021

 リリエッタ・ルベルグ。イリアルの経営するギルド「龍の息吹ドラゴンブレス」に行ったことのある人間ならば、誰もが知っている受付嬢であり、とびきりの美人だ。


 元々は娼館で働く娼婦であった。しかも、超有名で予約待ちが先一年埋まる程の女であった。

 だがイリアルと出会ってから、彼女の人生はまるきり変わったのだ。テクニック、容姿、エスコート。全てが今まで出会ってきた中で最高だった。そして、それ以降出会うことはないだろう。そう思えるほど。


 この機会を逃してはならない。女としての勘がそう訴えた。

リリエッタは娼館を辞めた。ファンが騒動や問題を起こすほど嘆いたが、リリエッタは振り返らなかった。

 気付けば、イリアルのギルドを共に支える母のような存在になっていた。


 娼館を出てから、抱かれるのはイリアルにだけ。

リリエッタは初めて気付いた。自分が誰かを愛し、恋をしているのだと。だが、イリアルはリリエッタの気持ちに気付かない。気付いているかもしれないけれど、触れないでいた。






「………は?」


 ノーンは頓狂な声と顔で、イリアルを見つめた。今までノーンがして来た、人の理をかなぐり捨てたような行為を、あっさりとやめろと言ったのだ。

 ノーンにして見れば、延命魔法だなんて造作もないことだが、相手の了承も得ないほぼほぼ違法なことをしてたのだ。見つかればイリアルも危険だと言うのに、それを承知の上で知られぬようノーンが頭をめぐらせ、そしてリリエッタと接触してやっとの思いで魔法を付与していたというのに。


 それを、この女は。

「じゃあやらないでいーよ」と。


 流石のノーンも逆鱗に触れるというもの。わなわなと手をふるわせて、顔を真っ赤にして叫んだ。


「貴様……っ、我を侮辱しておるのか!? 契約がなければ今ここで屠っておったものを……! もう一度よく考えて発言するのだ! 今、なんと、言った!!」


 窓ガラスがピシリと悲鳴をあげ、本棚から本が崩れ落ちる。ペトラはソファに隠れている。

ノーンが先程まで飲んでいた紅茶のカップも割れて、中に入っていた紅茶は空中をさまよっている。

 魔力の渦が空気中に舞い、イリアルの頬に細い傷を生んでいく。


「言わなかったっけ? リリエッタはギルドの為に利用してるだけだよ」


 頬を裂き、服が切れ、傷を生み出していくのに、イリアルは平然と話を続ける。ギルドごと壊れるなではないか、と言うほどノーンは災害を生んで怒り狂っているというのに、この女ときたら何事もなく喋っている。


「私とリリエッタが初めて娼館で出会った時点で、あの子は死にかけてた。客にうつされた病じゃないけど」

「だっ、だとしても、貴様はあれだけ大切だと……!」

「そりゃ私が居なくても、切り盛りできる優秀な看板娘だから」

「ぐっ……!」


 徐々に室内の荒れ具合が収まっていく。ノーンの怒りが落ち着いたのだろう。

 嵐の後のような室内になるほど荒れていたというのに、誰一人として部屋にやって来ない。怒りつつもどこか冷静なノーンがいつもイリアルが殺しの時にしている防音魔法を掛けていたからである。


「それに大事な人なら他にもいるから」

「? それは誰だ?」

「言わない」

「……」


 むくれつつ、フィンガースナップをすれば、ボロボロだった室内は一瞬で元通りだ。

流石に空中に舞っていた紅茶類は戻さなかったようで、ノーンはペトラに「新しいのを頼めるか」と言っていた。


「しかしイリアルよ」

「んー?」

「小娘――リリエッタは貴様に恋をしておる。たまには抱いてやらねばそれこそギルドを去るぞ」

「んー」


 返るのは生返事だった。ノーンは深いため息を付いた。イリアルがその気じゃないのは分かっているが、それでもリリエッタが報われなさ過ぎるのだ。

身体を重ねるまでとはいかずとも、せめて食事くらいは誘ってやれば、恋する乙女のやる気チャージは簡単だろう。

 だがこの女、それすらも面倒なようだ。いっそのこと、ノーンが化けて行ってやろうか、と思うくらいには行動力が無いのだった。


「時間を取られるのが嫌なのでしたら、次なにか褒める時にキスのひとつでもしてみてはいかかですの?」


 ノーンの前に紅茶を置くペトラ。さすがは若い娘だけある。そういった恋愛小説のような言動の知識が、この年寄り二人に比べると上回っている。


「そんな程度で何とかなるか?」

「いやですわイリアル様。お預けを食らってる女ほど、可愛い褒美に浮かれるものですわよ」

「ふーん」


 適当に返事をする割には、顔に「今度やってみよう」と書いてあるのがバレバレである。

しかしこの回答、今までのノーンとイリアルだけでは思いつかなかった結論だ。これもペトラを仲間に入れた恩恵と言えようか、否か。


 かくして、数日後。

真っ赤な顔で仕事をするリリエッタと、味をしめたイリアルがいたことは、ギルドスタッフならば誰もが知ることだった。

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