第11話 冒涜
「やれやれ……」
ようやく一息吐くことができた。どうせこの部屋もどこからか何か出てくるんだろうから、小休止なんだろうけど。
何とはなしにルグノーラの姿を追う。
彼女は未だ緊張を解いておらず、じりじりとバックしていく。それも俺からというより、フォリックから。
少し休もうと言い掛けてた瞬間、開いた幅の意味に気づいてしまった。
この距離は……フォリックのブロードソードが描く間合いの外だ。
「ルグノーラ、どうして……」
彼女は言いかけた俺を手で制すると、フォリックを睨みつけた。
「ところで……あんた本当にフォリック?」
ルグノーラの問いに、沈黙で答えるフォリック。
「おいおいフォリック、このタイミングでボケをかますのはやめてくれよ。疲れてるんだからさ……」
「カイ様、離れて! フォリックの様子がおかしいわ」
ルグノーラの鋭い声に、反射的にフォリックから跳び退る。
フォリックはと言えば、気分を害した様子もなく、ゆらりとこちらに向き直った。
「カイ、死ぬらしい……カイ、死ぬ……」
ゆっくりと険の柄に手を掛けるフォリック。そして……
脳が一瞬よりさらに短い時間で戦闘モードに切り替わる。
長柄ブロードソードを抜きながらバックステップ。
一秒にも満たない滞空時間。その刹那、鞘を吊った腰と右手に衝撃が走って横に吹っ飛ばされた。
フォリックが数多の敵を葬ってきた、抜剣から超加速する横薙ぎ。柄頭に左手を添えた右薙ぎだったから刀身が受け止めてくれたけど、いつもの――盾の内側から繰り出される左薙ぎ――だったら、肘から先を斬り飛ばされていたところだ。今の一撃は両手持ちで威力が上がっていたが、吹っ飛ばされただけで済んだのは僥倖と言える。
「カイ様!」
ルグノーラが俺とフォリックの間に素早く割り込み、突剣で牽制した。
しかしフォリックはそれに臆することなく距離を詰めてくる。今までならあり得なかった危険な距離から、これまた今までならあり得なかったような大ぶりのバックスイングを始めた。
「馬鹿にされたもの……ね!」
ルグノーラの突剣がミシン針のように連続で打ち込まれ、フォリックの右肩から左肘にかけて糸のない縫い跡を穿つ。
あの位置なら腱が傷ついている可能性もある。それでなくても激痛で腕を動かすのも難しいはずだ。
「こっちが盗賊だと思って油断したわね。さ、詳しい話を……っ!」
突然、ルグノーラの声が途切れたかと思うと、背を向けたまま俺に向かって跳んできた。
その先では、腕を動かすのもままならないはずのフォリックが、袈裟懸けのラインで剣を振り下ろしていた。
「マジか……」
フォリックの剣は慣性がないかのように縦横に往復する。
驚愕することしかできない俺を後目に、ルグノーラはそれを受け流す。だが、こっちは腕利きとは言え盗賊。あっちは勇者パーティのアタッカー。苛烈な攻撃は鬼のようだ。
俺を庇うルグノーラの足は、僅かずつ後退を余儀なくされていた。
「る……の、ら。死ぬ」
ルグノーラの突剣が大きく弾かれたタイミングで、フォリックの体勢が僅かに沈む。この構えは……
「ルグノーラ、連続攻撃が来るぞ!」
「ちっ!」
ルグノーラは俺の警告に反応できただろうか。
ほぼ同時にフォリックは、俺のチート技を模倣した足捌きを繰り出す。身体と武器の重心移動を利用してほぼ同時に三連続の斬撃を放つチート技、『トライアングル』……いつの間に習得していたんだ⁉
勇者のスキルを喰らったルグノーラは、驚異的な身体能力で初撃と二発目を回避し、残りの一撃を受け流す。しかし、さすがに衝撃をいなし切ることはできず、三メートルほど弾き飛ばされて着地してしまった。
「しまっ……」
「カイ、助からない」
こじ開けられた道を、悠々と進んで俺の目の前に立つフォリック。ゆっくりと振り上げられた奴の剣を妨げるものは、もうない。
今度こそ、詰んだ……っ!
「く……来るなっ!」
何が何だかわからなくなって、滅茶苦茶に腕を振り回す。一秒でも長く生きるために。
不意に、掌に何かの感触が現れ、それがフォリックに向かって飛び散った。
「ぐっ⁉ ……ぐあああぁっ!」
いきなりフォリックの口から悲鳴が吐き出される。
見ると、フォリックは剣を取り落とし、両手で顔や首を掻き毟っている。手の隙間からは、火傷のような爛れた痕が見え隠れし、煙を上げていた。
掌にはまだ何かの硬い感覚が残っている。指を開くと、そこには数粒の炒り大豆が握られていた。
注意深く後退し、その炒り大豆をフォリックに投げつけた。
彼はそれを手で払いのける。顔面に命中することはなかったが、手の甲は一瞬で小さな火傷にまみれ、ぶすぶすと煙を上げ始めた。
こ……これはまさか?
即座に両手で何かを捧げる形を作り、【
現れたのは白木の枡。中には炒り大豆――福豆が入れられている。
福豆には穀霊が宿ると言われている。なぜかわからないが、この豆がフォリックにダメージを与えたようだ。
ルグノーラだって俺を庇い続けていたら体力の限界がやってくるだろう。
とにかく、試してみるしかない!
大豆を、枡からこぼれるのも構わず掴み取り、フォリックの顔面に狙いを付ける。大きく息を吸い、気力を奮い立たせる。そして……
「鬼はぁ、外!」
フォリック目掛けて飛び散る大量の大豆。
「ごおおああああぁぁぁ!」
一つ一つの大豆が銃弾のようにフォリックの身を穿った。それ以上に内面――霊的な面にもダメージが及んでいるような絶叫を上げる。暫くして、喉も嗄れるかという大音声を絞り出し尽くしたのか、徐々に声は細くなっていった。
沈黙が訪れる。
フォリックは顔を庇っていた腕を不思議そうに眺め、次いで俺の方に視線を向けた。腕の無残さとは裏腹に、庇われていた顔はさほど酷い傷にはなっていなかった。その表情は、先程までの無機的な感じではなく、懐かしいフォリックのものだ。
「カイ……」
呼ばれてようやく恐怖から立ち直った俺は、のろのろと立ち上がると改めてフォリックと向き合った。
フォリックが頬を引き攣らせるように、無理矢理笑みの形を作ろうとする。
今ならわかる。
フォリックが生きていたなんて、幻想だ。
死体が何かに制御されていた。そしてそれを失った今……
「フォリック、何をされたんだ……」
「カイ。俺は、死ん、だ」
「ああ、わかったよ。最期に本当のお前が戻ってきてくれて、よかった……」
フォリックの姿が涙で歪む。
手を差し伸べるが、彼はそれを拒絶した。
「何でだよ? お前の血なら気にしない……」
「カイ。悲しむ暇はない。俺の、セ、な、か、に、お、ま、え、の、た、から、が……」
それだけ言うと、フォリックは全身の筋肉を脱力させ、床に崩れ落ちた。
「フォリック……」
名前だけを喉から絞り出すのがやっとだった。
何だよ……
何なんだよこれ⁉
俺を殺したければ、堂々と殺しに来ればいいじゃないか!
戦える強者がいないなら、水攻めでも爆破でもすればいいじゃないか!
何でフォリックなんだよ⁉
「カイ様……」
ルグノーラが静かに歩み寄ってきて俺の二の腕をそっと包み込んだ。
「一度死んだフォリックを甦らせ、俺を殺させようってことか? 仮に返り討ちにしても、俺を苦しめることができるって魂胆か? 下種が!」
「カイ様。フォリックは……」
「ああ、そうだよ。俺が脱獄する直前に死んでしまった。頭では非科学的だってわかってたのに……死んだって、わかってたのに……」
「でも、フォリックは最期に何か言い残していったわ。確か、背中がどうとか」
「そ……そうだ」
確かに言った。無理矢理肉体を動かされていたフォリックが、最後の最後に自分の意思で口を動かしたようにも見えた。
ルグノーラは俯せに倒れたフォリックのうなじに小さなナイフを差し込み、衣服を裂き始める。
「お……おいルグノーラ。いくら何でも、仲間の身体にそんな……」
「カイ様!」
止めようとする俺をルグノーラは鋭い口調で制止した。アメジスト色の瞳は真摯で、俺の何倍も死線をくぐり抜けてきた厳しさを秘めていた。
「あたしは、カイ様を生きたままガファスから連れ出すために、ここまで侵入してきたの。状況は時間が経てば経つほど悪化するからさっさと移動したいし、フォリックが何か秘密を持ってきたのならそれが何なのか早く確かめて、使えるものなら利用したい。彼が生きていれば助けたかったけど、あたしはあなたが優先なの!」
「……わかった」
俺が渋々頷くと、ルグノーラは作業を再開した。
縦に裂かれた衣服は両肩の所まで開かれ、フォリックの土気色の背中が露出する。肩胛骨の間には、見覚えのあるサイズの長方形の傷が刻まれていた。中には、やはり見覚えのある箱形の物体が埋め込まれている。箱を固定するため、背には大きなホチキスの針のような物――確か『かすがい』と言ったか――が無造作に打ち込まれ、粗雑な傷跡を晒していた。これは……
「チートアイテムの、スロットだ……」
俺が呻くと、ルグノーラは臆することなく、フォリックの背に埋め込まれたチートアイテムに触れた。
「これが、カイ様の力を取り戻す宝物……」
ルグノーラは呟くと、フォリックの背に打ち込まれたかすがいを躊躇なく引き抜いていく。
俺は横でその作業を見ていた。ルグノーラの作業がまるでモンスターの解体のような手際のよさだったし、自分でやるには酷く抵抗があったからだ。
ルグノーラはタブレット菓子の容器に似た大きさのチートアイテムをフォリックの身体から引き抜くと、付着した黒ずんだ血を拭き取って俺に差し出した。
「これは……【命の器】だ」
「【命の器】……」
俺の呟きをルグノーラが反芻する。
チートアイテム【命の器】は、勇者の生命力と魔力を向上させ、それぞれに自動回復の能力を付与する。また、現在の体調を『見える化』してくれるという便利な機能もある。ダメージの蓄積によってクリアな視界から黄色、赤と代わっていくので無理のしすぎを防いでくれる。そして……
「勇者は、チートアイテムと霊的に結合することができる」
俺は貫頭衣とシャツを脱いで背中を露出させると、肩甲骨の間に【命の器】をあてがう。
アイテムは音もなく肌に吸い込まれ、跡には長方形の痣が現れた。
左腕の痣の三つ目に【命の器】という言葉が浮かび上がる。痣を押してチートをオンにすると、視界に一瞬波紋が走り、疲労がすっと消えていった。身体能力も向上し、周囲の屍臭が際立つのを感じる。
ルグノーラはボタンのような痣をまじまじと見つめている。
六人で旅をしている時は、あまり意識して見せたこともなかったから、物珍しいかも知れない。
「……ということは、フォリックはその宝を身体に無理矢理押し込まれて、あたしたちを襲う怪物に仕立て上げられてということね」
「そう……だね。でも、よく捉えれば、チートアイテムを取り返してくれたとも言えるかな」
「そういう考え方、大事だと思うわ」
ルグノーラは笑顔を作った。感情を引き摺らないのは、彼女の特技と言えるだろう。
でも、こういう塞ぎ込みがちな時には助かる。
気づけば、部屋の奥には上階への階段が口を開けていた。
「行きましょ。今なら時間よりも宝の方が価値があるかも知れないから」
ルグノーラが促す。
「ああ」
俺は返事をしつつ【顕術】で白いシーツを創り出すと、フォリックの亡骸に掛けた。
「……フォリック、こんな弔いでごめんな」
言い残し、俺はルグノーラの後を追って階段室へと飛び込んだ。
今使えるチートは【異言語理解】【顕術】【召喚】【命の器】の四つ。
多少死ににくくなったはずだけど、戦闘系の能力がないままで敵の真っ只中を三フロアも突っ切らなければならない。いや、あと三フロアで地上ってことだ。ルグノーラの手助けも多少はできるようになるはずだし、これで脱出に一歩近付いたはずだ。
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