6.
光源を無くしたホールは、一瞬にして暗闇に包まれた。
それでも目が慣れてくれば、ホールの現状は大体見て取れる。地下とは違ってここは出口が近く、明かり取りの窓が多いのもあるだろう。
唐突に静かになったホール内は、耳がおかしくなったのかと思わず疑ってしまうほどだ。彼女が歩み出しながら周りを見渡せば、別の柱にぶら下がっている少年を発見する。
どうやらシャンデリアが落ちる寸前に鎖を振り解き、別の柱へと飛ばして巻き付かせ、落下を軽減したらしい。あの一瞬でそんな器用なことをしてのけた少年は、ぶら下がったまま暫く下を眺めていた。
数分、舞い上がった埃が落ち着いた頃、ようやく鎖を外して下へと着地する。
「……師匠」
呼びかける。
シャンデリアの下敷きになった男は、即死を免れていた。とはいえ永くは持たないだろうが。
少年は問いかける。
「どうして、避けなかった」
「……」
「師匠なら、避けられただろ。どうして」
「……」
男は答えない。
代わりに、弱々しく笑った。ハ、ハハ、とよく耳を澄ませないと聞こえない音量で笑う師を、見下ろして。
少年は掌を握る。
「……やっぱり、師匠も、死にたがっていたのか」
少年は師の頭上に跪き。
それまで堪えに堪えていた感情をぶつけるように、声を荒上げた。
「どうしてっ! どうして、アイツらを殺す必要があった! どうして、俺に殺されたがった! どうして、俺を殺そうとした! どうして、俺は、アンタの――」
最後までその叫びは続かなかった。
唐突に施設全体が揺れる。遅れて聞こえたのは爆発音。しかも一回ではない、複数回、立て続けに上階から鳴り響いては施設全体を揺さぶっていく。
流石に何が起こっているのかわからない。上を見上げた少年に、師は呻きながらも言葉を発した。
「行け」
「え」
「各階に、爆薬を仕掛け、ていた……間もなく、ここは、崩壊する……っ、外に、行くのだろう、私に構うな、行け!」
突き放す言葉に、少年は思わずたじろぎ。
そして思わず、口を開く。
「とう――」
呼びかけた言葉を、少年は飲み込んだ。
師の目がそうするようにと訴えていた。もうすぐにでも死にゆく師の目に、逆らうことが、どうしてもできなかった。
少年はただ、掌を強く握る。
その頃には施設全体の揺れが大きくなっていた。少年は立ち上がり、振り切るように顔を背け、出口へと走り出す。
もう振り返ることはしなかった。出口は呆気なく開かれ、少年の姿が外へと消えた。
後に残されたのは、死の淵を漂っている男と、彼女だけだった。
頭上からパラパラと細かな埃が落ちてきている中、彼女は男の傍で膝を折り、顔を覗き込む。
「こうしてお会いするのは、初めてですね」
彼女の声が聞こえたのか。
男は虚ろになりつつある目をゆっくりと、確実に、彼女へと向ける。
「貴女は……闇裏の、者か」
確信を得ているようだった。
彼女が返答せずにいれば、それを肯定と取ったのだろう。弱々しく笑い出す。
「は、はは……我らが、敵対し、目的とし、目指した者に……我らの自滅を、見届けられる、とは……」
「あら……まぁ。それは知りませんでした。一族の者が知れば誇りに持つでしょうが……私はすでに、かの一族からは外れてしまった者。今はただ、世界を代行してこの場の異常を殺すためだけに存在している者です。さて……貴方、いいえ、『
男のコードネームを呼ぶ。
規格外の子供にだけ与えられていたコードネーム……その、最初の規格外だった子供の、成れの果てである男に。
彼女は優しく微笑みを向けた。
「窺いましょう。貴方の未練は、何ですか」
男が口を開く。
天井が崩れ、二人の頭上へと瓦礫が降り注いだ。
×××
一時間ほどで施設は全て崩落した。
昨晩の廃屋と同様、計算尽くされた爆破の仕方だった。敷地外には影響を及ばず、しかし確実に施設内の全てを瓦礫で押し潰す、いっそ見事なまでの自滅だった。
その瓦礫の山から抜けだし、彼女は辺りを見渡す。
少年は瓦礫の傍に佇んでいた。
「……師匠、は」
彼女を見つけ、少年は問いかける。
声は沈んではいたが、無表情であった。彼女はゆっくりと少年へと近づく。
「正しくお見送り致しました。ご安心ください」
「……。……そう」
それだけで、少年は納得したようだ。視線を逸らし、瓦礫を眺める。
彼女は少年の隣に立つ。
「貴方のお師匠様より、遺言を預かっております」
「遺言……?」
「名を。貴方に、名を与えられず、すまなかった、と」
言った後に、反応を窺う為に彼女は少年の顔を覗き込む。
少年は困惑したように目を細めていた。
「それは……嘘、だろう」
「ええ、半分は。もう半分は、私からの提案です」
「提、案?」
「せっかく私の旧姓を教えたのですから、貴方にもせめて、呼び名があってもいいと思いません?」
にこりと口元だけで笑ってみせる彼女に、少年はますます困った表情をする。しかし、「いや、俺は……」と口篭もっている間にも、彼女は勝手に話を進めた。
「何という名にしましょうかね。せっかくなら短くて呼びやすく、且つちゃんと意味のある名にして差し上げたいところです」
そんなことを言いながら、彼女は軽い足取りで瓦礫の山に足をかける。
先程までいた、玄関ホールだったはずの場所。そこに崩れ積もった瓦礫を飛び跳ねるように登っていく。目だけで彼女を追いかけていた少年は、ようやくそこで気が付いた。
空の色が、変わりつつある。
夜明けは近い。
「ユウ、なんてどうでしょう」
ある程度の高さまで登った彼女が、器用にその場で振り返った。
見下ろされながら、少年は復唱する。
「ゆ、う」
「友人の『友』と書いて、ユウ、です。これなら短いですし、貴方も名乗りやすいでしょう? 意味は、まぁ……秘密にしておきましょうか」
「……いや、でも……ヤミウラ、俺は」
その時。
サッと、唐突に辺りが明るくなった。
夜明けだ。瞬間的に空に白い光が筋となって照らしていく。
思わず少年は見とれてしまった。これまで見たことがなかった、空の色、だった。
だからこそ、夜明けと共に瓦礫から飛び降りた彼女に、体当たりされるように地面へと押し倒され、隠し持っていた小刀に胸を貫かれる直前まで、少年は反応することができなかった。
胸に冷たいモノが入り込む。
その衝撃は脳で考えるよりも早く、全身を駆け巡った。
と同時に、何故か、自身の右手が、何かを突き刺す手応えを伝えてくる。
「……あ、れ……?」
条件反射。
自分でも気付かないうちに、少年の右手はナイフを持ち。
彼女の胸を貫き返していた。
少年の上に覆い被さるようにしている彼女の口から、紅い血がこぼれ落ちる。
「っ……ふふ、ほら、言ったじゃないですか……貴方に未練があると、殺して差し上げられない、って」
少年は咄嗟に、彼女越しに空を見やる。
黒一色ではない、見たことのない空の色。だというのに。
「どう、して……未練、は、もう……っ」
未練は、果たされたはずだ。
だというのに何故、この手は抗ったのか。
喉を逆流してきた血に噎せながらも動揺する少年に、彼女は突き刺した小刀から手を離すと、少年の頬を両手を包むように触る。
そして、光差す空の下、布の下に隠していた顔を曝け出すように、微笑んだ。
色素が抜けてしまったかのような、真っ白な髪と。泣き腫らしたかのような、紅い瞳が、慈しむように自身を見下ろしていた。
「こうなるように、仕向けたのは……私なのですよ。ユウ」
そもそも、『代行者』である彼女は、物理を受け付けない。
鉄の扉で閉ざされた地下へ入るのに、その扉を通り抜け。降り注ぐ瓦礫にも構わず外へと出た彼女に、ナイフの刃ごときが貫けるはずがない……はず、だった。
だというのに。
まさか、と少年は僅かに声を震わせる。
「ヤミウラ……アンタ、も……俺に……」
殺されたかったのか。
最期までは言えなかった。
彼女は否定せず、肯定もしなかった。ただ血を流しながら、微笑み続けた。
「ユウ……貴方には、まだ、未練が残っています。私では……貴方の依頼を、叶えきることが、できなかった」
「っ、ちが……違う、俺は、もう――」
「貴方のお師匠様の、本当の遺言を、お伝えします」
吹き出る血に構わず叫ぼうとしたところで、声を失った。
彼女は続ける。
「貴方に、自由になって欲しい、と」
――生かすには難しく、殺すには愛おしく、あの施設という環境下において何もできずに地下へと閉じ込めることしかできなかった、あの子を。どうか。
もはや何も言えなかった。
二人分の血で、二人分の血溜まりができている。
このままでは、異常の核は、消滅しきれずに成り上がってしまう。未練を残した怪異と化して、無秩序な死神と成り上がって、周りを全て巻き込んで死を振りまくモノへと。
「ユウ……っ……私の、跡を継いで、くれませんか」
彼女は満面の笑みで、そう告げた。
「貴方の異常を、私が、背負うので……代わりに、私の、跡を」
継いで、自由になってくれませんか。
それがどういう意味になるのか。
その時の少年に、考える余地はなかった。
半ば強引に。
半ば諦めて。
笑顔で消えゆく彼女に、少年は、頷いて見せた。
×××
空はすっかり、見知らぬ色をしている。
雨が、降り出していた。
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