031

 イリアルは、その名を知らぬものなど居ないほどの大きな貴族である、レスベック=モア家に生まれた。父親は優秀で、レスベック=モア家きっての業績を叩き出していった。

問題点があるとすれば、彼は女を道具だと思い、蔑んでいたことだ。


 イリアルには兄がいた。彼も父親に倣っていたく優秀で、いつこの家を継いでもおかしくはなかった。許嫁も美しく、兄は誰がどう見ても完璧な男だった。

武術剣術にも長けており、父親から教わった華麗な体捌き剣使いを時折色んな人に披露していた。交友関係も富んでいて、若いながら外交官との付き合いがあったり、政治関係者とも仲が良かったりした。


 そんな二人に挟まれて、イリアルは生まれた。


 助産師から「女の子ですよ」という言葉を聞いたとき、イリアルの父は絶望で満たされた。

 女、女の子、女性。レスベック家に生まれていい性別ではない。

父はここでどう返事したかは覚えていないが、看護師の気味の悪いものを見る目はうっすら記憶にある。彼女からどう見えていたかなんて今更どうでもいい。それに相手は女だった。なおさら関係のないことだった。


 妻の反対を押し切って、娘には男性名である「イリアル」と名付けた。父親は次第に狂っていき、イリアルを男と思い込むようになった。

指摘すればヒステリックを起こして暴れ回るものだから、仕方なくみな受け入れていた。

 イリアルは男として育てられた。唯一の良心である母には「正しくないこと」だと教えられたが、その良心も心労で若くして天へ昇った。

 ストッパーが失われた父親の狂気度が増すのは、誰もが予想出来たことだった。


 程なくして兄の結婚が決まった。許嫁のレスベック=モアの名に相応しい貴族のお嬢様だ。

勿論ふたりの間には《恋愛》という言葉もなく、政略結婚であり愛など育まれることも無かった。

そこに目をつけたのは、散々な仕打ちを食らって生きてきたイリアルであった。




「義姉さん」

「! イリアル」


 今日も今日とて仕事に精を出す兄は、しばしばこうして妻である義姉をないがしろにする事が多かった。その度に義姉は庭で1人お茶会を開いていた。

 女嫌いの義父のいる場所では、ほかの貴婦人を呼んでパーティなんて事が出来るはずがない。かと言って他のパーティにお呼ばれする――なんて簡単なことも出来ない。

レスベック=モアの名を連ねている時点で、毛嫌いされるのは社交界ではよく耳にすることだ。元々この家の中では地位が低い《女》であるが故に、結婚前から覚悟はしていたことであった。


「紅茶を取り寄せ出来たから……頂いてるの。一緒にいかが?」

「では是非」


 ギルドマスターである現在とは異なり、父親の機嫌取りの為に見た目を美少年のように整えたイリアルの笑顔は、破壊力抜群である。

 同じ顔である兄は全く笑顔を見せぬというのに、この女はまるでそれを知っているかのように義姉の前で微笑むのだ。


 多くの椅子が並ぶ中、イリアルは敢えて義姉に一番近い場所に座った。紅茶を入れようと立ち上がる義姉がテーブルに手を着くと、それを止めるようにイリアルの手が重なる。

 女性にしては大きな手。日々体術や剣術を習っていた恩恵だろう。細く白い義姉の指とは違って、ゴツゴツとした男性的な指付き。その指が優しく義姉の手を撫でれば、まるで生娘のように赤くなる義姉がいた。


「イリアル、わたくし――」

「父も兄も出払っています」


 義姉の濡れた唇を人差し指で抑えれば、更にその白い肌は赤く染まる。義姉の鼓動がイリアルの耳にも届きそうなほど高まった頃、イリアルは立ち上がり口付けを落とした。

 この頃には既に身長も成人男性顔負けな程高く成長していた彼女は、義姉を見下ろすには十分なほど大きくなっていた。


「こんな美しい女性を放っておくだなんて」


 イリアルはひとつ、味をしめた。今まで窮屈な思いをして来て、散々厳しく酷い境遇に育ってきた彼女。兄のものを奪うという趣味に辿り着いたのだ。

 愛に飢えた義姉がイリアルに落ちるのは、誰もが想像し得る簡単な事だった。女同士で義理とはいえ同じ家族である二人が、一緒に居ることは誰も不審に思わなかった。


 これがイリアルの初めての女性との馴れ初めだった。そして気付いたのだ。自分の甘いマスクは女性に効くものだと。

 それからはまるで滑り落ちるように女漁りをした。ある種の彼女なりのストレス発散方法だった。そんな彼女が女性への扱いに長けていくのは当然の事だった。


 そんなことが数年続いて、兄の事業も安定して来た頃。夫婦の時間も増えたことで今度は世継ぎが欲しい、と糞野郎――父親が嘆き出す。暇も出来た兄はまるで仕事のように義姉を抱いた。





「お前もそろそろ相手を見つけたらどうだ」


 珍しく兄が話しかけて来たと思ったら、イリアルは目を見開いた。今まで父親がイリアルにして来た仕打ちは、イリアルより早く生まれていた兄であれば知っている事だ。

それなのに、《そろそろ》《相手を見つけろ》だと。

 ブツン、と何かが切れたのがわかった。気付けば手元にあった何処かの土産の鉱物で作ったとかいう重めのインテリアで、兄を殴った。

ぐちゃりと音がしてそのまま倒れ込み、兄は動かなくなった。

 床には兄の血液が流れていて、誰もが《死んだ》と分かる状態だったが、イリアルは頭の原型が無くなるまで何度も何度も殴った。

最終的に脈を確認して、鈍器を手放した。


「ふ、あはは、ふふ、あはは」


 そうか。

そうだったのか。

最初からこうすればよかった。いちいち自分と比べて優越感を味わう兄も、ただ女が弱いから嫌いだという理由で卑下する馬鹿親父も、殺してしまえば良いのだ。


 たかぶる気持ちを抑えつつ、イリアルは兄だったモノを持って裏にある山へと向かった。


 ノーンと出会い、彼女は家族を殺した後にギルドを立ち上げた。娼館で出会ったリリエッタの協力を得ながら、最初は弱小と言われていたギルドも今では誰もが知る巨大なギルドへと変化した。

 一度糸が切れてしまったイリアルは、今現在こうして落ち着くまでは、何かしらあるとすぐに手が出ていた。ノーンがあの時飢えて裏山をさまよってなければ、現在の巨大なギルドは存在しないだろう。

――どころか歴史からレスベック=モアの名は消えているところだろう。

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