017
「もうなのか?」
「ええ」
ノナイアスが起きた、とノーンから話があった当日。勇者は召喚された。勇者を喚ぶのに必要な魔法術式はそう簡単に用意出来るものではない。つまるところ、事前に準備をしてあったのだ。
王国がどの程度まで文献を保管しているか不明瞭だが、数百年に一度というスパンを何となく予測できていれば事前に用意しておくのも容易いだろう。
「ふむ。これならば魔物が活性化するまでに、ノナイアスが死に絶えそうだな」
「ご自身の事なのに、お喜びなんですの?」
「我はまだ遊んでいたいのだ!」
まるで見た目通りの子供らしい駄々のこねよう。
ノナイアスの活動が本格化してしまえば、街は混沌に包まれるだろう。さすればノーンが優雅に茶を飲む機会も減るというもの。
もしやするとノナイアスが母であるノーンに助言を求めるやもしれない。そうなってしまえば更に休暇を謳歌するなんてもってのほかだろう。
「ところでイリアル様は?」
「ああ、
先日のカフェ店員と
イリアルが重役出勤気味なのは、スタッフの中でも周知の事実。とはいえ預かっている親戚(という設定)のノーンと、新たに追加された謎の少女(これも親戚とイリアルは主張するが、実際は養女)のペトラ。
その二人をギルド長室に置いて、自分は宜しくやっているのだからあきれものである。
リリエッタが半ば怒りながら「託児所じゃないのよ!」と愚痴っていたのは秘密だ。
彼女としては最近相手にされていないから、怒ってしまうのも無理はない。イリアルを愛してしまったが故にこの店で働くことを決めたというのに、最近は抱いてくれるどころかキス――むしろ事務的会話以外のコミュニケーションが皆無だったりする。
「イリアル様はリリエッタさんを、愛してるのではなかったのですか?」
「そのはずだったんだが……」
イリアルの頼みでノーンはリリエッタの寿命を延しているほどだ。だと言うのに、リリエッタもその時々の女のような扱いでココ最近めっきり抱かなくなった。
「心境の変化でしょうか」
もとよりイリアルは機嫌が変わりやすい女だ。リリエッタの延命に関しても、一時的な感情だったのかもしれない。
「まあそんな事どうでもよい。ペトラ! 我に茶を淹れよ」
「仰せのままに」
ペトラが席を立ち、ティーセットのあるサイドテーブルまで行くと、外の騒々しさが耳に入る。この雰囲気は良くない雰囲気だ。
おそらく、不満をぶつけに来たクレーマーだろう。イリアルが不在を狙ってか狙うまいか、どちらにせよ上長のいないタイミングの悪い時間だった。
「ペトラ、こっちへ」
「はい、はい!?」
呼ばれて振り返れば、ノーンではなくそこに居たのはイリアルだった。
結論から言えばこれはノーンが変身した姿なのだが、それを知らぬペトラは驚くだろう。
「心配するな、我だ」とノーンのような口調で喋れば、何となく察した。
「おい、ギルド長ォ!!」
「お、お客様……!」
ナナの制止をものともせず、問答無用でノックもせずに侵入してきた巨漢。明らか酔いが回っており、シラフではないのは見て取れる。
止めきれなかったナナは申し訳なさそうに「お、お願いします……」と言って、逃げるように去っていった。
「……どうかされましたか?」
イリアルがよく作る《外行きの笑顔》。顔がイリアルのままのため当然だが、長い間一緒にいるだけあって完璧である。
ペトラといえば、失礼という感情を捨ててジッとノーン(イリアル体)を見ていた。まるで穴が空くのではないのか、というほど。ガン見である。
「どうしたもこうしたもじゃねぇよ! 俺がギルド強制脱退ったァどーいう事だ!?」
「あぁ」
ノーンは合点がいった。数日前にイリアルが話していた内容を思い出したのだ。男の名まで覚えていなかったが、ある一人の冒険者を脱退させた、と言っていた。
脱退なんて滅多にないことだから、ノーンも覚えていたのだ。
彼の脱退は、依頼主からの通報が決め手となった。依頼された仕事中、飲酒をしていたとの事だった。
別段イリアルとしては、仕事中の飲酒を咎める気にはならなかった。だが問題なのはそれで仕事を失敗し、尚且つ依頼主に全治二ヶ月もの怪我を負わせたからだ。
もちろんギルド側としては、責任を取る為に治療費慰謝料諸々を支払う羽目となった。
依頼主から依頼掲載料を取れぬ上に、大赤字となった。
流石のイリアルも、それに関しては怒りを表し、冒険者を除名させたのだ。
「至極当然の対処だと思いますが」
「あぁ? 俺ァまだはたらけんだぁ、強いボーケンシャしゃまだぞぉ」
呂律も回らぬほど酒を飲んで反省のはの字も見られぬ冒険者――元冒険者に、同情すら出来ない。
ペトラも察しがついたようで、蔑む目で男を見ている。
イリアルが来るのを待つのはいいが、今イリアルは気分がいいはず。彼女は女とまぐわった日には、人を滅多に殺さない。
つまりこの男の処理は、ノーン自身で行うことになるのだ。
勿論選択肢には、生かして返す、というものも存在する。だがしかしながら、この男の目の前にいるのは、いたいけな幼い娘でも冷静沈着で常識のある美女でもない。
ここにいるのは、名も無き魔王の母である。ここに乗り込んだ以上、男には命はない。
「そうですか」
微笑みには氷のような冷たさが含まれていた。やっと慣れてきたつもりだったペトラでさえも、ビクリと肩を震わせた。
男はそれすらにも気づかず、酔いのせいで感覚が鈍っているのか、目の前にいる恐ろしい悪魔に気付こうとしない。
これで冒険者だったというのだから笑いものだろう。
「ペトラよ。教えてやろう」
「はい」
「汚い魂ほど、我は美味に感じるのだ」
じゅる、とヨダレを垂らすノーンが、そこにはいた。
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