第10話 実験成果
三十分は掛かってないだろうか。
ようやく、周囲に俺たち三人以外の動く物体はなくなった。
息を整えながらT字路に集まると、ルグノーラとフォリックはもう平静な状態で待っていた。
フォリックに至っては、肩も上下していない。一月も病床に伏していたはずなのに、それまでの鍛え方が尋常じゃないのかな。
下り口に向かう四連扉は、昨日のゴム楔が差し込まれたままになっており、四枚とも半開きで俺たちが戻ってくるのを待っていた。
下り口に繋がる大部屋はがらんとしていて、相変わらす生命の気配は――死者の気配も――なかった。
当座は安全であることを確かめて、改めてフォリックの方へと向き直る。
「フォリックがタイミングよく来てくれたおかげで、あのデカブツを退治できたよ。それにしても、体調の方は大丈夫なのか? さっきも毒ブレスの中に顔を突っ込んでいたけど」
「良くもなく、悪くもある」
「またそれかよ。まあ、あれだけの動きができたのなら、大丈夫そうだな」
フォリックは何だか前より無愛想だ。まだどこか痛むところでもあるのだろうか。それにしても、ポイズン・ジャイアント・ゾンビの毒ブレスをまともに喰らって何ともないとは……これは、死の淵から甦ってパワーアップしたかな?
ルグノーラはと言えば、こちらも何やら怪訝そうな表情をしている。何せひと月以上ぶりのパーティ集結だ。多少ギクシャクするのは仕方ない。彼女はリュックから太矢とクランクを取り出すと、クロスボウに矢を装填し始めた。
彼女が扱うコイルスプリング仕掛けのクロスボウは二連射できるが、威力を高めてあるため再装填に時間が掛かる。さっき一発撃ったから、落ち着いて装填作業ができる時間は貴重だ。
クロスボウの再装填を待つのも兼ねた休息を終え、俺たちは部屋の探索を始めることにした。
「早速、昨日スルーした扉を調べてみよう」
「ええ」
早速、階段から見て左手前の扉に手を掛けてみる。うん、開かない。
「中は結構大きな空洞ね」
ココン、と金属製の扉を叩いたルグノーラが呟いた。どうやら、これも昇降機かも知れない。
二つ目の扉は鍵が掛かっておらず、すんなりと開いた。
中は教室より一回り小さいくらいの部屋で、向かいに廊下が伸びている。
壁や床は黒ずんでいて相変わらず凄い臭いだ。
いつもなら真っ先に文句を言うはずのフォリックが黙っているので、俺も探索に集中することにした。
何の気配もないのを確認して、廊下の先を覗く。
奥は暗がりで、七~八十メートルはありそうだ。廊下の右側は極太の鉄格子で仕切られた部屋が並んでいる。中には何もいないようだ。
「大型モンスターのケージ、か」
つまり、このは飼われていたモンスターの世話をするためのバックヤードってところだろう。
鉄格子の下の方には、餌を放り込む窪みが作られていて、鉄格子の外側から餌をやることができるようになっている。窪みには謎の濁った液体が溜まっていて、くぐり抜けて檻の向こう側へ行くことはできそうにない。
バックヤードを出て、今度は正面の、四連扉の左にある扉を開ける。
中はある程度整頓されている印象を受けた。奥は分厚そうなガラス張りになっていて、向こうは広い廊下になっている。ガラスの手前には、まるで何かの操縦席のような大型のマジックアイテムが並んでいて、触れるには勇気が要る感じだ。
「このガラスの内側で、安全に何かを操作するための部屋みたいね」
「この装置に触るのも危険な気がするし、行き止まりではさしあたって用はないな」
最後は正面右側だ。
ルグノーラが鍵を外し、中をざっと確かめる。
「安全、だけどね……」
奥歯にものが挟まったようなルグノーラの言葉に、恐る恐る扉の中を覗く。理由はすぐに判明した。
廊下の左側が全てガラス張りの保管庫になっていて、中でゾンビが徘徊していたのだ。そいつらは俺たちの姿を認めると、ガラスににじり寄ってきて、腐った頬肉や両の掌を擦りつけてくる。まるで「喰わせろ」とでも言うように。
ビクビクした足取りで十部屋はあった保管庫の横を抜け、その先の左側にぽつんと取りつけられた鉄製の扉を開く。
中は大きなガラスで仕切られた広い部屋になっておいた。広さは二十メートル四方くらい、高さは二階建ての家屋ほどもある。その周囲を取り囲むように廊下が延びていた。
「こいつは……」
俺の呟きに、ルグノーラが反応する。
「作業場のようね。さっきの四本腕スケルトンや、ポイズン・ジャイアント・ゾンビなんかもここで作ったのでしょう。血のついた布とか、片づけてない道具も転がってるわね……カイ様、作業台の天板の横を見て」
ルグノーラが指さした先を、目を細めて観察する。雑に後始末をしたようで、白い作業台の横が赤黒く変色している。
「血痕……かな」
「ええ。あれ、結構新しいわよ」
「……てことは、最近ここが使われた?」
「ええ」
ルグノーラが頷いた。
「下手したら、昨日か……今日かも」
「つ……つまり、俺たちが脱出しようと駆けずり回っている横で、何かの作業が行われた、と?」
「可能性は高いわ。私たちを泳がせて、何らかの実験成果で始末しようとしているのか、もしくは急ごしらえの秘密兵器で片づけようとしているのか……」
自分の喉から、ごくりと唾を飲む音が響いてくる。ここまで来てゲームオーバーとか、絶対避けなくてはならない。
「気をつけて進みましょう」
「カイ。抜かるな……よ」
「もちろんだ。絶対に脱出する」
二人と目配せをし合い、片側がガラスになった廊下を進む。入口と向かい合った位置に開いた出口に辿り着くまで何の異常もなく、廊下も作業場も不気味に沈黙していた。
扉の先は、作業室に入る前と対称のデザインで、やはり左側にガラス張りの保管庫が並んでいた。ただし、中はただのゾンビじゃない。
「黒豹……の、ゾンビ?」
ルグノーラは、パンサー・ゾンビとでも呼ぶべきアンデッドが鼻先を激突させているガラス壁を臆することなく触れつつ、閉じ込められた異形の獣を観察する。
どん、どん、と、鈍い衝突音を響かせるガラス壁に、さっさと通り過ぎたい衝動に駆られ、自然と歩速が速まる。
「犬じゃなくてよかった」
黙って歩くのも息が詰まりそうになり、思わず呟く。
聴力に優れたルグノーラが反射的にガラス壁から指を離した。
「犬、って?」
「昔のゲームで、ガラス窓を突き破って犬のゾンビが飛び込んでくるのがあってさ。ガシャーン、ガシャーンって……」
ガシャーン、ガシャーン。
まさか⁉
いや、そのまさかだった。
説明する俺の視界の端に映ったのは、今まさにガラス壁を突き破って廊下に飛び出してくるパンサー・ゾンビの姿だった。
「ちょうどあんな感じだっ!」
「説明はいいから、突き当たりの扉まで走るわよ!」
「ああ」
三人が同時に駆け出す。俺もある程度トレーニングはしていたから、すぐに息切れということはない。
背後からは「ハフッ、ハフッ」という獣の息遣いが迫っていた。
数十メートルを一気に走る。間もなく扉だ。何もなければ十分セーフだ。でも……
「あの扉さ、鍵とか掛かってたらどうするんだ?」
「掛かってたら、鍵を外している間は二人で食い止めて」
「ええっ⁉ 無理だ! 喉笛を食いちぎられるよ!」
「だったら、鍵がないことを祈って! あと、取っ手に罠がないこともね!」
ルグノーラは叫びつつ、一瞬早く辿り着いた扉の取っ手を掴む。そのまま体当たりするような勢いで乱暴に押した。
開いた!
俺とフォリックも扉の向こうに飛び込む。
ルグノーラも取っ手を軸にして、まるで彼女の周りだけ重力が小さいかのように身をひねらせると、無駄のない動きで着地し、後ろ手で扉を閉めた。
パンサー・ゾンビが鼻先を挟み込んでくるようなお約束がなかったのを確認すると、俺たちはようやく、文字通り立ち止まることができた。
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