第90錠 黒と色彩のアーティスト⑪ ~廃棄~


「黒崎~!」


 一学期が終わる終業式の日。

 彩葉は、幼馴染である樋口に、呼び止められた。


 通知表をもらって、若干、気持ちが沈んでいた彩葉は、それを気取られぬようランドセルに片づけると、明るい笑顔を向けて返事をする。


「どうした?」


「夏休みに入るしさ。前に言ってたお化け屋敷に行ってみようぜ!」


 それは、この星ケ峯では、有名な話。


 四丁目の大きな屋敷には、昔、この町一帯を牛耳っていた名家の令嬢が、執事や使用人たちと暮らしていたらしい。


 だが、ある日突然、行方不明になったらしく、そして、その理由が『神隠し』にあったから。


 しかも、そのありえない話は、今も尚、語り継がれ、様々な憶測が飛び交っていた。


 お嬢様は、執事と駆け落ちして逃げんだとか、遺産相続で揉めて殺されたとか。


 嘘かホントか変わらないような噂は、今も山のようにあり、そして、取り残されたように佇むその洋館は、子供たちの間では、お化け屋敷と言って親しまれていた。


 だが、彩葉は、あまり噂には興味がなかった。

 むしろ、興味があったのは


(お母さんが言ってた絵、今もあるのかな?)


 彩葉は、幼い頃、母が言っていた話を思い出す。


 母は、あの屋敷の中に、とても美しい絵画があると言っていた。


 そしてその絵を『完璧な絵』だとも言っていて、あの屋敷の絵画を見たのをきっかけに、母は絵を描くようになったらしい。


 だから、正直、その絵は見てみたいと思っていた。


(やっぱり、黒い絵なのかな?)


 母が描くのは、いつも黒かった。

 ならやっぱり、屋敷にある絵も黒いのか?


(お化け屋敷にある、不気味な黒い絵。イメージ通りと言えば、その通りだな)


 想像すると、ちょっと怖いような気もしてくる。


 だけど好奇心の方が勝っているのか、屋敷の中に、入ってみたいと思っていた。


 だが──


「なぁ、樋口」


「ん? なんだ?」


「行くのはいいけど、どうやって入るの? あの屋敷の塀、めちゃくちゃ高かったけど」


 だが、彩葉は、ふと思い出す。


 いくら、寂れた廃墟と化しているとはいえ、さすがに名家の屋敷だけあり、その守りは完璧だった。


 入口の門は完全に封鎖されていたし、屋敷を取り囲む塀は、頑丈な上にバカ高い。


 しかも、塀の上には、デザイン性に優れた鉄柵まで取り付けられていて、あれでは、中にはいるのは不可能に近かった。


「行っても中に入れなきゃ、意味ないと思うけど?」


「ふっふっふ! もちろん、考えてあるぜ!」


 すると、樋口はドンと胸を張り、彩葉の問いかけを、あっさり吹き飛ばす。


「実は見つけちまったんだ。を──」


 

 それは、熱い熱い夏休みの出来事。


 一生、忘れることができない、黒い家族の


 ──悲しいお話。










 黒と色彩のアーティスト⑪ ~廃棄~











 ✣✣✣


「はぁ……」


 就業式が終わり、自宅へ帰宅する途中、彩葉は、またあの公園に立ち寄っていた。


 毎回、通知表をもらう時は、憂鬱な気分になる。

 しかも今回は、前回よりも結果が悪くなっていた。


(どうしよう、絶対、怒られる……っ)


 帰ったら、父は通知表を見せるだろうし、この結果を見たら、また激しく怒り、手を上げられる。


(……もう、痛いのは嫌だな)


 やっと前の傷が治ってきたところなのに、その上をまた殴られるのだろう。

 

 痛みは、積み重なるたびに恐怖を植え付けて、父の顔を見るだけで萎縮する。


「はぁ……」


「彩葉ー!」


 すると、その瞬間、背後から声をかけられた。

 見れば、そこには、スーツ姿の五十嵐がいた。


「こんな時間に来てるなんて、珍しいな?」


「今日は、終業式の日だったから」


「あぁ、もう夏休みか。いいなー、小学生は」


 どこか気の抜けた笑顔を浮かべた五十嵐(山根)は、東屋の中に入るなり、彩葉の隣に座る。


 こうして、顔を合わせるのは、何度目だろう。


 この公園でよく会うからか、今では、気兼ねなく話せるようになり、こうして隣に座るまで打ち解けた。


「通知表は、どうだった?」


「………」


「なんだ、喋れなくなるくらい悪かったのか?」


 暗い顔をする彩葉に語りかければ、彩葉は、ランドセルの中から通知表をとりだし、それを山根に手渡した。


 まさか見せてくれるとは?


 山根は驚きつつ通知表を受け取り、ファイル式になっているそれを、パラリと捲る。


 だが──

 

「ん? これの、どこが悪いんだ?」


「◎の数が、前より減った」


「あぁ、なるほど。でも、ほとんど◎で、○は2個だけだろ。△なんて一つもないし、むしろ、良すぎるくらいだろ」


「…………」


 通知表は、見たところ悪くはなかった。


 先生からのコメントも、いい内容ばかりだし、こんなに優秀な通知表をもらって来たら、親は誇らしくおもうだろう。


 だが、彩葉的には、悪かったらしい。


「もしかして、通知表を見せたくなくて、寄り道してるのか?」


「うん……でも、見せたくないのは通知表だけじゃない」


「まだあるのかよ」


「うん。あのさ、おじさん。これ、くれない?」


「え?」


 そういって、彩葉が差し出してきたのは、筒状にまるまった紙の束だった。

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