第15話 廃屋の番人
その建物は、さっきの上級宿泊施設の裏手にひっそりと立っていた。あまり手入れのされていない感じの建物は、レトロと言うよりは古びたと言う表現がしっくり来る。
入り口には、鱗の生えた狗頭の男が粗末な椅子に腰掛けていた。老いてはいるが、あの大きなサイズはコボルド・キングだ。何気ない様子でうたた寝をしているように見えるが、その半眼は周囲を注意深く見張っている。
「あの建物、なのですが……」
ログスが言い淀む。
「何か問題でもあるのか?」
「あの……今のわたくしでは、隠し通路に通してもらえないので……」
「ああ、あんたも指名手配されちゃったものな」
「あ……まあ、そんなところです」
さて、どうしたものか。あのコボルド・キングの様子からいくと、注意を逸らせて不意打ち、というのも難しそうだが。
「カイ様、どうする? 強襲かしら」
「急かないで、ルグノーラ。ここは人質を取ろう」
「いえ、あの者は人質などでどうこうできる相手ではありません。例えそれが『王』であっても」
「いいや、ログス。その逆だよ」
こんな緊急事態だからこそ、うまくいく可能性がある。俺たちは早速物陰で準備に入った。
大きな人影を感じたコボルド・キングは大儀そうに顔を上げた。しかし、目に映った相手を理解するなり、幽霊を見たような形相になる。
「ロ……ログス様」
ついさっき捕縛命令を出されたログスが、左右の腕でぐったりとなった勇者と盗賊を抱えながら歩み寄っていく。
「お勤め、ご苦労様です」
ログスの容疑は、勇者一行を保護したことだったはずだ。ログスが生死不明な勇者一行を抱えて現れたことは、どうやらコボルド・キングに好印象を与えたようだ。
「ログス様、ちゃんと勇者を捕まえて戻ってきてくださったんですね。ガシェールム様から、ログス様がガファスを裏切ったと伝えられたときには、ヒヤヒヤしましたよ。その手土産があれば、ガシェールム様の疑念も晴れましょう」
なるほど、ログスを裏切り者扱いしたのは、ガシェールムね。
ガファスも一枚岩ではないようだ。
「ええ。ガシェールムの言ったことは間違いです……」
ログスが、怒りを押し殺したような声色で答える。
コボルド・キングに違和感が生じたのか、筋肉が僅かに強張ったのが見て取れた。
「ログス様?」
「わたくしがガファスを裏切ったのではなく、ガシェールムめが恐れ多くも陛下を弑逆し、臣下の分際で専横をほしいままにしているのです」
ログスが両腕の筋肉を緩めた。
拘束されていたはずの俺とルグノーラが両脇から落下し、着地する――と、ルグノーラはそのまま石畳を蹴って老コボルド・キングに肉薄し、眉間に突剣の柄頭を叩き込んだ。
声を立てる間もなく崩れ落ちるコボルド・キング。
「一応、殺さないでおいたわ」
「感謝します。あなた方には魔物に見えるかも知れませんが、わたくしたちにとっては大切な臣民なのです」
顕術でロープを創り出す。
ルグノーラが気絶したコボルド・キングの両手両脚を縛り、ログスが椅子の横にそっと寝かせる。
一応、周囲に目撃者がいないことを確かめた上で、廃ビルのような建物の中に足を踏み入れた。
廊下は高校のそれと変わりないような幅で、両脇には古びた箱や謎の袋が積み上げられている。床も埃っぽいが、どこも人が通れる幅が確保されているのが逆に不自然さを感じさせた。
三回ほど角を曲がると、壁に並んだ扉が鉄製の頑丈なものに変わった。見分けが付かない錆びた鉄扉の中、ログスがそのうちの一つを選び、立ち止まる。
「ここです」
「ふぅーん。この扉だけ蝶番の手入れがされているわね」
ルグノーラが呟きながら扉を軽く調べる。
「……魔術的な施錠がされているわ」
俺を見上げるルグノーラ。
だが、隣に立っていたログスが進み出て手をかざすと、錠はひとりでに外れた。
「ログス。これはもしかして、ガファスのお偉いさんが脱出のために作った通路なのでは?」
「あ……ええ、その通りです」
ログスが小さい地鳴りのような声で答えた。
「本来、皇族が城から脱出するために作られたものです。今はそれを逆に辿ろうというわけです。部外者に知れてしまったので、今後は作り直さなければなりませんが……」
ログスは、そう呟きながら扉の中を覗き込み、何事かを確かめると口を開けた闇の中へと足を踏み入れていった。
「ルグノーラ、俺たちも行こうか」
「ちょっと待って」
ログスについていこうとした俺の袖を、ルグノーラが掴んだ。
「あいつの言うこと、信じるの? 皇族でもない奴が脱出路を知ってるって、おかしくない?」
「うーん、敵である俺たちに討伐令のことを教えてくれたくらいだし、今のところはついていってもいい……っていうか、それが一番無事に脱出できる可能性が高いんじゃないかと思うんだけど。ルグノーラはどう思ってるの?」
「あたしだったら……」
ルグノーラは少し首を傾げると、口を開いた。
「宿に行く途中で見た雑多な建物の中に何日か身を潜めて、追跡の波が弱まったところで脱出するわ」
「なるほど……」
ルグノーラの言うことも一理ある。
ログスは敵、しかも『王』を名乗る中ボス集団の一員だ。助ける振りをして、最後の最後に俺たちの身動きが取れなくなったところで牙を剥く、という可能性も大いにある。だが、寝込みを襲われるはずだった討伐令をいち早く教えてくれたのもログスだし、包囲網は時間が経てば経つほど狭まる。
そしてバブレーフの言葉を借りるなら、今やログスも捕縛命令が出ているお尋ね者。『敵の敵は味方』という考え方もできなくはない。
俺が丸め込まれている気もするが、今はログスを信用できる気がした。
「でも……ここは、ログスについて行ってみないか?」
「でもカイ様!」
「あいつも今はお尋ね者だ。それに、何か罠があっても、ルグノーラがいれば安心だろ?」
「えっ⁉」
言葉を詰まらせるルグノーラ。頬が紅潮し、視線が泳いでいる。
「そ……それはもちろん、カイ様のためなら罠だろうと『王』だろうといつでもどこでも……って、何言わせるのっ! その話はガファスを脱出した後よ!」
何かルグノーラが一人ではしゃいでいるけど、ここはログスについて隠し通路を進んでいくことに落ち着いた。
「じゃあ……行くよ」
俺たちは意を決し、四角い口を開けた闇の中へ足を踏み入れた。
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