第16話 隠し通路の罠
隠し通路の中は、新月の夜道を歩くような暗さだった。天井には、今までの地下道と同じくらいの間隔で空を投影する照明が取りつけられてはあるのだが、いかんせん今は深夜だ。これ以上の明るさは期待できない。
チートアイテム【命の器】が即座に視覚補正をかけてくる。すると視界がふっと明るくなり、この通路がかなり精密に組まれた石造りの廊下であることが見て取れた。
数歩先には身長三メートル弱の人影――ログスが所在なさげに待っている。
「暗いですが……見えますか?」
「ってことは、あんたは見えてるんだな」
「はい。この鎧が暗いところを見えるようにしてくれます。他にも凄い機能があって、危険を察知すると脱げなくなるんです!」
ログスが誇らしげに胸を張る。それって、半分くらい呪われたアイテムかもよ。
ルグノーラの方へ視線を向けると、彼女も大丈夫だ、と頷いた。
ルグノーラはこの程度の光量があれば普通に活動できたはずだから、今ここで動けない者はゼロ、ってわけだ。
「まさか、この道を使う機会が訪れるとは思いませんでした」
ログスのバリトン声が、心なしか寂しげだ。味方に裏切られたのだから、無理もないか。
「わたくしたちは、少なくとも今は運命共同体です。地下を抜けるまでは命を大事に、立場を忘れて休戦としませんか」
「……いいわ。でも、疑わしい行動したら、後ろから刺すから」
「ええ。少なくとも城に着くまでは、甘んじて受けます」
ログスの覚悟に、ルグノーラは渋々引き下がる。
これでようやく先に進めるって訳だ。
先を見渡してみると、目の前からすぐに十字路になっていて三つ叉に分岐している。意意図的に同じデザインにしていると思われる分かれ道は、素人の俺から見ても罠の予感しかしない。
横ではルグノーラが、表情に警戒の色を浮かべながら、それぞれの道に視線を這わせている。
「十中八九、罠があるわね」
「ええ。さすがは勇者パーティの盗賊ですね。でも大丈夫です」
背中の武器に手を伸ばすログス。
ルグノーラが反射的に突剣の柄に手を掛けるが、それを制する。大丈夫……殺気は感じられない。
ログスは二振りの武器の内からショートスピアの方を取り出すと、俺たちに柄の部分を示した。そこには何か図案のようなものが刻まれていた。
「これは?」
「この図案は通路の地図になっていて、暗闇でも指で辿れば正しい道順がわかるようになっているのです。何でも、ショートスピアの名手だった過去の『剣の王』が、柄に地図を隠して持ち歩いていたことに由来するのだとか……」
ログスが感慨深げに説明する。
エルナールのことしか知らなかった俺にはピンと来ないけど、色々な歴史があるもんだな。
「じゃあ、早速案内してくれよ」
「わかりました!」
ログスがショートスピアの柄を探る。樹形図のような刻みを指でなぞると、迷いなく左の道を指さした。
「こちらです」
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
「ええ、間違いありません。不安でしたら、わたくしが先に進みましょう」
ログスが意気揚々と左の通路に突き進む。
次の瞬間、金属音と風切り音の凶暴な合唱とともに壁と天井から槍が打ち出され、視界を格子模様にした。
「ログスー!」
「ああ……罠ね」
さすがのルグノーラも、声に哀れみを滲ませる。
槍格子の向こうで痛々しいストップモーションを晒すログス。
隣でルグノーラが小さく溜息を漏らした。
「仕方ないわ。ここは『道化の王』の犠牲を無駄にせず……」
がらん、という槍の落下音が、ルグノーラの口の動きを止めた。
音の発生源を見ると、ログスの身体が小さく揺れている。
「息が……あるのか?」
思わず口を突いて出た呟きに反応するように、ログスの右腕が鎧の継ぎ目に引っ掛かった槍を払い落とした。
「ほあ、驚きました~」
「マジか……」
驚いたのはこっちだ。
あれだけの槍の直撃を受けて無傷とは、彼の鎧は余程強力なマジックアイテムに違いない。
「やれやれ、心配して損したな」
ルグノーラに視線を向けると、彼女は既に他の道について調べ終えていた。
「じゃあ行くぞ、ログス」
正しいルートは正面だったらしい。そこだけ罠が設置されていなかった。そりゃそうだ。皇族の脱出路に解除せねばならない罠が大量にあったら、使い勝手が悪すぎる。
俺たちは早速、罠のない道を進み始める。しかし、その足は妙な声によって止められた。背後から、除霊され掛けた怨霊のような低く掠れた声が聞こえてくる。
「罠は……ないんだよな?」
「霊的なものまでは感知できないから……」
ルグノーラと視線を合わせる。そして呼吸を合わせて一気に振り返る。
背後には……何もない。
「……まさかね」
再び進行方向へと顔を向け……
「たす……けて……」
「!」
反射的に、再びルグノーラと見つめ合う。
「き……聞こえたよね?」
「今、霊体系と遭遇するのはまずいわよ」
身体が勝手に耳を澄ませてしまう。
声は罠が仕掛けられた方から聞こえてきた。過去に罠で命を落とした者が霊となって彷徨っているのか……
「……助けて……早く助けてください! 動けないんです~!」
「ログスかよ⁉」
「わたくししかいなかったじゃないですか~」
急いで十字路まで戻る。
槍の罠があった道に目を向けると、ログスが未だに不自然な姿勢で立ち尽くしていた。無事だとわかると滑稽なポーズだな。
「ログス……何やってるんだ?」
「鎧の可動部に槍が挟まっちゃって。どかそうにも届かない場所があるんです~」
ログスが泣きそうな声で窮状を訴えてくる。
ルグノーラはというと、俺の視線を感じてぷいっとそっぽを向いてしまった。
「……ここは『道化の王』の犠牲を無駄にせず……」
「いやいやいやいや」
とりあえず、ログスは何本かの槍がつっかえ棒のようになって動けないようだから、助けに入ってやるか。
「……他に罠はないみたいよ」
ルグノーラが口を尖らせる。
俺は安心して、ログスを動けなくしている槍を引き剥がしに掛かった。驚くことに、柄まで鉄拵えの槍が降ったにもかかわらず、ログスの鎧には傷一つ付いていなかった。
金属板の継ぎ目に引っ掛かった槍の穂先を外してやると、ログスは石畳に座り込んだ。
「ふう……二度ならず三度までも命をお救いいただき、感謝の言葉もありません」
「気にするなって。今は迷宮攻略の仲間、だろ?」
大袈裟だな。しかも始めの二度は勘違いだし。
「カイ……優しいのですね」
親しみの籠もったログスの低い声が、身体に悪寒を走らせる。
「あ、ああ。そうか? まあ、先へ進もう」
「はい!」
ログスが気を取り直し、立ち上がった。先程のショートスピアを取り出して柄を探る。
「では行きましょう。次の分かれ道は……右です!」
二つ目の十字路に辿り着くと、ログスは意気揚々と右の道へと立ち入る。その道もやはり今までと同じデザインになっていた。奥の方には、直径一メートルを超え……る、鉄球が……まずい!
次の瞬間、俺はルグノーラに襟首を乱暴に掴まれ、無理矢理十字路の手前に引き戻された。
驚愕に見開かれたままの俺の視界を、動体視力ゲームのようなスピードで右から左へとすっ飛んでいくログス。
左の通路から、大型の石同士が擦れる不吉な合奏が始まった。
恐る恐る左の通路を覗くと、そこでは吐き気を催す光景が展開されていた。通路全体が縦にうねり、天井と床からせり出した無数の石壁がログスに何度も打ちつけられている。まるで巨大な歯が異物を咀嚼しているかのようだ。
やがて、鉄の塊を噛み続けることに飽きたのだろうか、通路は歯を引っ込め、天井と床は元の平面に戻った。
ログスが噛みきれなかった肉片のような乱雑さで十字路に吐き出される。そして、また何事もなかったように立ち上がる。その鎧にはやはり凹み一つ付いていなかった。
「うぷ……気持ち悪いです……」
「マジか……」
コントになりかけている所に、ルグノーラが割って入ってきた。突剣を引き抜くや否や、電光の速さでログスの首に突きつける。
「あんた……自分が無事でいられるからって、一緒に罠に飛び込んであたしたちを殺す気でしょう⁉」
「ち……違います!」
「だったら、地図があるのに何で二度も続けて罠を引いたのか、説明しなさいよ!」
「ですが、わたくしは本当に地図の通りに道を選んだだけで……どうしてこんなことになったのか……」
「待てよ、二人とも!」
見かねてログスとルグノーラの間に割って入る。
放っておくと殺し合いに発展しそうな空気だ。
「地図が間違っている可能性だって捨てきれないじゃないか。ログス、ショートスピアをちょと見せてくれないか?」
「は……はい」
躊躇せずショートスピアを差し出すログス。
ルグノーラの「渡さなかったら殺せたのに……」という呟きを無視して、柄に刻まれているという地図を確認し――
こ……これはっ!
そうか……だからこいつはあのとき……!
「……わかったことがある」
俺はログスの兜――目がある辺りを見つめる。兜が唾を飲み込むように揺れた。
「お前の地図の見方……上下が逆だ」
「ほえっ?」
間抜けな返事をするログス。
ルグノーラは突剣を突きつけるのも忘れ、一歩、二歩と後ずさった。
「ま……まさか、一国の将たる者が、地図を逆さに見て気づかないなんて……」
「だって……初めて使ったんですもの~」
極太のバリトンで情けない声を出すログス。
だが、分かれ道の度に罠に引っ掛かる問題は解決しそうだ。
「二人とも、先へ進もう。これでうまくいくかどうかは、次の十字路ではっきりする。それでいいな?」
「はい、構いません」
「いいわよ」
ログスは自信なさげに、ルグノーラは不満たらたらで返事をした。
またもや罠がなかった正面の道を進む。緩やかなカーブを描いた先に、またもや十字路が現れた。
「ログスの地図によると……今度は左だ」
「あんたが先に行きなさいよ」
間髪入れず、ルグノーラがログスにけしかける。
ログスは自責の念でうなだれたまま、左の通路へと足を運んだ。
一歩、二歩……
個人的には、国家機密級の隠し通路を使わせてくれたログスを信じたい。
三歩、四歩……
同時に、敵の中ボスであるログスを信じ始めていることに戸惑う自分がいる。
五歩、六歩……
我知らず握りしめていた拳に力が籠もる。
ログスの足運びや周囲の壁を注視していたルグノーラが口を開いた。
「罠は……ないようね」
その言葉に、張り詰めていた何かが弾けた。
「うおぉ! やったな、ログス!」
「はい! 信じてくれてありがとうございます!」
ログスに駆け寄って両手でハイタッチ。そして二人で小躍りする。
その行動に眉を顰めるルグノーラ。
「ちょっと二人とも、何だかこの辺りは足場が脆く……」
「えっ?」
はしゃいでジャンプしたログスが着地した瞬間、ごぐっ、という鈍い音が響く。彼の巨大な足が石造りの床を踏み抜いた。
「これはっ⁉」
「罠じゃない! 元々この下には空洞が広がって……!」
「きゃあっ!」
「ログスぅっ!」
石畳に突如開いた穴に飲み込まれていくログス。
俺は咄嗟に手を差し出し、ログスがそれを掴む。
「だ……だめですっ!」
「さすがに……この重量差はっ!」
「カイ様、手を振り解くのよっ!」
ルグノーラが叫ぶ。
だが俺は、何とかログスを助けたいという思いに囚われたまま、引き摺られるように穴へと飲み込まれていった。
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