2、認識(前編)


「今日は実技演習だ、みんな着替えて森へ行くぞ」


リステビル王国から門を出ると、ミマーナ森がある。そこからがモンスターたちのテリトリー、ほぼ未開の地、現在国は森から先の外の世界をいかにして自分たちのものにするか奮闘しているのだ。


フリッシュ学園の生徒は、卒業すればいずれ新開拓に貢献する存在となるだろう。肩慣らしとして、森で実技を受けるのは合理的なことだ。


基本的に生徒たちはチームで動くも良し、単独で行くも良し。要所要所で教師たちがスタンバイして、もし訪れる危険に生徒が巻き込まれたら教師が対処する。そのスタンスで始める実技演習に、ヒコルは単独で行動を始めた。


「ねぇヒコル、何で他の皆と一緒に行かないの?」


いや、正確には勝手にラニエルがついてきている。ラニエルが思うに、恐怖の対象でしかない森に単独で行くのは無謀に思っている。かといってヒコルと一緒にいれば安心だ、とも思っていない。


魔導士、並びに魔導士見習いの弱点は、詠唱するが故に瞬発力がなく、距離を詰められると脆い。対して騎士と騎士見習いはその自慢の肉体で瞬発力も間合いも脅威のレベルに等しい。ただ魔導士のような高い攻撃力と遠距離攻撃がないだけだ。


要するにお互いがお互いを支え合えば問題はない、モンスターという第三の勢力のために共闘することは珍しい話でなく、あのヘルンですら森という場所では魔導士見習いを頼るくらいだ。


「ごめんねラニエル、今日は一人になりたい気分なんだ。だから俺のことは気にせず他の人と一緒に進んでてよ。大丈夫、できるだけ教師の近くにいるから」


ラニエルは納得してヒコルを一人にしてくれた。ヒコルはそのおかげで少し気分が良くなった。


ヒコルが一人になりたかった理由は二つある。一つは魔法の無詠唱の練習のためだ。


ヒコルは魔法を学んでいくうちに、心の中で唱えることで魔法を発動できるのでは……? という仮説を作り、案の定それは正しいことが証明された。


ただでさえ魔法という新たな存在が現れ、ようやくその存在に定着してきたところなのに、魔導士の弱点ともいえる詠唱のもたつきを無くすという発見をしてしまったのだ。魔導士に弱点があるから、騎士たちの矜持が保たれているのだ。そのバランスが崩壊することを知られたら、何が起こるかたまったもんじゃない。


それでも無詠唱はとてつもなく便利な要素だ。だから保身のため、練習は欠かせない。ヒコルは森で出会ったスピードのあるモンスターを実験台に、無詠唱で立ち向かう。


(あんまり焦ると心の呂律が回らなくなるな……、冷静でいないと)


エイムボアというイノシシが二匹同時に襲ってきた時はヒコルは本当にまずいんじゃないかと思った。しかし元科学者の、常に冷静でいることという心のスキルが活きた。


そしてヒコルが一人になりたかった理由のもう一つは、朝からあった予感のことだ。


(いい加減、この現象を受け入れる他ないな。スライムを飲み込んで、俺の身体はおかしくなっている……!)


妙な身体のベタつき、それを試してみたかった。目の前にある大きな木を、ヒコルは登ってみようと思った。


ヒコルは前世でも新しい身体になっても木登りの経験がない。なぜなら運動神経が乏しいからだ。それでも身体がくっつくのであれば登れないことはないのかもしれない。


両手が少しベタつく、しかしそれが狙い通り。木の幹を触って、そのまま上を目指す。


(……あ、あれ? あんまり簡単じゃないぞ?)


実は、ズリズリと落ちないのであればいけるという簡単なものではない。単純に自分の身体を持ち上げるための、腕力も必要になるのだ。


(お、落ち着け……。腕力が劣っていても、休憩しながら、両腕でじっくりといけば問題はないはずだ)


ヒコルはくっついていることを支えに、何とか両腕を使って登り始めた。まずは一番近くの足場である枝が目標だ。


「いきなりその枝に行っちゃだめよ、ひと段落挟んだほうが安全よ。あと手ばかりじゃなく足も見て。しっかり固定できる仮の足場があってこそ木登りだから」


上から声がする、見上げると目標の枝よりさらに上の枝のところにミリアがいた。


「ハルフ先生……、どうしてここに?」


「監視するなら上から見るのが一番だからね。何してるの、早く登りなさい」


それからヒコルはミリアの助言のおかげでようやく枝の上に乗ることができた。ミリアもヒコルと話しやすくするため、同じ枝の上では体重過多で折れてしまいそうなので一つ上の枝のところまで降りてきた。


「ヒコルくん木登り初めてでしょ?」


「はい……」


「最初でそこまでできるのなら上出来よ、私の知ってる木登りの仕方じゃなかったわ、普通ならもう落ちてたよ。まるで身体が木にくっついてるみたい」


「そうなんですか……」


まさかバレていないよな……、とヒコルは肝を冷やす。


「魔法も優秀で、運動も潜在能力がある。凄い素質ね、羨ましいわ」


「いやいやそんな……、それを言うなら先生だって凄いですよ。魔法専攻教師なのに運動神経も良いんですから」


「非常勤ってこと忘れないで。でもね、私中途半端なのよ。ちょうど魔法が必要になったのって、私が君くらいの歳、ほんの数年前のことだけどね。その時は大変だったわ、身体を鍛えれば充分と思っていたのに、魔法も学べって周りがうるさかったから」


枝の上に腰深く座って、深いため息をついた。


「私……、魔法を教えるのをやめて、騎士育成に変えようかなって思うの」


「え……?」


「どうも魔法一つ一つが弱々しくて、これじゃあ教師としての威厳が保てない。……って、君にこんな話してる時点で教師失格なんだけどね」


笑顔と根性で生徒たちに憧れを見せてきたミルアの悩み、せっかく魔導士になったのに、伸び悩んでいるから変えるという問題の他に、騎士というのは基本的に男がなるものであって、どうしても力で劣ってしまう女が騎士になるのは相当の努力と覚悟が必要になる。


彼女のターニングポイントであるこの瞬間、生徒だけど、生きた年数ではヒコルのほうが上、何か言えることがあるのではないだろうか。


「先生は……、時代に流されたと言っても良いでしょうね。それでも流れてきて、それに順応したことに……、後悔してますか?」


「……」


ヒコル……、いや、富彦だった時は、一年単位で流行が変わり、まるで時代が変わるような大きな錯覚が生まれていたものだった。科学が好きな者に流行なんて関係ない……、わけではなかった。科学だって進化する、流行のおかげで復活した科学だってある。そんな振り回される時代の流れ、流行を作る側に立たない人間からしたらどれだけ苦労するだろうか。


それでも……、その流れについていくのは決して無駄なわけではない。


「先生は魔法、好きですか?」


「それは……」


その時、ピィィという指笛が聞こえた。教師からの撤退の合図だ。


「答えは、これから先の行動ということにしましょうか。あぁそれと先生、『二回目』ですよ」


「え……、はっ!? えっち……」


女性に木登りは相性が悪い。下が無防備だ。

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