第22話  師に刃を向ける

 ジーベルトが冷たい声で俺の裏切りを告発する。

 一年前、俺を熱心に指導してくれた時とは、声の温度がまるで違う。


「待ってくれ、師匠。皇帝は倒したじゃないか。依頼は果たした。ルグノーラがそこにいるなら聞いたはずだ!」


 メフルが不快そうに身じろぎしたのを感じる。

 だけど、行き違いが争いに発展することはよくあるから、ここは正さなくちゃいけない。

 何より、俺にこの世界で生きる術を教えてくれた師匠――ジーベルトとは戦いたくない。

 ジーベルトは相変わらず平板で感情に乏しい口調で言葉を返してくる。


「カイ、確かにお前は魔皇帝を倒した。だが、重傷のお前がなぜガファスでひと月も生き長らえた? ガファスの民に心を蝕まれ、エルナールを裏切り、勇者としての力をエルナールに向けるつもりだからだ、と国王陛下はお考えだ」

「ば……馬鹿な!」


 思わず口走る。

 『勇者』の名の下、意思を持った兵器として綺麗事では済まない仕事をさせられたこともあった。だが、最終クエストを完了した途端に用済みとばかりに消しに掛かってくるとは、一国の王としてあまりに非情じゃないか。


「散々使い倒されて、一年も掛けてようやく魔皇帝を討ったのに、捕虜になった途端に裏切り者扱いか⁉」

「ではなぜ敵の……『道化の王』と行動を共にする? エルナールに仇なす大罪人だぞ」

「ログスは、俺を捕虜として自国の捕虜と交換するために丁重に扱ってくれている。今、身内のゴタゴタで交渉が遅れているんだ。戦はまだギリギリ始まってないし、もう少しくらい待つよう進言してくれてもいいだろう? 俺はそれだけの働きはしたはずだ!」

「お前も勇者なら、我が国にとって後顧の憂いになるような存在は自分の命を賭して殲滅するのが筋だろう」


 ジーベルトとの遣り取りをしながら、違和感が湧き上がる。

 彼はこんな杓子定規な男ではなかったはずだ。それに……話し方に抑揚が乏しい。『誰かに言わされている』話し方だ。俺の懸念をよそに、ジーベルトは感情の乏しい声で話を続ける。


「勇者カイ。今なら疑いも晴れよう。『道化の王』の首を刎ねてこちらへ持ってこい」

「断る! ログスは、魔皇帝が死んだ混乱に乗じて殺されかけた俺をずっと助けてくれた。少なくともその恩を返すまでは、ログスを殺させるわけにはいかない!」


 俺はログスを庇うように半歩前へ出る。ロクサーナはともかく、ログスは今の俺より確実に強いのだが、今はそういう理屈じゃない。

 するとジーベルトは、初めて感情を込めた溜息を吐いた。そして、おもむろに長剣を――魔術師なのだが――抜く。


「私と剣を交えても、か?」

「師匠、まさかあんた……」


 俺の言葉をジーベルトの剣気が遮る。


「一年間の成長を見せてみろ!」


 言うや否や、ジーベルトは魔術師離れした踏み込みと共に剣先を突き込んできた。


「っ!」


 抜き打ちで刺突を跳ね上げる。

 反応できたのは【命の器】の感覚向上のお陰だが、ジーベルトは隙を見せることなく逆袈裟を落としてくる。何て速さだ!

 太刀筋が見えるだけに、いつこちらの反応速度を超えた攻撃が来るのかわからないという恐怖が内心を支配していく。


「ぬんっ!」


 剣を弾いたと思った瞬間、ジーベルトはその慣性力を殺さない角度から左薙ぎを放つ。

 剣を構え直す暇さえない速攻に、辛うじて長い柄で受け止めると、ジーベルトの刃が火炎を撒き散らした。『フレイム・ソニックスラッシュ』か。この運動能力でしかも魔術師とか、反則だ!


「ちぃっ!」

「剣を取り落とさなかったことは褒めてやる」


 とても褒めているとは思えない表情のままジーベルトは剣先を引き、コンパクトな構えを見せる。

 まさか……


「しゃぁっ!」


 すり抜けざまの右薙ぎ。

 威力を削ぐために引きながら受け止める。次は背後……振り向く暇はない。剣先を後ろに回して、ほぼ同時に衝撃……


「生身で、チート、技、とか、人間じゃねえ!」


 薄氷を踏むようなギリギリの防御と回避。【神技を与える者】のスキル『ペンタグラム』を、生身の魔術師が使いこなすとは!


「甘いぞカイ。これはもともと人間の編み出した剣技だ」

「ま……マジか……。奥……深すぎ……」


 死の恐怖とそれが過ぎ去った安堵、そして間髪入れないジーベルトの攻撃。

 肺が酸素を求める。

 心臓が早鐘を打つ。

 ちっ、避けて受けているだけでは勝ち目が……


「ぼうっとしてるんじゃないっ!」


 息を整える暇もないジーベルトの攻撃。

 重い踏み込み音。

 反射的に打ち返す動作からいなす動作へと切り替える。直後に体幹まで響く衝撃。その一撃の重さに、受け止めた剣ごと後方に吹き飛ばされ、無様に尻餅をついた。剣を手放さなかっただけよくやった……いや、ラッキーだったと言える。

 師匠、本当に魔術師かよ⁉


「終わりだ」


 立ち上がろうとした次の瞬間、ジーベルトが懐から何かを取り出し、投擲してくる。

 それはやはり魔術師離れしたスピードで俺の心臓に向かって飛んできた。

 とにかく回避だ……が、間に合う投げ方をしてくれたはずもなく、身をよじった俺の鎖骨の下に突き刺さった。


「ぐっ……」


 すんでのところで呻き声を飲み込む。

 視界が僅かに黄色に変わり、ダメージを受けたことを伝えてきた。

 立ち上がる隙を見せれば、恐らく二本目が来るに違いない。

 かと言って座ったままという選択肢もあり得ない。

 師匠、俺をここで仕留める気か⁉

 いよいよまずい――思考が堂々巡りを始めようとした時、ジーベルトの身に異変が起きた。頭と胸を押さえて苦悶の表情を浮かべている。


「師匠?」

「ジーベルト様、何を投げているんですか⁉」


 ジーベルトはルグノーラが詰問するのを無視して、己の剣を放り投げるとぎこちない動きで俺を追い払う仕草をした。


「に、逃げろ。私の身体に、宮廷魔術師長バリサビオン様が『死者の種』を埋め込んだ。お前に有利な言動を取ると、私の身体は種に乗っ取られるようになっている……私は今、何かお前のためになることをしたらしい」


 え?

 俺の身体にナイフを刺したのが?

 よくわからない。

 それより『死者の種』って何だよ⁉

 その間にもジーベルトは顔から血の気を失っていく。何か話そうとしている口は、もはやまともな言語を紡いではいなかった。


「な……何が起きている? 師匠は勇者召喚の重要なスタッフのはずじゃないか? やめろ……やめてくれ」

「あら。カイ様、何を狼狽えているの? 元の世界に帰れなくなるから? 大丈夫よ。ジーベルト様がいてもいなくても、もうあなたの召喚魔法陣はバリサビオン様が破壊してしまったから……でも安心して。あたしが養ってあげるから」

「……え?」


 今、何て?

 召喚魔法陣を破壊?

 じゃあ、俺は元の世界に……帰れな……


「う……ぅぅぅああああああああああああーーーーーー!」


 肺が勝手に息を吸い、口が勝手に叫び声を上げる。

 視界が色を失い、ぼやけていく。

 脳神経が金属的な何かに遮断されていく。

 全身の血液が振動しながら体内をせり上がってくる。


「あああ、ぁ、ぁ、ぁ……」


 やがて、血の味と共に肺から空気が失せ、気づくと膝をついて空を見上げていた。


「あらら。こっちも壊れた?」


 ……ルグノーラが、何か言っている。何だろう?


「あたしのものにする許可、もらってたのにな……まあいいわ。『死者の種』の寄生者も厄介だから、二人とも片づけちゃって」


 ……もういい。どうでもいい。

 草を踏むたくさんの足音。

 弓を引き絞る音。

 そして……


 目の前が黒と金の物体に遮られ、金属と金属がぶつかり合う硬質な音が豪雨のように鳴り響く。


「わたくしを助けてくれるはずの方が、なぜじっとしているのですか⁉」


 力強く低い声が、俺に怒りと僅かな憐憫を叩きつけてきた。


「…………」


 もういい。

 放っておいてくれ。

 そう言おうと思ったが、口は思うように動かず、声も満足に出なかった。


「ログス様。伏兵がいた以上、急いで場所を変えた方が……」

「わかっています! ……カイはわたくしが運びます……」


 金属の何かに身体が持ち上げられる。

 そして意識が混濁していった。

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