010

「何を怯えているのだ?」


 分かっていただろう、とノーンはペトラに言った。予想していたこと以上のことが、彼女達に降り掛かった。いや、ペトラはそれを回避したのだが。


 ノーンは途中まで真面目に案内をしていた。だがある程度案内した途端、人が変わる。まるでそれは悪魔のようだった。いや、彼女は悪魔なのだが。

不気味に微笑んだノーンは魔法で部屋の扉を閉め、術式を展開した。訳も分からず抵抗する手段もなく、パーティはその術に飲まれた。ペトラを除いて。


「……ノーンさん……いえ、ノーン様、なぜ、どうして私は」


 ルシオもエレーヌも、床に突っ伏して倒れている。ペトラには自分が残された理由が全く検討もつかなかった。パーティ会場でのこと以降、今日久々に出会ったのが2回目なのだ。

だからこうして彼女の怒りを買う理由がわからなかった。

……というのが彼女の考えだ。

 実際は怒りなど買っていない。むしろ好感を持たれている。ただしその好感はペトラ達にとっては害をなすことなのだ。


「お主らには我とイリアルの眷属となってもらう」

「え? 本当ですの!」


 ペトラはピタリと泣くのやめた。どころか笑っている。その突然さにノーンは驚く。袖で涙を脱ぐって、ケロリとした表情でノーンを見ていた。


 ノーンはそこで察した。この女はイリアルと同じタイプの人間だと。


 くつくつ、とノーンは笑った。思わぬところでいい人材を手に入れたからだ。

目の前で親友達が傀儡として成り代わってしまったというのに、彼女は生かされることを聞いてあからさまに態度を変えた。

 であれば、普段からしているイリアルの奇行ですら許容するだろう。


「我が言うことでは無いが、貴様……屑だな」

「お褒めに預かり光栄ですわ」


 ノーンが笑いながら腕を振る。闇を纏った魔力が、倒れている5人へ降り掛かった。体が痙攣し、それが収まるとノソノソと起き上がってくる。

ペトラは微笑みながらその光景を見ていた。この性根の腐りきった貴族女は、友人が悪魔に操られているというのにも関わらず心を一つとして揺るがせない。


 ――あちらでなくて良かった。イリアルのような人間に仕えることが出来て恐悦至極だ。

ペトラは気味悪く笑った。きっと、このまま冒険者を続けていたら、味わえぬ感覚だろう。


 虚ろな瞳でペトラを見る5人の冒険者。そこにいるのは仲間ではなく、ただノーンとイリアルに忠誠を尽くすだけの人形に過ぎなかった。

 考えなしに突っ込んでいく真面目バカルシオも、冷静沈着で美しい天才魔術師のエレーヌも、幼いながらも博識でパーティの智将だったライマーも、スキルのお陰で魔術も武器も何でも使えるアウリも、おっとりしてるけど錬金術は天才的なフレデリカも、そこにはいない。

 ノーンでさえ、その魂の抜けた瞳を持った五人を、罪悪感もなく見つめるペトラは気味が悪かった。


「ペトラよ、これからは貴様がこのパーティを率いろ」

「宜しいんですの?」

「貴様は唯一のとしてこのパーティを操ってもらう。何か悪事を見つければ貴様を殺すだけだ」

「うふふ、気をつけますわ」


 *


「待ってたわよ」


 イリアルがギルドに戻ると、げっそりとした表情のリリエッタが出迎えた。カウンターで大声を出している女を見て合点が行く。いわゆるクレーマーだった。

 ボサボサの髪を手ぐしで慣らして、ポケットから一本のヘアゴムを取り出して髪をまとめた。管理されていない長い前髪をかきあげれば、その辺の色男では到底敵わぬような美しい顔がまみえる。

これぞクレーマー兼対女性用の美青年イリアルである。……女だが。


「後は代わる」

「そうして頂戴」


 リリエッタから仕事内容の資料を受け取り、イリアルはクレーマーの女性へ近づいていく。その間に女が何を主張しているのか汲み取っている。

 どうやらこの女は依頼主のようだ。クレーム内容も簡単に言えば、送られてきた冒険者が気に入らないということだった。冒険者のやった作業にクレームを付けてくる依頼主はそう少なくはない。

そしてこの女もその一例であり、何よりもこだわりが大量にあり面倒だということだ。


 この女は先月にとある貴族に嫁いだ。そして屋敷を一つ手に入れたわけだが、どうやらそこの家の地下室は整備が行き届いていないらしく、ネズミが魔物化したものなどの小型の魔物が大量に巣食っていたらしい。

これから住むというのにそんなのがいれば、こだわりの面倒な女でなくても気になるだろう。いつか地下から這い上がって自室へやってくるのでは、という不安に駆られるのも当然だ。


 そして女はギルドに駆除の依頼をした。そしてギルドが適切な冒険者を見繕い派遣をしたものの、彼らの態度ややり方が気に入らなかったらしい。

結果的に駆除は成功しているものの、その他諸々が気に入らなかったが故に「自分は報酬を支払わない」と駄々をこねているのだ。


 ギルド側の粗相や冒険者の失敗で支払わないのは依頼主としては当然だ。だが冒険者は無事に地下室の掃除を終えているし、関係ない屋敷の部屋を荒らしたりしたわけではないのだ。

ただ女にとって気に入らなかった。クレームとしては馬鹿げているが、そんなものが存在するのだ。


「責任者のレスベック=モアです」


 客向けの笑顔を作って向ける。顔がいいだけあって、女は口を閉じてモジモジとしだした。このあからさまな態度。調子のいい女を落とすのは、イリアルにとって朝飯前だった。

 この様子からだと恐らく女が怒っていることは、派遣された冒険者にあるだろう。当然だが粗相という意味ではなく。

リリエッタから受け取っておいた資料を一瞥する。そこには派遣された冒険者や、行った内容が詳しく書かれている。相手が貴族様だけあって随分と手練な冒険者を複数人送ったようだ。

 ギルドに古くから所属している腕利きの冒険者が三人。いずれも有名ダンジョンを攻略したり、魔物討伐に多大な貢献をしてきた男達だ。


(この女は顔のいい男の冒険者でも望んでいたのだろう)


 手練冒険者がブサイクというわけではないが、如何せんワイルド気味なのだ。筋肉質な男らしい人間というか。女は結婚しているものの、無意識に顔の良い白馬の王子様のような冒険者を望んでいたのだろう。そして好きあらば食わんとしていたはずだ。

イリアルとしてはこちらの貴重な人材を馬鹿にされた挙げ句、若い冒険者を食い物にしようとしているこのクレーマー女がどうにも腹立たしい。

そんなイリアルの腹の中で殺意が煮えるには時間を要さなかった。


「わたくしぃ、ちょっとヒートアップしたかもしれませんわ」


 頬に手を添えてイリアルをチラチラと見る。別に悪気はありませんのよ、と。これでイリアルが普通の女だったり、ブサイクな男だったとしたらまた態度が変わっていたのだろう。

既にイリアルには青筋を立てる怒りが蓄積していたが、ここで殺すわけにはいかない。まだ部屋にも誘導していないし、何よりも受付で殺人なんて以ての外だ。

 ニッコリと微笑んで、奥の客間へと誘導する。何も知らない女は浮かれ足でイリアルについていく。これから起きる悪夢など予想もしないだろう。

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