028

 ギルドに出勤してすぐ。イリアルの機嫌は最高に悪かった。

 ボロボロになった受付、リリエッタに抱き締められて号泣しているナナ。頬は赤く腫れて、口内が切れたせいで口の端からは血がたれている。

 リリエッタも冷静に振舞っているものの、指先はカタカタと震えている。


 ギルドの営業は何とか男性スタッフで回っているものの、受付嬢達はテーブル席に座って身を寄せあい震えていた。


 イリアルは所謂、重役出勤というやつで、ギルドの始まる早朝からは出社しない。日が昇りある程度してからやって来る。

日によっては昼過ぎに来ることもあるし、来ない時もある。

 早く来ない理由としては、頭のおかしな連中は大抵こんな朝っぱらから来ないからだ。


 だが今回のような例外もある。


「何がありましたの?」

「冒険者が暴れてね。ホラ、うちって冒険者ランクの査定があるだろ? 滅多に下がらないけど、仕事をしないと最下位のブロンズまで下がることもあるんだ」

「まさか、ブロンズになったから怒り散らしたなんて言いませんわよね?」

「そのまさかだよ、ペトラちゃん」


 早朝から来ている殊勝な冒険者達により、暴れた間抜けは取り押さえられ衛兵へと受け渡されたらしい。

とはいえその程度でイリアルの怒りが治まるはずがなかった。


 ペトラは内容を聞くと直ぐに通信機器を起動した。ルシオと連絡を取ると、冒険者の家を見張るよう指示を出す。


「ノーンはギルドを頼む」

「うむ。貴様は?」

「ペトラと一緒に行く」

「よく考えて行動するのだぞ」


 ノーンのその警告には耳を貸さなかった。ノーンは代わりにペトラを呼び、話をした。


「よいか、ペトラ」


 イリアルがここ最近まれに見ぬほど怒り狂っていること。恐らく――手をつけられなくなること。


「エレーヌは防音魔法を使えるか」

「ええ……ですが、さほど性能は高くありません」

「隣室に悲鳴が届かねば良い、連れて行け。死体も焼かせろ。悪いが我は満腹で食えぬ、処理を頼んだぞ」

「お任せ下さいまし」


 本来ならばいつも通りノーンが行くべきだろう。ペトラはまだイリアルの殺しに直面していない。

慣れておくという点に関してもそうだが、逆に彼女をギルドに置いていったところで仕事にならないのもある。


 ノーンであれば、女性モードに変身すればクレームを捌くなぞ造作もないこと。

流石に資料や経理云々は触れたくないが、女性スタッフが怯えている時点でクレーム処理には至れないだろう。

例え殴られたところでビクともないノーンがいた方が、ギルドを預けるとしたら安心なのだ。


「遅い」


 ノーンから解放され、ギルド前で待つイリアルの元へ行けばこの一言だ。射殺すような瞳は、心底腹が立っていることを伝える。

 以前のペトラであれば、ここで怯えだして震えて立ててすらいないだろう。だが今の彼女はまるで子供をあやす母親だ。

イリアルがやりたい事を分かっていた。それを待ちきれず、母親を急かす子供のように思えたのだ。

 だからペトラは笑顔で答える。


「申し訳ございません」

「男は?」

「帰宅してから出ていないようですわ」


 ペトラの言葉を聞くと、イリアルはすぐ歩き出した。金持ちなのだから馬車のひとつでも使えばいいのに、と思うのはペトラだけではないだろう。

しかしながらこれから行われる行為を鑑みると、徒歩の方がいいのだ。


「暫く歩く」

「もちろんお供します」


 馬車で行けば怪しまれる。冒険者がみな馬車での到着を不審に思われない場所に住んでいるとは限らない。

大抵の人間は金がないから自分を商品として売るために、冒険者になる。もちろん、自分の力を誇示したい人間や、ただ単純な自己犠牲で誰かの助けになりたいが故になる人もいる。

そんな人間が住むところなんぞたかが知れてるのだ。

 それになんと言っても、徒歩であれば路地裏で人をまくことなど容易いからだ。ノーンと出会ってからはそんな危ないことはなかったが、人を殺せばハイになって冷静さを欠く彼女だ。心配しておいて損は無いだろう。


「あれだ」


 冒険者の家はアパートのような集合住宅だ。スラムも近いことから治安悪く、見た目も良くない。イリアルやペトラのような金持ちが歩けば一溜りもないだろう。

しかしそれをしないのは、スラムの人間ですらイリアル・レスべック=モアという人物をよく理解していたからだ。

 そこを歩けば、モーゼよろしく人が避けていく。ペトラの顔を舐めるように見つめる人々は、きっとこれで彼女の顔を覚えただろう。

これから彼女に手を出そうものならば、レスべック=モアの姓によって抹消されるのだから。


「2階の1番奥の部屋ですわ」

「あぁ。行くぞ」


 二人は軋む階段を上がり、最奥の部屋の前に立った。すきま風があるボロ屋で、防音魔法がなければ声が漏れるだろう。

エレーヌは既に待機していたようで、隠密の魔法を解いて二人の前に跪いた。


 イリアルがそれを確認すると、扉を問答無用で開ける。ノックなどない。

すると中から覚えのある臭いが漂ってきた。


血の臭いだ。

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