018
「こんなにされたの初めて……♡」
ベッドの端に座り、衣服を着込むイリアルに、カフェの娘は寄り添った。
イリアルは特定の女性を持つことはしなかった。彼女自身の家庭環境のせいもあるが、自由に生きたかったからだ。
ゆえに体を重ねれば終わり。軽いと言われてしまえばおしまいだが、イリアルも誰かと深い関係を育むことを恐れていたともいえよう。
最近は冷めているとはいえ、それでもリリエッタは特別視されている女性の一人だった。イリアルが何度もプライベートで会って抱いた女は片手で事足りるのだ。
「ねえ、良かったら私達――」
「悪いね。誰とも付き合う気はないんだ」
「あん、もう。ねぇ、またお店にいるから♡」
「あぁ……気が向いたら会いに行くよ」
イリアルと付き合いたいという気持ちを持った女とは、滅多に再会しない。稀に余りにも好かれて向こうから押しかけてくる場合もあるが、イリアルが軽くあしらってハイ終了だ。
今回の娘も文句なく良かった。容姿もそうだが体の相性も抜群だった。だが恋愛を持ち込むとなると、話は別だ。その時点で前者二つがあったとしても、すべてゼロになるほど、イリアルにとっては苦手要素だった。
ホテルから出ると既に日が落ちていた。休憩とは言っていたものの、結構な時間を取ってしまったのだ。とはいえギルドスタッフは優秀揃いだし、ノーンもペトラもいる。
ノナイアスが復活した故に、ノーンも魔力を温存しておかずに使いまくれるようになったため、なにかに巻き込まれる心配などない。冒険者程度であれば、赤子の手をひねるがごとくあしらえるだろう。
「あれは確か、……で、……が――」
昔覚えた星の名と照らし合わせながら、星空の下歩む。夜がふけていっているからか、往来は少ない。だが家々の明かりは煌々とイリアルと照らしている。
ギルドは深夜まで営業している数少ない場所だ。他の場所とは違って人も集まり、光もより一層強い。
「あら、イリアル様。今お帰りですの?」
「ペトラ」
イリアルは入口前でペトラに出会った。ノーンとは別行動をしているようで、彼女一人しか見受けられない。キョロキョロとあたりを見渡せば、察したペトラが説明した。
不在に起きた例の冒険者のこと。ノーンがその処理にあたっていること。殺人の機会を奪われたイリアルが、少し不機嫌になると思っていたペトラだったが、そうはならなかった。
ノーンの考え通り今さっき女を抱いてきたばかりのイリアルは、殺人を犯さぬともある意味でハイ状態だ。故に発作のようなその
「珍しいな」
「そうなんですの?」
「まぁ……滅多に殺してるところは見ないかな」
息子のことを思う必要がなくなったのだろう。あとは適当にやってくれるから、とタガが外れたのかもしれない。イリアルはそう思った。
「お前は一緒に居なくていいの?」
イリアルはペトラに聞いた。主人の荒れ具合を放置したままでいいのか、と聞きたいのだ。
別にペトラにとって、あの頭の足りない元冒険者にノーンがなにをしようが関係は無かった。常識の範疇を超えるようなことをするとは思えない。
元々自分の休暇を優先して、子の侵略――その為だけに生まれた子供の使命を止めるような母親だ。街を破壊するような周りに迷惑をかける行為はしないだろう。
それが一人の男の命で済むのであれば、ペトラにとっては些細なことだった。
「ノーン様もある程度は加減しますでしょう? 人を殺すだけなら構いませんわ」
「ん〜、そっか。なら飯行くか」
「まあ! お供しますわ」
そんな様子をギルドの周りにいる人間は、疑いの目で見ていた。あのイリアル・レスベック=モアが少女に優しく接しているし、少女も臆していない。
ノーンが現れた時も驚かれていたが、二人目となると「もしかしてイリアルが変わったんじゃ……?」と思う輩も増えるだろう。
しかしながら何も変化していないのである。イリアルに合った人間がそばにいるだけなのだ。
イリアルはペトラを馴染みのレストランに連れていった。当然だが彼女が連れていく場所なのだから、それなりに名のある高級レストランだ。
それでも物怖じしないのは、ペトラがもとより貴族であるからだろう。彼女もイリアルほどでは無いが、このレストランに足を踏み入れたことはあった。
「ちょっとシェフと話してくる」
そう言ってイリアルは席にペトラだけを残し、店に入るなりすぐさま厨房へと消えていった。ペトラとしても一人にされることは苦ではない。
ノーンが勧めてくれた文庫もある。それを取り出して読み始めようとしたときだった。近場のテーブルから強い視線を感じたのだ。
横目で見ればいかにも権力を振りかざしそうな坊っちゃん気質の男が一人。高級レストランだけあって、この男も貴族や金を持った人間なのは間違いがない。
だがそんな男からしてみれば、ペトラのような小娘がいるのが気に入らなかったようだ。
ペトラはこれでも一流貴族の出身であるし、顔を知られずともヒルシュフェルトの名はそこそこ知られているだろう。とはいえ今は彼女はもう、その姓のもとに存在しないのだが。
そうはいってもそれを許さないのがペトラの容姿である。彼女もコンプレックスを抱いている低身長に、幼子を連想させる可愛らしい洋服に髪型。冒険者をやめノーン達に仕えるようになってからは、それが更に加速した。
見た目こそそんなふうに少女じみているが、魔法剣士学園を卒業してしばらく経っている。年齢からして18歳。それでもまだ幼い年齢だが、見た目以上には年がいっているだろう。
「この店はいつから、あんな子供を許可するようになったのだ?」
わざとペトラに聞こえるように喋る男。貴族も落ちぶれたものだ、とペトラは思った。が、自分の両親を思うと常に金を持つ人間は落ちぶれているのだ、と知らされる。
ペトラは男の煽りに気にせずページをめくる。物語はラストスパートに差し掛かり、盛り上がりを見せていた。男のつまらぬ喧嘩も気にならないほどに、ページをめくる指は躍った。
だが
「貴様、俺を誰だと思っている!」
他の客が驚くほど大きな声で叫ぶ。流石のペトラもこれには本を読む手を止めた。迷惑が自分にだけ降りかかるのであれば、無視しておけば済むこと。対処ならば後で煮るなり焼くなり好きにすればいい。
しかし他の人間にも迷惑が掛かるとなると、また話は別になる。
さてどうすればこの頭の悪い男を黙らせられるのか。ペトラは頭を回した。とりあえず男の質問に答えてやることにしたのだ。
「申し訳ございませんわ。わたくしは存じ上げませんの。御説明頂けますかしら?」
ペトラがそう言うと男はさらに激昂する。ワナワナとペトラを指さす指を震わせ、顔を真っ赤にしている。
今まで自分を知らない人間なんて居なかったのだろう。
この地域では散々猛威を奮ったに違いない。
情けなくも男が次に発した言葉はこうであった。
「保護者は何処にいる!」
そして男は今までの発言を猛省することとなった。ペトラが呼び出した《保護者》を見た瞬間、全身の血の気が引いた。
あろうことか現れたのは、あのイリアル・レスベック=モアだったからである。
「あ……」だの「う……」だの言葉にならぬ声を漏らし、ペトラに浴びせた罵詈雑言をフラッシュバックさせる。それはまるで軽い走馬灯のようなものであった。
「どしたの?」
「保護者を呼べと仰られましたので」
「ん? ペトラなんかしたの?」
「本を読んでましたわ」
ペトラが笑顔で答える。イリアルは「ふーん」とつまらなそうに相槌しながら、男の顔を見る。その恐ろしさに震えるさまは、まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
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