029

 ルシオ・ヒルベルト。有名な魔法剣士学園を首席で卒業した青年。同じく卒業生で、好成績を残したメンバー達を集め、冒険者パーティを組んだのは誰しも知る事実だ。

後にノーンによって脳死で動く傀儡となるのは、誰も知らない。


 さて話は戻るが、このルシオはあるスキルを持っていた。言ってしまえば、幻惑系の魔法に耐性があるということ。

 ルシオのレベルがそこそこ高いが故に、その成功率も然りだった。

 ルシオのレベルは299。伝説では上限レベルは600と言われている。だがしかし、現在見つかっている最大レベルは、500前後だと言う。

それを踏まえたとしても、ルシオのレベルは中々に高いのだ。


 *


「何だこれ」


 部屋には血の臭いが充満していた。発生源は、部屋のど真ん中で死んでいる冒険者の死体からだった。

 首は綺麗に切られ、頭部は窓際のデスクの上に几帳面に置かれている。心臓の部分には、杭で名刺が突き刺さっていた。


 血液の付着するそれを、イリアルは手に取る。上質な黒い厚紙、名刺サイズのそれはまるで名を残す怪盗のように。

名刺のようなそれには、ただ一つ白いインクで薔薇だけが描かれている。


「……ルシオはずっと監視してたんだよな?」

「勿論ですわ。ただルシオのレベルより高い相手ですと、隠密や幻と言った魔法を見破れませんの……」


 イリアルはそれが真実だと分かっていた。しかしながら腹の底から来る怒りは、それをも凌駕する。

楽しみを取られた。初めてだった。今まで彼女に関わったクソ男やクソ女どもは、自らの手で葬ってきた。それは責任ではなく快楽からの行動で、怒りを沈める方法としてもしばしば用いた。


「………クソ、クソクソクソクソッ!!!」


 イリアルは死体を肉塊と言えるほど醜くなるまで蹴ると、棚を崩しテーブルを壊し、部屋中で暴れ回った。

初めて獲物を奪われた。やり場のない怒りに、おさまることの無い衝動。


 相手が慈善事業だとか通り魔とか愉快犯とか義賊だとかは関係ない。彼女にとって唯一の楽しみを取られたのだ。

早急に見つけ出してこの世から消し去らねば気が済まない。


「……パーティのレベルを底上げしろ、二度とこんな失態はするな」

「申し訳ございません。かしこまりました」

「消えろ、私は散歩して帰る」

「では失礼致します」


 恐らくこのままペトラとイリアルが一緒にいれば、イリアルによってペトラは殺されるだろう。

ペトラもそれを察したのか、消えろ、というイリアルの要望に沿ってそそくさとその場を後にする。


「ライマー」


 集合住宅を出て通信機器を起動する。通信先はライマー・エクスラーである。同じパーティメンバーではあるものの、その知識故に飛び級をして卒業をした伝説の知将。

幼さは残るが、勉学への意欲と知識そして記憶力は誰にも優る。

今も旧ヒルシュフェルト邸にて日々黙々と本を読んでいる。


「調べて欲しい物がありますの。義賊か何かかしら。黒い名刺、白い薔薇。我々の主人がお怒りですわ。急ぎで頼みますわね」


 返事はなかった。相手は傀儡なので、毎回こうだ。通信機器の意味があるかと問われれば怪しくなってくるが、それでもペトラの命令を聞いてみな動いているあたりまだ必要なのだろう。

 機器の向こうで本を閉じる音がして、ペトラはそれを了承と捉える。自分の通信機器を終了すれば、足をギルドへと向けた。




 ギルドに戻るといつも通りに営業を続けていた。女性スタッフの姿が見つからないが、あんな事のあった後だ。帰ったか裏で待機なりしているのだろう。

 改めて見るとカウンターが破壊され、幾つかテーブルも壊されたようだ。端によせられ誰も触るな、と紙まで貼ってある。


「おかえりなさい、ペトラちゃん」

「業者への依頼は?」

「さっき秘書さんが済ませてたよ」

「そうですの……」


 ここで言う秘書とは、女性モードのノーンのことである。秘書と呼ばれるだけあって、きちんと仕事をしているらしい。

 ノーンが「女性スタッフはどちらに?」と聞けば、重い顔をしてスタッフが答える。

 どうやらもう家に帰したらしい。殴られたナナに至っては、日中――数日中の復帰は見込めないだろう、と誰もが言っていた。


 ペトラはギルドの奥にあるギルド長室へと足を運ぶ。イリアルは当然帰ってきていない。そこにいるのは残っていたノーンのみだった。


「帰ったな」

「ええ、只今戻りました」

「一人か? 何があった」


 ペトラはノーンに事の経緯を話した。謎の名刺、冒険者の死、イリアルの怒り。

話を聞けば聞くほど、イリアルの怒りはおさまらないのだと知らされる。

 今日のギルドの仕事は全てノーンがする羽目になるだろう。それに気付いたノーンは嘆息した。


「ペトラ、茶を……」

「ええ。それにお茶だけでなくて、わたくしもお手伝いしますわ」

「助かる」


 結局日が落ちて二人が疲労疲弊してもなお、イリアルはギルドに戻ることは無かった。

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