第24話 棍の王の館
三日後、俺たちは結構な早朝からアルドの館の前に立っていた。
慌ただしさは感じられない。
ということは、恐らく戦場ではまだ睨み合いを続けているのだろう。
玄関ドアを叩くと両開きの扉が細く開き、光る目がぎょろりと睨めつけてくる。
「はい、ただいま旦那様は……っ!」
客が誰なのか理解した目の主は大急ぎで、しかし極力静かに扉を開き、俺たち三人を中へ招き入れた。騒ぎ立てないところを見ると、どうやら親ログス……少なくとも反ガシェールム派と見てよさそうだ。
先程の目の主――灰色の鬚を生やした子どもくらいの背丈の男――に案内され、応接室に向かう。
俺は波風を立てないよう、ログスの後ろに付き従う風を装うことにした。
メフルが俺を警戒してさらに後ろに立つ。
鬚の男はサマンといい、アルドの屋敷で執事をしている者だと紹介された。
「サマン、アルド殿はどちらにらっしゃいますか?」
ログスは移動の時間も惜しいとばかりに、サマンと話し始めた。さすがは中身皇女外観隠しボスのサラブレッド、威厳が迸っている。
だがサマンは卑屈な様子も見せずに慇懃に応対する。
「ご主人様は皇帝陛下が崩御してから一度お戻りになったきり、ずっとお出かけになっています。身を隠していらっしゃるようで、私にも行方がわからんのです。ですがご主人様も『王』の一角、さほど心配はしておりません」
「そうですか……」
ログスの渦中は表情を微塵も見せないが、語尾だけが一瞬の落胆を垣間見せた。
サマンが気を利かせて話題を変える。
「それより、ログス様こそ、なぜ勇者など連れているのですか?」
「元は捕虜交換のために命を預かっていただけなのですが、この混乱した八日間にいろいろ助けられて……今では『例の摂政気取り』よりよほど信頼のおける存在です」
「ほほう……」
サマンが急に振り返り、低い身長から俺の目を見上げる。眉根を寄せてしばらく顔を観察していたが、何やら納得して頷いた。
「うむ。私も、この男は騙し討ちする面構えではないと見ましたぞ」
納得したように何度も首肯するサマン。
何だかよくわからないが、サマンにも気に入られたようでよかった。
応接室に通されると、ログスは人間が使うには大きすぎる寸法のソファに腰を掛けた。
俺は隣にあった小さい種族用のソファに座る。
ログスが声を発した。
「ところで、わたくしを館に招き入れたということは、陛下の死に関してアルド殿から何か聞いている、ということでしょうか?」
サマンは無言で頷いた。その顔には、魔皇帝の死に乗じて摂政面をしているガシェールムへの苦々しい思いが滲み出ていた。しかし、さすがは執事。すぐに表情を収める。
「エルナールが攻めてきている事態に内戦は避けたいのですが……」
言葉を濁すサマン。
しかし、その後に「ガシェールムには従わない」と続くのは明らかである。ガファス奪回の助けとして大いに期待できそうだ。
ログスもそれを感じ取ったようで、鎧の継ぎ目から期待感が滲み出ている。
「では、アルド殿はガシェールムの専横からガファスを奪回する気がある、と?」
「私からは何とも。それに、『王』の数的に戦力が拮抗しても、絶対的な旗印でもなければ戦いは長引き、結果としてエルナールを始めとした諸外国に足元を掬われることになりますぞ?」
「旗印、ね」
ふと呟いた俺の言葉を、サマンが耳聡く聞き咎める。
「勇者よ、何を知っている」
「何も。ただ、魔皇帝には娘がいたはずだ、と思ってな」
俺が発した言葉に、サマン、ログス、メフルが同時に視線を刺してくる。
「ここ数日行方不明といわれている、ロクサーナ皇女殿下か。一人娘でいらっしゃるし、大儀の旗印として申し分ない」
ログスは、自分の正体にそれほどの価値があるのかと今更ながらに驚きつつも、アルド付きの執事に交渉を持ちかける。
「実はロクサーナ……殿下は、わたくしが保護しているも同然なのです」
「な……何と!」
サマンが身を乗り出す。
「で……では、我らが立てば御味方に……?」
「ええ。わたくしが申し上げれば必ずお出ましになります」
「私も保証します」
ロクサーナ付きメイドのメフルも、ログスの話の信憑性を高めるべく助け船を出す。
「……ログス様もメフル殿も随分な自信ですな」
サマンはふふっと笑った。
「よろしいでしょう……アルド様の説得はお任せ下さい。万一説得に失敗しても、『緑の軍』所属、サマン隊はログス様の下で戦わせていただきます」
「心強いです」
ログスのベルベットのような声が、心底嬉しそうに弾けた。
反撃の準備が整うとサマンはメイドを呼び、茶と軽食を運ばせた。
弁柄色と言ったか……濃い赤茶色に淹れられた紅茶と、スコーンのような菓子だ。
空が白む頃に朝食を摂っていた俺たちの胃は食べものを求めていたので、美味しくいただくことにした。ログスは正体を見せるわけにはいかないし、空腹にならないように中の肉体を制御しているので、実際に食べたのは俺とメフルとサマンだ。
ロクサーナは鎧の中で羨ましそうにしているかも知れない。
食事を終えると、俺たちは各自一室ずつ客室を提供され、休息することになった。
とにかく広い客室だ。小さい頃、家族旅行で『旧特別室』とかいうだだっ広い部屋に泊まったことがあるが、それ以上だ。
「…………」
俺は【
掌から鉛筆に魔力が流れ込み、左手の【神技を与える者】の痣が赤く染まり……
「……ペンタグラム」
技の名前を呟いて一歩踏み出すと、あとは身体が勝手に動き始める。
俺の右手に握られた鉛筆は虚空の見えない相手をほぼ同じタイミングで五回打ち据えていた。
「ふう……」
スキルは問題なく発動するようだ。身体もきちんとついてきている。
チートアイテムのチェックを終えると、部屋の隅にあったライティングテーブルに鉛筆を置き、窓辺に寄る。
美しく刈り込まれた植栽、睡魁のような花の咲く池、緑がかった石畳で舗装されたロータリー。広大な敷地を囲む石塀の向こうには農地が広がり、できたばかりの麦の穂が揺れている。
この館はさながら、黄緑色の海原に浮かぶ箱船のようだ。エルナールで読んだ資料では、『ごつごつした岩場の多い痩せた土地』とか書いてあったはずだが。
「すごいな……ん?」
広大な農地に目を奪われていると、視界の端に異変を感じた。軽く砂塵が舞っている。
「何だ、ただのトラクターか……って」
そんなわけあるか。
急いで剣帯を付けて長柄ブロードソードを吊ると、ログスの部屋へと向かった。
扉を若干急いでノックする。
「なあログス、おかしなものが見え……」
「待て、クソ人間」
部屋の中からメフルの声がする……ああ、鎧を脱いで寛いでいたのかな。
ややあって、高さ二・五メートルはある扉が開くと、ログスが窮屈そうに顔を出した。
「どうしたのですか?」
「畑の向こうに砂が舞い上がっているところがある」
「何?」
メフルがログスの陰から離れ、早足で窓に向かう。閉じられたドレープカーテンを細く開いて外を窺うと、すぐに戻ってきた。
「手柄だ、クソ人間。至急、サマン殿にお知らせせねば」
メフルは、いつもの機能性が全くないメイド服の腰にブロードソードとマン・ゴーシュを差した剣帯を手早く巻く。
「……まずい奴なのか?」
俺の問いに、メフルは振り返りもせず答えた。
「敵襲だ」
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