2.


 夢を見た。

 夢、とすぐにわかったのは、何も色が無かったからだ。

 建物も地面も何もかも、白か黒かしかなく、モノクロに統一されている。

 それは、空を見上げても、同じだった。


(色がないのは、俺が何も、知らないからだ。外のことも、自分のことも)

 目が覚めてすぐに、少年はそんなことを考えた。瞼を開けても天井は黒一色であり、これでは起きているのか、まだ夢を見ているのか、見分けがつかない。

「……あれ」

 唯一の光源がある方向へと顔を向ければ、そこにはポツンと椅子が置かれているだけだった。『代行者』、もとい彼女の姿はない。

 暗闇の中で身体を起こす。辺りの気配を探ってみるが、どこにも彼女の気配は感じられなかった。

 そも、彼女は最初、壁を通り抜けてきたのだったか。であれば、同じようにこの部屋から出て行くのも容易なのだろう。

 そう考えている間に、彼女の気配が壁を通り抜けて現れる。

「あら、おはようございます。よくよくお休みになられていたようですね」

「そう?」

「外はもう夕方近くでしたよ。にしても、ここにいるとどうにも、時間感覚が狂ってしまって仕方ないですね」

「まぁ……それは、そうだろうな」

 そもそも時間感覚なんてものすら覚えの無い少年は、曖昧に返事をする。そんなことよりも、と少年は暗闇から声を投げかける。

「どこ、行ってた? 外?」

「いえ少し、上の様子を見に行っていました。なんだか騒がしく感じたので」

「騒がしい……?」

 真っ黒な天井を見上げる。

 そこにあるのは、地上からの一切の音を遮断する分厚い天井のみ。騒がしさなど到底感じられるものではなかったが、しかし確かに、何故だか違和感があった。

「……。……何か、あった?」

 その違和感の正体が掴めずに、少年は少し声を潜ませる。

 彼女は照明下の椅子へと戻りながら、口元だけで苦笑する。

「ええ、何かがあったのでしょう。とは言っても、部外者である私には何が何だかわかりませんでしたが」

「まぁ、それも、そうか」

「ですが、すぐに何かしら動きがあるでしょう。こちらへ戻ってくる際に、貴方のお師匠様が、地下へと行くようなことを話されていましたから」

「え」

 天井から視線を下ろし、彼女を見る。

 少年の周りの空気が、ほんの少し震えた。

「師匠、が?」

「あぁ、えぇと、黒髪で右目に傷痕がある、隻眼の男性でしたよ。てっきり、あの人が貴方のお師匠様だと思ったのですが」

「ああ、うん……確かに、それが師匠、だけど……」

 少年は言い淀む。

 その声からは、動揺が感じ取れた。彼女は布の奥に潜ませている紅い瞳で、暗闇にいる少年を観察する。

「なにか問題でも?」

「……いや……」

 そうしている間に地下へと何かが降りてくる足音が響いてくる。

 地上からの音を遮断しているこの空間内でも、地下へと降りてくる足音だけはよく響いて聞こえるのだ。その足音が鉄の扉前で停まれば、自然と少年も彼女も口を閉ざす。さらに重々しい音と共に鉄の扉が動けば、二人の視線はそちらへと向くしかなかった。


 扉向こうの逆光により、その人物の表情は窺えない。

 それでもシルエットから、それが少年の師匠である男だと、彼女にもわかった。少年の周りの空気が一瞬揺れ、息を止めたかのように固まったからだ。

「――出ろ。仕事だ」

 男の視線は彼女を通り越し、暗闇に留まっている少年へと向けられている。

 その暗闇から、少年の返事が投げられる。

「何が、あったんだ。師匠」

 思いの外、少年の声は落ち着いていた。

 しかし男の方はそんな少年を気に留めることもなく、機械のように受け答えた。

「お前は知らなくていいことだ」


×××


 車に荷物のように詰め込まれて運ばれた先は、どこかの廃屋だった。

 例によって時刻は深夜。昨夜に引き続いて月も見えない闇夜だ。車から放り出された少年は癖のように夜空を見上げた後、走り去った車を見送る。誰もいなくなったところで、少年は溜め息を吐いた。

「貴方、いつもあんな感じで運ばれているんです?」

「いや、なんでアンタがいるのか、ってほうが、問題な気がする」

 少年が後ろを振り向けば、当たり前のように彼女もそこに立っていた。深夜でも相変わらず頭から布を纏っている彼女は、辛うじて見える口元だけで笑ってみせる。

「貴方と正式に契約を交わした訳ですし、きちんと状況を把握するためにも、勝手ながら同行させて頂きました」

「ああ、うん……そもそも、俺にしか見えてないし、勝手もなにもない、けど……」

 少年が車に詰め込まれているその傍で誰にも咎められずに少年の横に乗り込み、静かな車内で場違いにドライブを楽しんでいた彼女である。そんな彼女の様子に呆れながらも、少年は廃屋を見上げた。

 元は何かの倉庫だったのか。錆で文字が読めない看板が地面に転がっている。扉は壊されているようで入り口は解放されているが、その向こうは僅かの光も零れてこない漆黒がひしめいていた。

 そこに人の気配はない――否。


「……何か、いるな。複数」

「4人ですよ。あぁ、いえ……今、一人減りました」

「減った?」

 どういうことかと少年が彼女へと視線を移した瞬間、廃屋の中から音が響いた。

 金属同士がぶつかって崩れたような音だった。静寂が包んでいたこの場に、その音はよく響く。もう一度ゆっくりと廃屋を見上げた少年は、片目を眇めた。

「なるほど……殺し合い、か」

 見上げた先の廃屋の窓ガラスが、派手すぎる音をたてながら割れ、少年の上へと何かが落ちてくる。

 難なくそれを避けながらも落ちてくるモノを目で追えば、それは人だった。しかも、すでに事切れている死体である。

(俺と、同じぐらいの、子供……)

 そこまで視認した刹那、少年はすっと身を地面に伏せる。ヒュッ、と先程まで少年の頭があった位置を切り裂いて地面を穿ったのは、銃弾だ。銃声は聞こえない。

 考えるよりも先に身体は動く。2発目、3発目の銃撃を地面を転がって回避しつつ散らばっているガラス破片を拾い上げ、銃弾の軌道を予測して破片を投げる。先程ガラスが割れた窓へと真っ直ぐに飛んだ破片はすぐに軽い音を立てて割れたようだが、同時に銃撃は止んだ。その間に少年は廃屋の入り口へと身を滑り込ませる。

 少年を出迎えたのは、空気を裂くように突き出された刃物の切っ先だった。

(気配を、上手く消し切っている……)

 ゆらりと切っ先を避け、相手の手首を掴む。は、という短い相手の息遣いを感じながら、手首を掴んだ位置から予測した相手の胴がある場所へ的確に蹴りを入れれば、かはっと呼吸が乱れる音が聞こえた。

 体勢を崩した相手の手首を強く引いてから離し、背後に回り込んでその背を入り口から外へと蹴り出す。そうして前のめりに外へと押し出された相手の、その頭部を、先程まで少年を襲っていた銃撃が射貫いていった。

(また、子供)

 外に転がった二つ目の遺体は、少年よりも少し小さい。そんな年端もいかない子供だったというのに、あの完璧すぎる気配の消し方、技術力、そして、冷徹さ。

 ああ、と少年は息を吐く。

「つまり、俺と、同じか」

 この廃屋にいるのは、少年と同じ施設の子供だ。しかも、暗殺者としての教育が完了している子供であろう。

 わからないのは、何故、子供達が殺し合いをしているのか、だ。

 考え事は長く続けられない。すぐに傍にあった棚へと身を翻して隠れた。途端に、銃弾が棚の背に当たり跳弾する音が廃屋に響く。

 廃屋の中は外で見ていた通り、光が届かず見通しが悪い。闇に目が慣れても奥にあるものまでは視認できない。

 ただ、さきほどの銃弾は廃屋の奥の方から撃たれていた。それに、見通しが悪い中でも上へと続く階段があったのを少年は見逃していなかった。つまり、狙撃手はあの階段からこちらを狙って――

(いや、違う)

 廃屋内の空気が僅かに動いていることを、少年は感じ取っていた。視線を入り口の方向へと向ける。そこには今まさに、あの割れた窓から外へと飛び出したのであろう、ライフルを持った子供がひらりと地面へと着地しているところだった。

 おそらく、あえて階段から少年を狙撃することで廃屋の奥にいると思わせ、背後を取るつもりだったのだろう。が、最小限の音だけで地面へと着地を終えた子供がライフルを構えた時には、もうすでに、少年がこちらへと向かってきていた。

 咄嗟に銃口を向けようとするが、もう遅い。少年から飛び出す銀の一閃が見えたと思った時には、狙撃手の視界は暗転していた。


×××


 三つ目の遺体が、廃屋の外で他の二つと並ぶ。

 少年は暫くそれを眺めていた。観察し、考察し、ゆっくりと息を吐き出す。

 そして背後を振り返った。

「いるのは、わかっている。来いよ」

 呼びかけたのは、廃屋の中。

 少しの間を置いてから、相手は観念したように姿を現した。

「……あーあ。やり過ごそうと思ってた、ってぇのに。見逃してはくれねぇか」

 少女にも少年にも聞こえる、中性的な声。

 廃屋から出てきたのは、またしても子供である。ただし、こちらは他の三人のような暗殺者として育てられた子供ではない。


 暗殺者になれない、未完成で規格外の、鬼もどき。

 コードネーム『殺鬼さつき』。それが、そこにいた。



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