009
数年前、パーティ会場にて。
ペトラはうんざりしていた。幼い頃から何度も連れてこられた社交場。見るたびにブクブクと太っていく知り合いに、他愛のない会話。挨拶してこいという父。
こんな場所ばかり連れてこられて、同年代の友人はおろか知り合いすら滅多に居ない。
それは彼女がリトルブレイブズ学園に通い出す前のことであった。
今日も今日とてつまらぬパーティで退屈していた時だった。血相を変えた父が自分の元へと走ってくるではないか。こんなに取り乱した父を見るのは初めてだったがゆえに、ペトラはたいそう驚いた。
ペトラの家はそれなりに地位の高い貴族で、大抵はみなが自分ら一家に媚びへつらうのを見ているだけだった。だから上からの圧力に怯えることなど、彼女は経験したことがなかったのだ。
「ペトラ! 急いでご挨拶に行きなさい! 頼むから!」
「ど、どうしましたの、お父様……」
「いいから! 機嫌を損ねるんじゃないぞ!」
半ば無理矢理にペトラを連れて向かった先は、一組の男女の前。どちらも目を見張るほどの美しい容姿だった。
きらめくウェーブのかかった金髪に、宝石にも劣らぬ美しい碧眼。艶やかな唇には赤いリップが乗っている。華やかなこのパーティにそぐわない体のラインがよく出る漆黒のドレスも、彼女が着ればこの場にいる誰よりも美しく見えた。
付添の女性のはずだが、彼女は相手に依存することなくしっかりとした意思でそこにいた。
そしてペトラの父が怯えていたのは、男の方だった。いや、男と言うべきか否か。
一本に束ねた長い髪、長身。そしてペトラですら見たことのない高級なメンズのスーツ。一見男に見える“彼女”は、誰がなんと言おうと、この場で一番権力を持っていた――イリアル・レスベック=モアであった。
当然だが相方はあのノーンである。パーティをしていると聞いて彼女が「行ってみたい」というものだから、いつもの適当なスタイルから抜け出して美男子へと変化を遂げたのだ。
招待状は来ていた。だが当然彼女は行くつもりはなかった。社交なぞ興味がないからだ。行けば彼女に媚びへつらう豚のような貴族に出会うだけで、メリットのメの字もない。
だがこうして彼女が身なりを整えてまでやってきたのは、ノーンが行きたがっていたからにほかならない。
「初めまして。ペトラ・ヒルシュフェルトと申します」
ペトラは他の貴族を相手するように平然と挨拶をした。が、その瞬間場は凍りついた。ペトラの挨拶が悪かったのではない。タイミングと、ペトラが突然現れた見知らぬガキだったからだ。
イリアルの顔はあからさまに嫌そうにしていて、周りは完全に「あの子は死んだ」と思った。
遅れてペトラもその場の空気を察した。長いこと父の付き合いで社交界に来ていただけあって、そういう空気を汲み取る能力は多少なりともあった。
だがこの凍りつきようは異様だし異常で、初めての経験だった。まさか社交界で死を覚悟することになろうとは、誰も思うまい。
イリアルが口を開いた時だった。確実に死ぬ。ペトラを含めたその場に居た人間全てがそう思った。
一人を除いて。
「面白い子ね」
ニコリと微笑む美女。ノーン。ノーンが呟けばなぜだかイリアルの怒りはおさまり始める。イリアルが社交界に出ずとも、イリアルを飼い慣らす美女の存在は知れ渡っていた。
周りの空気がホッと一息ついた。ペトラの命が美女によって救われた。この場が血によって悲惨なパーティ会場へと変化を遂げなくてよかった、とみなが思った。
「でも駄目よ。立場も
背筋が凍った。笑顔のまま放った言葉には、「たかが名の知れた貴族の分際で、おこがましくイリアルの前に出しゃばるな」。そう聞こえた。
美女は再び微笑んでイリアルの腕を取る。ご機嫌ナナメなのはイリアルだけではなかったのだ。
折角やってきたパーティで機嫌を損ねたノーンを連れて、イリアルは早々にそのパーティを後にした。
残されたのは、数年は寿命が縮まったであろう貴族達だった。
そして今まで何度も来ていたのに、その場の空気を読めなかった自身を悔やむペトラも居た。
悔しい。しかしそんな感情よりも先に、生きていることに感動した。ノーンとイリアルが去った後の空気が美味しかった。
例えその場が料理やタバコ、香水、化粧品の臭いで溢れむせかえりそうでも。
「面白いことしてるわね」
ペトラはその声を聞いて顔を見れば思い出した。人を、ではなくあの時味わった恐怖だ。機械人形のように首を回して見てみれば、誰もが振り向く美女がそこに立っていた。
ノーンの女性形態。イリアルの横を堂々と歩く時に使う容姿だ。普段から使わないのは、イリアルが女を好んで《食べる》からである。
さて、ノーンが彼らに近付いたのは理由があった。あのイリアルの邸宅を散策しようと考える何度も馬鹿らしい計画が面白かったことと、このパーティを自らのものにしようという考えからだ。
「ごっ……ご無礼をお許し下さい!」
「別に気にしてないわ。よかったら屋敷をご案内させて頂戴」
「そんなに怯えなくてもいいんじゃないか、ペトラ。あの方もそう言ってるし……」
「そうだよ~、怖そうじゃないと思うの~」
「ば、バカルシオ……! アホフレデリカ……!!」
困惑し怯えるペトラを見て、ノーンは心の中で笑った。彼女は自分を分かっている。弁えているのだ。
であれば、
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