第9話  意外な増援

「ううーん」


 いつの間にか眠ってしまったようだ。

 夢、だったのか?

 視界には薄汚れた天井が広がっている。にしても、今日はいつもより疲れが取れてないな。ベッドは硬く感じるし、布団もいつもより重くて何だか微かに上下して安らかな呼吸音も……


「っっっ!」


 ル……ルグノーラだ! ルグノーラが乗ってるっ!


 何をした俺⁉ 彼女に迫られた所までは覚えているけど……その後が全然記憶にない! 取り返しのつかないこととか、してないだろうな……

 とにかく、色々とまずいので脱出を試みることにする。

 眠っているルグノーラを起こさないように、そうっと身体を引き抜く。幸い、彼女はやや下の方に乗っていたので、両腕は比較的楽に解放することができた。最後に、脚をゆっくりと抜き取っていく。ルグノーラの細く柔らかな両腿の感触を感じつつ、引き抜くのが脚じゃなくて腕だったらよかったのにとは決して考えていな……


「ん……ぁ……」


 ずざざっ!

 ルグノーラの艶めかしい反応に、思わず一気に脚を引き抜いて壁際まで後退する。まさか、考えを読まれたということはないよな……

 手も足も出ない距離を取って無実を表現しようとする俺が見守る中、ルグノーラは実に機敏に目を醒まし、むくりと起き上がった。


「お……おはようルグノーラ」

「おはようカイ様。あー、よく寝た。何だかとてもいい夢を見ていた気がする」

「い……いい夢、ね」

「何か、カイ様と……いえ、カイ様を……」

「わあーっ! 夢だ夢に違いない!」


 必死で遮る俺の慌てぶりにきょとんとなるルグノーラ。覚えてないのか?

 まあ、俺も後半は覚えてないけど。


「どうしたの? まあいいわ」


 あとはそれっきり、ルグノーラはてきぱきと身支度を調え始めた。


「今日はこの階の下り口まで戻って、放っておいた扉を探索しましょう」


 荷物らしい荷物のない俺は、そのままルグノーラについて部屋を出た。





 廊下は昨日と同じように静まりかえっていた。

 埃がないぶん、床の音が響いていると感じるのは気のせいか。しかし、確かに昨日とは違う空気を感じる。その異常が嗅覚によってもたらされたものであると気づくのには、さほど時間を要しなかった。


「何か臭う……気がする」

「カイ様って鼻が利くのね。明らかに昨日より臭う……これは腐肉の臭いよ」


 さすがに冒険当初のように嘔吐するような失態は犯さないが、不快なことは変わらない。

 昨日の記憶が、鼻腔を通して警鐘を鳴らした。


「嫌な予感しかしない」

「奇遇ね、あたしもよ」


 ホラーゲームじゃあるまいし、昨日閉じ込められていたアンデッドが解き放たれている、なんてことはないだろうな……

 期待は放棄されたエリアを出た途端に打ち砕かれた。アンデッド保管庫から出てきたゾンビと鉢合わせしたのだ。


「そうそう都合よくはいかないよう……ね!」


 ルグノーラが背負っていたクロスボウ――コイルスプリング仕掛けで撃ち出すコンパクトな特殊仕様だ――を取り出すと、抜き打ちで発射する。

 太矢は狙い過たず目標の首筋を貫き、それを喰らったゾンビはバランスを崩して半回転しながら地べたに伏した。

 喜ぶのも束の間、通路の奥で新たな人影が蠢くのを察知する。


「先へ行こうルグノーラ! 保管庫は十部屋くらいあったはずだ。それが全て開け放たれているとしたらまずい!」

「そうね……前はゾンビの十体や二十体、カイ様だけで片づけていたのに」

「面目ないと言っておくよ!」


 倒れたゾンビを跨ぐのに四苦八苦している後続の敵を後目に、俺たちは下り口に向かってダッシュした。

 しかし、二十歩も走る前に停止せざるを得ないことになった。


「……一匹目を見た時に、嫌な予感はした」

「奇遇ね、あたしもよ」


 大通りの曲がり角から巨体を引き摺って現れたそいつは紛れもなく、昨日保管庫で見たポイズン・ジャイアント・ゾンビだ。暗赤色と暗緑色の爛れた身体は、所々から骨が見え隠れしている。だらしなく開いた口元からは、緑色の毒液が滴っていた。ポイズン・ジャイアント・ゾンビは生命の気配を察知してこちらを振り向き、感情がないはずの口元をニヤリと引き攣らせ、必要がないはずの息を吸い込む動作をした。


「ブレスだっ!」


 反射的に左腕でルグノーラを庇い、右手に魔力を込めて目の前の空気を掴むと左に思いっきり振り抜く。視界をクリーム色のカーテンが覆うのと、それが緑色に染まるのは、ほぼ同時だった。


「後退す……るのも結構苦労しそうね」


 ルグノーラの声にちらりと振り向くと、さっきの通路からゾンビが列を成して登場するのが視界に入った。


「……下がりながらゾンビを片づけて、包囲されないように立ち回るしか……ないかな」

「そうね。二、三体は回すから、何とかしてよね」


 作戦は決まった。俺は覚悟を決めて長柄ブロードソードを鞘走らせると、ルグノーラの半歩後ろに陣取って包囲を狭められないように威嚇しつつ、背後を警戒する。

 俺と目が合ったゾンビが口からごぼごぼと汚らしい唸り声を上げつつ、諸手を振り上げた。

 背後ではポイズン・ジャイアント・ゾンビが、俺を襲う順番を待っている目の前のゾンビに蹴りを……⁉ って、やっぱり待たないか!


「ルグノーラっ! 後ろがまずい!」

「じゃあさっさと突破するから、カイ様もこっち手伝って!」

「ああ、もう!」


 掴み掛かろうとしていたゾンビを長柄ブロードソードでなぎ払う。ゾンビくらいならチートアイテムがなくても立ち回ることができる。が、背後はもうすぐポイズン・ジャイアント・ゾンビの間合いだってば!


「WWWGBGBGBRRRRRR!」

「うひっ!」


 急に背後で発せられた一際野太い叫び声と、ぐしゃりという落下音に、思わず肩を竦める。一瞬、攻撃の手が緩んでしまったが、同時に、立ちはだかるゾンビ共の敵意が俺とルグノーラじゃない方へ向いたことに気づいた。

 俺もルグノーラもそんなあからさまな変化を見逃すはずもなく、包囲網が薄くなり始めた所を切り開き、突き崩す。


 包囲の輪を抜けて振り向いた俺たちの目に映ったのは、左腕を肘から失ったポイズン・ジャイアント・ゾンビの姿と、ブロードソードを振り払って腐肉を落としている男の姿だった。

 メタルブルーの髪、白い顔、戦果を誇示する訳でもない細身の肉体、忘れるはずもない。あいつは……


「フォリック!」

「カイ」


 フォリックは表情を変えずにそれだけ言うと、ポイズン・ジャイアント・ゾンビに対峙した。

 ポイズン・ジャイアント・ゾンビがごぼごぼという唸りを上げると、周囲のゾンビたちが一斉にフォリックに襲いかかる。


「…………」


 フォリックはそれを無言で一つ一つ丁寧にかわし、あるいはヒーターシールドで受け止めながら、背後を取られないように立ち回り一体ずつ処理していく。歴戦のアタッカーであるフォリックにとって、ゾンビなど何十体いようと敵ではない。どこからか拾ってきたような古びたブロードソードを酷使し、まるで草を刈るように易々とゾンビを薙ぎ倒していく。


「GBWWWGWRRR!」


 人垣がどんどん薄くなっていくことに業を煮やしたポイズン・ジャイアント・ゾンビが、再度息を吸い込む動作を見せる。


「フォリック、ブレスだ。逃げろ!」


 保管庫方面からの敵を排除しつつ、フォリックに危険を伝える。


「わかってる……」


 短く答えたフォリックは、ヒーターシールドを構える。あれもガファス攻城戦の時とは違う、どこにでもあるようなヒーターシールドだ。てことは、毒に対する耐性はないはず。

 強力な神経毒のガスが、腐った巨人の口から吐き出された。

 フォリックは眉一つ動かさずにブレスをヒーターシールドでかき分ける。そして急速な勢いで緑色に染まっていく大盾を投げ捨てると、一月ぶりに見せた跳躍力で……あろうことか、ガスを吐き続けている敵の鼻先に跳び上がった!


「お……おい!」


 止める間もなく、フォリックは毒ガスが残る空中でポイズン・ジャイアント・ゾンビの首を刎ねると、胸を斬り下ろしながら落下速度を減衰し、見事に着地して見せた。

 一瞬、唖然としてしまったが、フォリックに敵を指し示されて我に返った。


「カイ」

「あ……ああ。助かったよフォリック」


 脅威がなくなれば、あとは残敵掃討だ。

 腕増設スケルトンなどの特殊なモンスターはフォリックとルグノーラに回し、俺はひたすらゾンビを倒す作業を続けた。

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