第五章  勇者、雌伏?

第23話  抜け殻

「……! カイ!」


 小鳥が囀るような声が鼓膜に染み入り、弛緩した思考が回転を再開した。意識は失っていなかったと思う。

 ぼやけた視覚が焦点を結ぶ。


 そこにはピンクの髪の少女が黄金の瞳に気遣わしげな色を溶け込ませて、俺の顔を覗き込んでいた。


「……ロクサーナ……」

「カイ……」


 どうやら土間のような硬い土の上に寝かされているらしい。天井があるってことは、室内か。


「俺は……どのくらいこうしていた?」

「半日です」


 随分長い間、ぼうっとしていたもんだ。できればこのまま姿もぼけてこの世からいなくなれればよかったんだけど。

 上体を起こすと、横から俺の顔を見下ろしていたロクサーナは向かい合う場所に座った。メフルの姿はない。恐らく、周囲の警戒でもしているのだろう。


 ロクサーナはまた心配そうな視線を向けてくる。


「……笑っていいよ、ロクサーナ。俺は所詮、元の世界に帰るために戦っていただけなんだ。召喚魔法陣が壊されたくらいで心が折れて……このざまだ」


 また絶望感が湧き上がってくる。

 ロクサーナは笑っていた。


 当然か。

 『勇者』とか持て囃されていながら、元の世界に帰れなくなったくらいで使いものにならなくなるんだから。大した不良品の兵器だ。

 だが次の瞬間に、彼女の純金のような瞳から涙が溢れ、はらはらと頬を伝い始めた。


「よかった……このまま抜け殻みたいになってしまうのかと思いました……」


 はっとして彼女を見つめる。

 今度はそれに気づいた彼女がそっぽを向いて、目元を掌で覆い隠してしまった。


「ああ……わたくし、何をしているのかしら。出会ってたったひと月の殿方に涙を見せてしまうなんて……」

「え? あ……ごめん」


 慌てて謝ると、ロクサーナは首をぶんぶんと振りながら両手でグシグシと頬を擦った。


「いいえ、いいんです。でも聞いてください……」


 ロクサーナが縋るような表情を向けてくる。

 俺は……もう、彼女が言うように抜け殻とさほど変わりない。

 でも彼女はこんな俺に、話しかけてくれる。

 それだけでもちゃんと聞かなくてはならない理由として十分だ。例え別れの言葉であったとしても。

 ロクサーナが口形を確かめるように口を開いた。


「カイ……あなたが元の世界に帰れなくなったことは、どう慰めていいのか見当も付きません。わたくしも、このガファスに二度と帰れなくなったら、同じ世界にいるとしても、とても……辛いです」


 ロクサーナは慎重に言葉を選び、懸命に俺の絶望感を察しようとしていた。


「ロクサーナ……」

「わたくしはガファスが好きです。ですが、城はガシェールムの一派に占領され、自分の部屋に戻ることもままなりません」


 彼女は今、まさに俺と同じ境遇になりつつある。

 俺と同じ、ぼんやりとした絶望に、片足を沈めようとしている。


「でも……この数日、とても楽しかった……」

「……?」


 思わずロクサーナを見つめる。

 彼女の頬にはもう涙はなく、花のように可憐な笑顔があるだけだ。


「偶然かも知れませんが、命を助けてもらって、それから罠に引っ掛かったり、二人っきりで真っ暗な通路を探検したりして……あなたがいると何だか安心できて、不安なことを乗り切る勇気が湧いてくる……そんな気がしたのです」

「強いな、ロクサーナは」

「いいえ。カイと一緒にいると強くなれるのです……変ですね。味方の『王』たちよりも敵の方が安心できるなんて」


 ロクサーナの瑞々しい声と輝く笑顔に、俺の絶望感が癒やされていくのを感じる。彼女は僅かな恥じらいを見せながらも、俺の目を見つめ返してきた。


「このひと月、ずっと悩んでいました。父の本当の仇もわからず、鎧の中にこそこそと隠れ、味方もほとんどいない……『自分には何もできない』と。でも、あなたが教えてくれた……わたくしを無力にしていたのは何もできないと思い込んでいるわたくし自身の心なんだって」


 そして、ロクサーナが発する雰囲気が労りから鋭いものへと変わり……彼女の黄金の瞳が俺の目を射た。


「カイ……わたくしは、エルナール軍と『貨の王』ガシェールムを排除し、ガファスを取り戻したい」

「え?」


 ロクサーナの声色から、固い決意を感じる。無敵のログス鎧と凶悪なメフルがいても至難の業と感じるが、彼女の声に迷いはない。


「カイ、辛いのはわかるつもりですが、お願いします。どうかわたくしと一緒に……いえ、わたくしがガファスを取り戻すのを近くで見守ってください」


 ロクサーナの強い意思が俺の心を固く包み込んだ絶望に突き刺さり、黒く醜い殻を砕いていく。


 ……ああ、そうか。

 俺は今、兵器や用心棒の別名である『勇者』としてではなく、一人の人間として彼女に必要とされているんだ。


「……いいよ。もしかしたら本当に側で立っているだけかも知れないけど……俺でよければ」

「ありがとうございます。もしわたくしが弱音を吐いてしまったときは、支えてくださいね」

「もちろんだよ」


 いるだけで力になれるなら、今の俺にもできそうだ。落ち込みついでに、裏切った味方より助けてくれた敵に力を貸そうじゃないか。

 僅かに戻ってきた気力で立ち上がる。

 続いてロクサーナも軽やかに立ち上がる。が、はたと何かに気づいて、ログス鎧の腰に装着された小物入れを探り始めた。


「……そう言えば、先程あなたの師匠が投げつけてきたものを預かっていました。カイに有利になる、とか聞こえてきたものですから……何だかわかりますか?」

「投げた? ナイフみたいなもののことかな」


 俺はロクサーナが差し出してきたものを受け取り――


「……っ!」


 それが何なのか理解した途端、俺は言葉を失った。

 口が、まるで酸欠の金魚のようにぱくぱくと開閉する。

 それはひと月前、俺がフェリオロに刺されたときに使われた『聖鍵せいけん』と、奪われたチートアイテム【神技を与える者】だった。


「『死者の種』は、命令に逆らった者をアンデッドにする効果があるマジックアイテムです。生産はガファスでしか行われていないはずなので、上層部同士で取引され、恐らくはカイに味方しそうな者に埋め込まれたのだと思います。あなたの師匠はナイフを投げるまでは生きていました。ということは、これを渡すために、少なくとも自分自身に『忘却フォーゲットフルネス』や『偽記憶フォルスメモリー』の魔法を掛けるくらいのことはしていたはずです。かなり大切なものなのでは?」


 二つのアイテムを見つめ続ける俺の顔を、ロクサーナはじっと見守っていた。

 そうか……そうかよ、師匠。


「くっくっくっ……」


 口許から笑いが漏れる。

 同時に目許からは涙が溢れてきた。

 ジーベルトは、エルナールに持ち帰られた【神技を与える者】を俺に渡すために、命懸けで一芝居打ったに違いない。なんという人だ……


「大切? ああ……たった今、師匠の大切な形見になった」


 視界が涙で揺らぐ中、背中のスロットにチートアイテムを差し込む。

 左腕の痣の四つ目に【神技を与える者】という文字が浮かび上がり、全身の筋肉が師匠のきついしごきと剣技の動作を思い出した。


 笑いの発作が収まる。

 俺は荘重な動作でハンカチを創り出し、頬を濡らす液化した恩を拭った。腹に気合いを入れ直すと、ロクサーナの方へ向き直る。


「ロクサーナ……どうやら、力になれそうだ」

「カイ? ……ありがとうございます」


 フェリオロ、そして師匠を餌に仕立て上げたエルナール人共。よくもまあ、いいように使ってくれたもんだ。

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