012

「おはようございます、ペトラ様」

「ええ、おはよう」


 ペトラはニコリと微笑んで執事を迎えた。彼女は新しいファミリーとして迎え入れられた。

だが今までの学園生活などもあり、誰かに世話してもらうというのが久しかった。もちろん実家にいた頃は、侍女に着替えさせてもらったりしていた。

 ペトラが従者になって初めての朝。日が昇る前に目覚めて着替えも済んでしまった。

食事は勝手に食べていいか不明だった為、自室で待機していたところ執事が来室したのだ。


「イリアル様とノーン様は、既にお仕事に向かわれました。お二人は大体七時には食事を終えられ、職場に向かわれます」

「そうなの。明日はわたくしも朝食に同席したいわ」

「かしこまりました。次回からは時間になりましたらお呼びしますので、お楽しみください」

「ありがとう」


 どうやらあの二人はあの二人なりに優しさなのか、遅くまでペトラが寝ていると踏んで敢えて声を掛けさせなかったようだ。

ペトラからしたらまだ日の昇らぬ時間からずっと待機していたが故に、少し寂しいところもあるが、主人に口を出すのは失礼だろう。

 ペトラは厨房に無理を言って簡単につまめる料理を用意してもらった。


「ちょっと、ペトラお嬢さん!」

「え?」


 急いで支度をして、冒険者ギルドへと足を進めようとしたところ、御者が声を掛けた。

ペトラの顔はもう既に屋敷中の使用人たちが知っていて、彼女はもう家族であると誰もが認識しているらしい。

 そんな家族が自らの足で、この郊外から街の中心地まで行こうと言うのだから、止めずにどうしろと言うのだろう。


「わたくし一人の為に申し訳ありませんわ」

「いんだよ! イリアルさんが認めた人はみんな家族だ」


 御者はそう言って馬車を動かした。





「おや」


 冒険者ギルド、イリアルの書斎。ノーンは優雅にモーニングコーヒーを楽しんでいた。

入ってきたのはもちろんペトラだった。スカートの裾を摘んでカーテシーをして言った。


「おはようございます、ノーン様」

「うむ」

「明日から朝食を一緒に頂きたいのですけれど、宜しいでしょうか?」

「む、勿論だ。今朝は置いていってすまないな」

「いえ、お気になさらず」


 ペトラはソファで眠るイリアルを一瞥した。朝早くに起きてここに来ているというのに、彼女はまた眠っている。

それこそギルドは彼女無しでも問題なく回るのだが、冒険者が必要な治安ということもあり、日常的に厄介客がやって来る。

 ほぼほぼ彼女は《対クレーマー用スタッフ》としてのみ機能していないが、ギルドスタッフにとってもイリアルにとっても(殺しという意味で)ウィンウィンなので問題は無いのだ。

勿論ちゃんとした仕事もしている。


「思ったのだが、我と契約するよりも、イリアルの養女になったらと思うのだが」


 ノーンの提案に、ペトラは視線をイリアルからノーンに戻した。

ペトラとしては悪魔との契約は今後の生活にあたりとてつもない魅力的な事だ。しかしそれと同等もしくは、人間社会に置いては悪魔を凌駕するものと言っても過言ではないのがレスベック=モアの姓である。

 少しワガママに「両方では駄目ですの?」なんて言ってみたいところではあるが、ペトラは従者であるが故にそっと口を閉じた。


「イリアル様の、で御座いますか」

「うむ。人間社会でペトラを守るとしたら、我の魔力よりもレスベック=モアの姓の方が強いだろう?」

「嬉しいのですけれど、でも……」


 ペトラは再びイリアルを見た。またとない機会。誰もが望むであろうその地位は、喉から手が出るほど欲しいしろものだ。

 しかしながらここで眠る暴君はそれを許すだろうか。今はまだノーンからの提案に過ぎない。イリアルに伝えるのはノーンの口からであっても、それを「OK」するような人間とは思えなかったからだ。

パーティ会場での粗相を忘れている訳ではあるまいし。


「ペトラよ。イリアルは、貴様が思っている程、嫌っておらぬぞ」


 ハッとして我に返る。ノーンはペトラを見てニコニコと笑っていた。悪魔のくせ慈愛に満ちた笑みだ。

 嫌ってはいないが好きではない。寧ろタイプの女性、だった場合アウトなのだ。

幸いペトラは幼女体のノーンと同じような様相であった(本人的には不本意である)。ということはイリアルのタイプの女ではなく、使える仲間・信頼出来る相手ということの類なのだ。


「安心せい、我から言うてやる」

「それだと助かりますわ。それで――わたくしはまず何をすれば?」

「ん? 茶でも飲むか?」


 こくん、とコーヒーが喉を通る音がする。コーヒーカップがテーブルに置かれる音がして、ようやっとペトラは頭が動いた。

 そう。何も無いのだ。

ペトラ達を眷属化したのは、《何かヤバいことがあったら》の為の、予備の軍。今別段なにかがある訳ではないのだ。


「あー、まてよ。今からなにか来る」

「? というと?」

「イリアル様ーッッ!! 大変で――」


 ノックもされずに、部屋のドアが開かれた。余りの突然さに、ペトラはびっくりして「きゃあ!?」と大声を出してしまう。

さすがのイリアルもこの騒音には起き上がり、不快そうに侵入者を見つめた。


「ノックをしろ」

「も、申し訳――」

「いい。10秒やる。クビだ、消えろ。荷物をまとめてすぐに消えろ。用件はリリから聞く」

「ヒッ……、は、はい」


 男が走って出ていくと、イリアルはペトラの方を見た。先程驚いて叫んでしまった手前、ペトラは深々と頭を下げ「申し訳ございません。睡眠の邪魔を――」と謝ったが、イリアルはフッと微笑んで頭を撫でた。


「養女の申請をしておけばいいのか?」

「!」

「なんだ聞いていたのか」

「まあな」


 ペトラを養女にするにあたって問題なのが、未だにペトラはヒルシュフェルト家の人間であることだった。ここ最近は敷居をまたいでいないとはいえ、それでもヒルシュフェルト家である。

 となればまずは、家を切り離す必要がある。親を同時に二人も持てる世界ではないがゆえに、家との縁を切り、イリアルの家に入る必要があった。


「恐らく許しが出ないと思いますの」

「相手がイリアルでもか?」

「多分……。王からの命令ではない限り断ると思いますわ」


 ペトラはヒルシュフェルト家の跡継ぎ候補であったが、今となっては《都合のいい駒》である。ヒルシュフェルト家が何かしらの粗相をした場合、全ての責任を押し付けるための人間でしかない。


 何故そうなったかといえば、実母が死んで再婚した相手の連れ子を溺愛していたからだ。

魔法剣士の学校に通うようなお転婆娘とは違い、勉学に励み芸術に長け顔立ちの良い美しい娘だったからだ。

 跡継ぎ候補とは見てくれだけで、実際継がせる気でいたのは他でもない再婚相手の連れ子だった。それはヒルシュフェルトに仕えるメイド達ですら分かっていた事実だった。


「なんだ、王命程度で動いてくれるのか?」

「へ?」

「少し掛かるが、迎え入れると言った手前やってやろう。ただしお母様などとは呼ぶなよ」


 女と遊べなくなる、とイリアルは笑った。

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