3.


 施設には二種類の子供がいる。

 一つが、先の三人のように暗殺者として教育され、その期待通りに成る者。

 そしてもう一つが、暗殺者としては成りきれず、かと言って普通には生きられない殺人衝動を抱えている、規格外の殺人鬼。


 コードネーム『殺鬼さつき』――それも、規格外という烙印を押された失敗作の、その内の一人だった。


「あぁ、なんだ。お前か」

「なんだ、じゃねぇだろ。オレだってわかってて先にそこの三人……あ、いや二人は相打ちしてっから一人か。そっちの相手を優先したくせによぉ」

 少年の言い方に殺鬼は呆れた声を上げ、そしてやれやれと肩を落とした。さらには盛大な溜め息すらも吐いてみせる。

「あー、ったくよぉ。上手いこと逃げ出せるかと思ってたのに、兄貴が来ちまったんじゃなぁ」

「兄、になった、覚えはない」

「オレの兄弟子なんだから、兄貴でも間違いじゃねぇだろ。なぁ、兄貴」

 言いながらも、殺鬼はその手に持っていたダガーナイフを逆手に持ち替え、構えた。

 生温い風が、少年の黒髪と、殺鬼の肩より少し長くくすんだ銀髪とを、僅かに揺らして過ぎていく。

「わりぃけど、見逃してもらうぜ。兄貴」

「……見逃す……?」

 殺鬼の薄い朱色の瞳と、少年の漆黒の目がかち合う。

 その瞬間、殺鬼は動いていた。

 地を蹴って前へ、少年へ突進するように駆け出す。暗殺者にはなれない規格外であれど、動きは教育を受けた者と同等かそれ以上。地面に並べられていた遺体を軽々と飛び越え、あっという間に少年との距離を詰める。

 一直線の突進は軽く避けられるが、殺鬼も避けられることは想定済みだ。すぐに地を滑りながらも方向転換し、ガシャン、と乱暴に拾い上げたライフルを少年へと向ける。

 それは三人目が持っていたライフルだ。突進に見せかけて銃器を奪取することに成功していた殺鬼が、でたらめに引き金を引く。三人目ほどの射撃性能はなくとも、ばらまかれる銃撃によって少年が後退すれば成功だ。充分に引き離し、ライフルの弾が尽きた瞬間に背を向けて駆け出す。

 廃屋の周りは森林になっている。まずはあの木々が作る暗闇に滑り込み、あとは全速力で逃げる作戦だった。

 が、あと一歩で暗闇に入るというところで、背後から空気を裂いて何かが飛んでくる。

 刹那、脇腹に激痛が走った。ガンッと目の前の木に、何かが突き刺さる。あれは、二人目が持っていたナイフか。

「っ、クソッ」

 痛みを堪え、悪態を吐きながら、殺鬼は背後を振り返る。そしてすぐに後悔した。


 自身の真後ろに少年の姿と、宙を踊るように舞う、黒い鎖が飛んできていたからだ。


 咄嗟に身体を翻して逃げようとするも、すでに遅い。飛んできた鎖がジャラリと金属質な音を立てながら殺鬼の腕に絡みつき、バランスを崩して木にぶつかったところを、さらに木の幹ごと殺鬼を縛り上げる。

 これがただの紐であれば手に持つダガーナイフでなんとかなっただろうが、殺鬼の身体に巻き付いたのは細くとも頑丈な鎖である。動きを封じられてしまい、その上強く縛り上げられ、呻きながらも殺鬼は顔を上げる。

 鎖は少年の袖口から伸びていた。鎖の先端には錘にもなる小さなナイフがついており、手首と腕の振りによって自由自在に操れる。つまりは暗器の一種だ。どうりでガラス破片であったり相手から奪ったナイフだったりでしか攻撃しないと思っていれば、どうやら今回の少年の装備はそれだけだったようだ。

「はぁー……まぁ、兄貴に自分の得物を使わせられただけ、頑張った方か……」

 ここに来て三度目の溜め息を吐く。

 逃げ切れないと悟り、殺鬼は脱力した。せめて最後はあまり痛みませんように、等と思いながら目を閉じる。

 だが、想像した痛みはなかなか来なかった。首を傾げて再び瞼を持ち上げた殺鬼は、見下ろしてくる少年を見やる。

「なんだよ兄貴。殺すならさっさとしろよ」

「いや、殺す、つもりはない」

「は?」

「ただ、話を聞きたかった、だけ」

「話? なんだよそれ」

「なんで、お前等、殺し合ってたんだ?」

「……はぁ?」

 呆気に取られて、まじまじと少年を見上げる。明かりのない暗さと少年の伸びすぎた前髪で表情はよくわからなかったが、前髪の隙間から辛うじて見える右目は、まっすぐに殺鬼に向けられており。

「……え、マジで? 師匠から何も聞いてねぇのかよ」

「ない」

「じゃぁなんで、アイツらを――」


 その時だった。

 地面が揺れる感覚がしたと思えば、にわかに辺りが明るくなる。しかし日が昇る時間帯になったわけではない。光源を目で追えば、それは廃屋。入り口や窓に赤い光が揺らめいていると思いきや、それは廃屋全体を一瞬にして包み込んだ。

 炎だった。

 廃屋の内側から上がった火の手は、数分も立たずに全てを飲み込む。もしもあの中に居れば、火の手が上がったと思った頃にはすでに逃げ場がなく、あの炎に巻かれていたことだろう。

 それほどに、計算尽くされた、計画的な火災だった。

「あぁー……なんだ、そういうことか」

 炎を見つめ、殺鬼は心底嫌そうに呟いた。

「兄貴も、オレたちと同じ……処分対象だった、ってぇことか」


 ×××


 廃屋に集められていたのは、施設内部で処分すると決定された子供たちだった。

「オレだけが対象だったってんなら、まぁオレは規格外だからいい加減邪魔だったんだな、って納得できたんだけど。アイツら勝手に相打ち始めるしさぁ? そこに兄貴が来たから、オレだけじゃなくてコイツらまで処分対象なのかよって、それだけでも意味わからなかったってぇのに」

 拘束を解かれた殺鬼が言う。

 少年は燃えさかる廃屋を見つめている。それでも、殺鬼の声は聞こえていたようだ。視線は固定したまま、背後の殺鬼へと問いかける。

「処分の、理由は」

「知らねぇよ。オレだって聞きてぇぐらいだ。殺意が強いだけで売り物にならねぇオレならまだしも、どうして完成品のアイツらまで対象になってたんだか……それこそ、師匠しかわからねぇんじゃね?」

「……師匠、か」


 少年があの廃屋内に極力留まろうとしなかったのは、ただの直感である。

 廃屋内の空気が淀んでいたように感じた――ただそれだけ、である。普段の少年であれば、自身の気配を隠しやすい廃屋内に迷わず入り込んでいたはずだ。だからこそ、わかってしまう。

 廃屋に仕掛けられた炎は、殺鬼を含めた子供全員を始末し終えた少年を殺すための罠であったのだ、と。


「……」

 少年は目に焼き付けるように炎を見つめ。

 細く長く、息を吐く。

 そして無理矢理に視線を逸らすと、後ろを振り返った。

「殺鬼」

 背後の殺鬼は、まだ血が止まっていない脇腹を手で押さえながら立ち上がったところだった。唐突に名を呼ばれ、目を丸くする。

「うぉ……兄貴に名を呼ばれたの、もしかして初じゃね? ってかオレの名前覚えてたんだな」

「見逃して、やる。行けよ」

「へ?」

「師匠には、黙っててやる」

 脇腹を押さえたまま、殺鬼はぽかんと口を開ける。が、すぐに正気に戻って首を横に振った。

「いや、見逃してくれんのは助かるけどさ。兄貴はどうすんだよ。その言い分だと、まさか施設に戻るつもりじゃぁ――」

「戻る」

「――……マジかよ」

 流石に理解できない、と殺鬼は呆れた声を出す。

 少年を殺す為の罠を仕掛けた施設側だ。戻ったところで碌なことにはならないと、少年自身もわかっているだろうに。そうは思うものの、忠告する気は起きなかった。


 炎によって照らし出される少年の右目を見れば、そんなことを口に出すのも憚れたからだ。


 もう殺鬼には用は無い、と少年は背を向けて歩き出す。

 その後ろ姿に向かって、殺鬼は呟くように言葉を投げた。

「兄貴でも、そんな顔するんだな」

 言葉は聞こえていたが、少年は答えることもなく、歩みも止めなかった。

 ここへと連れてこられた時の、最初の場所へと戻る。そこから廃屋の入り口を、改めて見つめた。

 煌々と辺りを照らす朱い炎は、今や廃屋の外壁すらも舐め回している。日が昇る頃には焼け焦げた残骸しか残らないだろう。

 そんな、自身の死に場所になるはずだった場所を、ずっと見つめる。

「……師匠が……俺を……」

 動機など、それだけで充分だ。

 自覚なく噛みしめていた唇から、血が一筋流れ落ちた。


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