013
結局あの宣言からひと月も経過しないまま、ペトラはヒルシュフェルトから縁を切り、レスベック=モアの姓を授かった。これでイリアルの名のもとに、安全を約束されたのだ。
一体どんな魔法を使ったかペトラには分からなかったが、深追いすればまた
「お母様などと呼ぶな」とは言いつつも、イリアルはペトラに親らしいことをした。ノーンが眷属にしたこともあり、手元に置いておくからには、それなりの身なりをしてほしいと洋服や装飾品を揃えた。
……とは言いつつも、単純に気の合う少女に久々に出会い、イリアル自身も知らぬうちに喜んでいるのだろう。
もちろん、傀儡となったパーティメンバーの分もだった。
様々なショップを巡り、衣服を見ていたとき。クスクスと笑い声が聞こえる。聞いた覚えのある声に反応したペトラが一瞥すれば、そこにいたのは偶然か、ヒルシュフェルト家に居た頃散々ペトラをいじめていたメイドと義姉妹だった。
「知り合いか?」
ノーンが耳打ちする。アクセサリーショップには、ノーンも一緒に足を運んでいた。アクセサリーを見に来ただけあり、今日はパーティで見た美女モードだ。美しさのあまりショップ店員すらずっと彼女を見ていた。
傍から見ればノーンとペトラは親子にも見えるだろうが、子持ちということも差し引いても許される美しい容姿であった。
当然と言ってはあれだが、イリアルは金だけ渡してそそくさとカフェへ行ってしまった。
「ええ、ヒルシュフェルトの人間ですわ」
運悪くもアクセサリーを見に来ているタイミングで、ペトラ達も同じ店に足を踏み入れたようだった。もとよりあまり会話をしていなかったが故に、どのショップを好んでいたかなどというのも覚えていなかったせいもある。
とはいえ今はその程度の小者に構っている暇はない。せっかくイリアルが作ってくれた時間を無駄にする羽目になるのだから。
「明らか悪口だな。堂々と本人の前でとは、相当強気なようだ」
「頭が悪いだけですわ。今のところ無害ですし、気にしないでくださいまし」
だがペトラがどれだけ無視をしようが、相手側が絡んでくるのだから仕方がない。ペトラとしてはもう少し見ていたかったが、居心地が悪い為早々に店をあとにすることにした。
すると、店から出ていく直前、メイドが力強く背を押した。弾かれるように入り口から飛び出たペトラは、民衆の視線の中倒れ込んだ。
それなりに目立つ倒れ方をしたペトラは、当然のように注目を集めることになった。
「あ~ら、申し訳ございません。ペトラ様でしたの~」
「よろけて当たってしまいましたわぁ~」
「………」
ノーンはさり気なくペトラに手を差し伸べた。主人の手を煩わせてはならぬ、とペトラは優しくそれを断り、立ち上がって埃を払う。
今日ばかりは幼女モードではないノーンに、ペトラは感謝をした。この人達は相手が幼子とて容赦はない。逆に美しすぎる女性体のノーンであれば、「何故ペトラのような娘が」と妬ましく不思議に思っただろう。いや、今そう思っているに違いない。
家を出たのにも関わらず、こんな場面に遭遇する羽目になるとは。ペトラは深くため息をついた。
民衆に注目されたということよりも、主人の眼前で恥をかいた事のほうが苛立ちを覚える要因となった。
懐かしくも陰湿で頭の悪いいじめだが、血の繋がった父親も黙認するという最低な行為だった。
「お目汚ししてしまいましたわね」
「気にするな」
イリアルが見たら殺しそうなくらいムカつく人種だな、とノーンは思ったが口にしないでおいた。その肝心のイリアルは、アクセサリーを見飽きたと言って近場のカフェで休んでいる。
用事が終わればイリアルを回収し、職場に向かう――という予定だった。
「行きましょう。時間の無駄ですわ」
「ん? 行くのか?」
ペトラは歩き始めるが、ノーンはその場に止まったままだ。「行くの?」という言葉も、ペトラに引っ掛かった。
――このままにしていいのか。
そう言っているような気がした。悪魔の仲間になったのであれば、この幼稚な女共は、始末するべきではないのか。
「ええ」
ペトラは微笑んだ。それを見て呆れたようにノーンは嘆息する。やはりこの少女は腑抜けだ、そう思ったからだ。イリアルであれば裏路地に誘い込んで、肉塊になるまで殴り続けるというのに。
今まで見ていた人間が尋常ではない人間だったがゆえに、ノーンは少しがっかりしたのだ。
アクセサリーショップからだいぶ離れ、カフェまで歩く道のりで、ペトラが口を開く。正直ノーンとしては、この愚か者の話など聞きたくもなかったが、自分が選んだ部下であるがゆえに耳を傾けることにした。
「これでお茶でもご馳走しますわ」
ペトラが手に持っていたのは、可愛らしい装飾の施された女性向けの財布。だがこれはペトラの私物ではない。
あの義姉妹の財布であった。姉と妹の分を合わせて、ふたつ。ついでにメイドの小銭入れも。ペトラはそれを持って器用に遊んでいる。
「貴族のくせにスリが得意とはな」
「あら、ノーン様。わたくし首席パーティにいたのは、順位が上だからというだけではありませんわよ」
ペトラ・ヒルシュフェルト――もとい、現在のペトラ・レスベック=モアは、悲しいかな職業適性が盗賊と暗殺者なのである。とはいえ
「それ、あの小娘共は知っておるのか」
「そんなわけありませんわ。だってわたくしのやってる勉学に、一切の興味がなかったんですもの」
ペトラが魔法や剣術に関して学校で学んでいる間、彼女達は毎日のようにお茶会やパーティを開いて貴族との交流をし、ペトラが帰宅すればまるで虫けらを相手するかのようにあしらった。
ペトラがいくら熱弁したところで、凝り固まった女どもの思考なぞ解消できるわけでもなく、とっとと家を出て縁を切りたいと思っていた。
望んでいたものとはだいぶ違っているものの、最終的にはヒルシュフェルトと切り離せたことに関してはひどく感謝している。
「今頃焦っているんじゃありませんこと?」
不敵に笑むペトラを見て、ノーンも笑った。
会話をしながら歩いていたせいか、いつの間にか目的のカフェに辿り着いていた――のだが。ノーンは入り口に向かう前に、足を止めた。
ペトラが「どうかなさいまして?」と顔を伺うと、ノーンは辺りのニオイを嗅ぎながら何かを探している。
ノーンが感じ取った臭いは「血液」であった。このあたりにはスラムも犯罪が起こりそうな地域もない。平和な昼間、血の臭いを振りまいている理由があるとすれば。
「イリアルはカフェにいない」
「……
物分りの良いペトラに頷いて返事すると、ノーンは捜索を開始した。
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