達を裏切った罪悪感から再び体を重ねられた。彼女はそれ以外を望まず、金も要求しないため、いつしか麻痺した彼は当たり前のようにソフィーと寝るようになった。


「ふぅむ、我には理解できん話だ」

「あら、構いませんのよ。人間なぞの理解など致しませんでも」

「そうか? 我としてはペトラともっと仲良くなりたい。だからヒトというものを理解したいのだが」

「まあ。嬉しいですわ。ですけれど、それでしたら。わたくしだけを知れば宜しいのではありませんの?」

「それもそうだな。すまんな」


 二人は地上に降りると、ペトラが先行して道案内を始める。今回の計画のためにはまず本人に会う必要がある。そして自らの足で会社へ赴いてもらい、そこで死んでもらうのだ。

勿論場所は社長室。素敵なステージだとペトラもノーンも喜んでいる。


「それで――ごめんなさい。わたくし、脅すような力を持ってませんの」

「よい、よい! それくらい我が――む? ではこの格好では良くないか」


 ノーンが自分の顔を覆うように右手をあてがう。すると顔が肉が体が、じゅるじゅると気味の悪い音を立てて変形していく。身長もぐんぐんと伸びて、ただでさえあまり大きいとは言えないペトラをゆうに越していく。

 幼女のときからは考えられぬ体格、短い髪。そこから分かるのは、男になったということ。

暫くもしないうちに、幼女の姿をしていたノーンは、イリアルに負けず劣らずの美青年へと姿を変えた。顔を覆っていた手を離せばその美しい顔が現れる。

 衣服もイリアルや上層貴族が纏っているような上等なもので、ひと目で彼――ノーンが只者ではないと理解できる。


「そのお姿は初めてですわ」

「ん? そうか。見惚れたか?」

「うふふ、ええ。格好良いですわ」

「嘘っぽいが……まぁよい」


 結構うまく作れたのにな、なんてしょぼくれながら足を進める。

 ソフィーの家も比較的会社に近い位置にある。と、言えば聞こえは良いが、実際は彼女が社長であるサンニの家に近い場所を借りているだけに過ぎない。

ここまで行けば一種のストーカーである。

 家族も居ない一人の女が暮らすには十分の家が見えてきた。

歩みをすすめる最中、遠くで燃える家を見に行こうと野次馬が何度も横を通り抜ける。そしてその民のほとんどが、ペトラの横、ノーン男性態を必ず一瞥していく。女に至っては二度三度も見ている。


「やはりよいのではないか」

「意外に根に持つタイプですの?」

「だってペトラの反応が薄いのだぞぉ……」

「その顔で子供みたいに言わないでくださいまし。わたくしは社交界とイリアル様で目が麻痺してるだけですのよ……」


 結構面倒な主人に対して嘆息しつつ、目的地へ辿り着く。

 これだけ外では騒いでいるのに、外の様子も確認しないのは中々に注意力が欠けているとも言えよう。一度窓から確認して「あぁ火事か」とでもなったのだろうか。

愛している人間の家のある位置なのだから、もう少し注意を払ってもいいところである。


 ペトラがノックをする。返事はなかった。

しかしノーンには中に生きている人がいることは分かっていた。故意に居ぬふりをしているということだ。

 ペトラがもう一度ノックする。勿論返事はない。居留守は断固としてやめないらしい。こちらがいることに気付いている、というのを知らないのだから当然といえば当然である。


「おーい、不倫がバレてあいつの妻子が死んだぞー」

「んま。凄い言いがかりですわ」

「なんだ、よいであろう。一番出てくる餌だぞ」


 中で物音がする。この音はペトラでも拾えた。恐らく動揺から来る何か、だろう。驚いてぶつけたか何かしらで音が発生したのだ。

騒々しい野次馬が行き交う中でも、その小さな音を逃さなかった。

 そして音は次第に近付いてくる。トントン、と歩く音だ。ノブに触れ、扉がようやく開いた。そこにはメガネを掛けた女性が立っていて、いかにも「記者です」という容姿だ。

怪訝そうな顔で二人を見つめ、その顔で「何用ですか」と問う。


 さて、ノーンとしては大事な前菜に死なれては困る。パチリと指を鳴らせば、喧騒が止まり静寂がやって来る。

この場で動いていたのは、ペトラとノーン、そして目の前の女・ソフィーだけだった。


「な、え、は!?」

「はじめまして、ソフィー・ラウテン。そして今日でさようなら、だ。手短に行こう。これから会社へ向かい、社長室で死ね」

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