第5話 脱獄!
「ぐ……が……」
何かが詰まるような、苦しげな呻き声に耳を刺さる。俺の意識は不快な回想から引き戻された。
音の出所は確認するまでもなくわかる。
「フォリック!」
彼の寝かされているベッドに駆け寄る。
フォリックは浅い呼吸を繰り返し、その顔は土気色だ。彼は渾身の力を込めるよう動きで顔をこちらに向け、瞼を開けた。金と黒のオッドアイが力なく俺の顔を映す。
「カイ、俺はどうやら……死ぬらしい」
「馬鹿! 脱出にはお前の力も必要だ!」
「わかってる……だから、俺が死んでも悲しむ暇はない。俺の死体を使ってでも何でもして……逃げろ」
「諦めるな! 何か薬……いや、AED? くそっ、どうすれば……」
脳内を役に立ちそうもない考えが堂々巡りしている。
と、フォリックが俺の腕を掴んだ。
「助からないことは俺自身がわかっている……俺の身体だからな。抜かるな……よ……」
それだけ言い残すと、フォリックの指は力を失い、俺の腕をずるずると滑り下りていった。その顔は生気を失うのと引き替えに、苦悶の緊張から解放された。まるで死が、最期の慈悲だとでも言うように。
「…………」
長い息を吐き、フォリックは死んだ。
初めに俺のパーティに加わったのが、フォリックだった。
俺のために華やかな騎士の地位を捨ててまでついてきてくれた。「しぶとさなら誰にも負けない」と豪語し、左手に下級悪魔を憑依させていて、記憶に一部欠損があり、幼い頃から武器の英才教育を受け、女子の恋心に鈍感で、若い母親と美少女の妹がいて、人狼の血を引いているらしい、オッドアイにメタルブルーの髪を持つごく普通のイケメン。
俺に関わらなければ、こんな所で命を散らすこともなかったのではないか……
……いや。
今は彼の遺言と、遺してくれた最後のチャンスを生かすために、動き始めなくてはならない。
まずは武器だ。
銃はだめだ。
召喚されたばかりの時、試しに【顕術】で創ってみたけど、筋力のせいか技術のせいか、まるで的に当たらなかった。今更、練習している暇はない。それよりも【神技を与える者】に身体を動かされて覚えた剣技の方が役に立つはずだ。
意識を全身に均等に張り巡らせると、脚をやや開き、左腰に左手を添える。何かを持つように構えた左手に右手を寄せ、握るマイム。
イメージは、ありとあらゆる能力が付与された剣。切れ味、耐久性、軽量化、属性効果から、最近よくある血糊が付かなくなるコーティングまで。神話やゲーム攻略本を思い出し、力を創造していく。エクスカリバー、バルムンク、フルンティング……思いつく限りの『最強』をイメージして、右手を空中へと引き抜く。
掌に柄の感触……来た!
手の中に、使い慣れた重量バランスの剣が姿を現していた。刀身はブロードソードのサイズで、柄を両手持ちができるように伸ばした特注品だ。鍔には赤い翼の彫金、そして刀身は漆黒だ。相当な切れ味と剛性、そして魔力付与に対する柔軟性を感じる。空中にスペック表のウインドウとか出たら凄いことになっているんじゃないかと予想されるが、もちろんそんなものは見えない。つくづく過去の脳筋勇者が恨めしい。
……まあ、それはどうしようもないことだ。準備を続けよう。
鎧を着込むわけにはいかないから、服は作り置きのシャツに貫頭衣をかぶり、ジーンズを履く。
次はトラップだ。
フォリックの身体が爆発するような仕掛けは、さすがに気が引けた。
だとすると、網か。
早速、投網のマイムで目の細かい網を創り、ついでに細いワイヤーを何巻きか用意する。黒い色が付いていて、暗がりでは見づらい奴だ。
天井に網を仕掛け、ワイヤーは家具やシャンデリアと結びつけて、簡単な罠の完成だ。俺の立ち位置を変えることで、引っ掛かるワイヤーが変わるようにし、発動する罠が変わるようにした。
念には念を入れて、床一面にオイルを撒く。料理用ではなく、粘度の高い機械油だ。
さあ、やるぞ。
俺は一呼吸すると、鉄扉を揺する。ろくに手入れもされていない鉄扉は、がきがきと耳障りな音を立てた。
覗き窓が細く開かれ、看守のホブゴブリンが顔を見せる。体格こそゴブリンの上位互換だが、知能はそうでもない。
俺はすかさず、号泣を始める。
「おおお! フォリックが死んだー!」
「うるさいぞ!」
看守が覗き窓を閉めかけたところを遮り、なおも訴えかける。
「俺に関わりさえしなければ、こんな所で死ぬこともなかったのに!」
「…………」
「俺はどうなってもいい! どうか、フォリックだけでも埋葬してやってくれ! それとも、ガファスには交戦法規もないのか⁉」
「……うるさい、待ってろ」
扉の裏から看守の気配が消える。どうやら上官を呼びに行ったようだ。まずは第一段階クリア、ってところか。
その隙に、ワイヤーに触れないように部屋の中を移動する。時間を掛けて作り上げた内装や道具たちだったが、持っていくものは扉の陰に隠された剣だけだ。幽閉生活も今日限りだと思うと、否応なしに緊張が高まっていく。
暫くすると、鍵が開けられる音が小さく響き、鉄扉がひと月ぶりに開かれた。
現れたのは……あの金と黒の甲冑だ!
玉座に向かうとき、気になった奴だ。あの時は気にしなかったが、パーソナルカラーの甲冑を飾ってあったということは、もしかしたら四人の『王』と同等の力を持つメンバーだということなのか?
背筋に冷たい感覚が走る。
急にトラップの拙さが気になり出した。
挙げ句、看守のホブゴブリンは三匹だ。
チートを失って、今まで歯牙にも掛けなかった相手からも恐怖を感じる。
だけど、やるしかない!
廊下では、ホブゴブリンたちが、甲冑に頭を下げている。
「ログス様、お手ぇ煩わせて申し訳ありやせん」
「構いません」
ログスと呼ばれた甲冑は、ホブゴブリンの看守に野太い声で丁寧に答えた。
「それより、わたくしが用意した薬などは、しっかり与えていたのでしょうね?」
「そ……それは……」
まるで荒くれの頭目のように凄みを含ませた声で喋る甲冑に追求され、看守は萎縮した。
「すんません」
ログスは兜の隙間から溜息を漏らした。
「転売でもしたのですね。全く、仕方のない。カイ……異世界から来た勇者の方は無事なのですね?」
「へい」
看守が畏まる。ログスは「そう」と短く反応すると、ホブゴブリンの方に向き直った。
「あなたと、あなた。死体を運び出してください」
ホブゴブリンが命令に従い、大きな布袋を持って牢屋の中に入ってくる。
俺がむせび泣く演技をしながらそれとなくホブゴブリンを誘導すると、相手は特に警戒した様子もなくフォリックの亡骸が安置されたベッドへと向かう。
「ぐおっ!」
「ばわっ!」
案の定、遺体に気を取られていたホブゴブリンたちはワイヤーに足を引っ掛け、バランスを崩した所で足を滑らせて見事に転倒した。思わず溜息を吐くログス。
「はあ、全くしょうがないですね。わたくしがやります」
ログスが頭を屈めて牢の中に入ろうとしている。おお、こいつは予想外の嬉しい展開だ。
廊下に残されていたホブゴブリンはさすがに、上司の迂闊さを咎めてくる。
「ログス様、なにもご自身がお入りにならなくても。ここは俺が!」
「なにを言ってるのです? そもそも得体の知れない勇者が怖いから、わたくしを呼んだのでしょう?」
「ですが……!」
ホブゴブリンはまだ何か言いたそうだったが、ログスはそれを控えさせて扉をくぐった。
「わたくしが無理を言って、殺させずに収監してきたのですもの、世話くらいわたくしが見ますわ。その内、両国の捕虜……ん?」
きゅいっ。
ワイヤーが軋む。いよいよ後戻りはできないぞ。
「あ、あれ?」
ログスの腕がワイヤーに絡み取られる。無理矢理動かそうとして、部屋のテーブルが引き寄せられた。
「な、何ですかこれは?」
次いで椅子が、チェストがログスを取り囲み、力尽くで何とかしようとした所、頭上から網が覆い被さる。
「きゃっ!」
足元のワイヤーに躓いてドスの利いた悲鳴と共によろけるログス。その頭上へ、とどめとばかりにシャンデリアが直撃し、クローゼットがのしかかった。さすがの怪力巨体もバランスを崩し、さらに油で足を滑らせて床に倒れ伏した。
うまくいった。あとは、脇目もふらず逃げるのみ。
「悪いな、ログスとかいう人!」
死角に立て掛けておいた剣を大急ぎで腰に下げると、即座に入口に向けて抜剣した。
間合いが発生し、ホブゴブリンは入室できなくなる。
でも、同時に飛び出すのが難しくなった。ここは一か八かだ。一度落とした命だと思えば躊躇は要らない。柄を握る指に力を込める。
と、
「ぎゃぶっ!」
廊下に所在なさげに立っていたホブゴブリンは首から鮮血を吹き出し、扉枠に切り取られた視界から退場した。
代わって現れたのは――
「ルグノーラ!」
「カイ様、助けに来たわよ~」
勇者パーティの一角を成していた盗賊――ルグノーラが藍色のポニーテールを揺らして立っていた。彼女は突剣から血を払い落とすと、地下牢までソロで潜入したとは思えない、甘ったるい微笑みを浮かべた。
「あ、ああ。ありがとう」
急に現れた味方に緊張が緩むのを感じつつ、口からは生返事がこぼれ落ちた。
「さ、こんな薄暗いところからはさっさとおさらばしましょう。ところで……」
そこまで言って、ルグノーラは牢の奥で藻掻いているログス他二名を顎で示した。
「そいつら、どうする? 殺す?」
その声が聞こえたのか、牢の奥で家具に絡まっていたログスは観念したのか、動けない身体をそのままに、兜の奥からこちらを睨みつけてきた。
「くっ、殺しなさい。野蛮なエルナール人め!」
「そう、じゃあご要望にお答えして……」
「待って、ルグノーラ!」
突剣を持つ腕を振り上げようとしていたルグノーラの腕を掴む。
振り向いた彼女は、ログスに向けていた凶暴な表情から一転して、きょとんとした目で首を傾げてきた。
「……どうしたの、カイ様?」
「ルグノーラ、『敵だから予防のために殺しておこう』とかいうの、もうやめよう」
「……そう?」
ルグノーラは残念そうに突剣を鞘にしまう。
殺気も収まるのを確認すると、俺は未だに床に伏しているログスを目だけで確かめる。
「ログス……まあ、そういうわけだから、お互い命がある内は大切にしていこう」
「殺さないのですか?」
金と黒の奇妙な兜が低い声を漏らし、上目遣いでこちらを見上げてくる……ちょっと、命以外の何かが危険なのを感じた。
「殺さない……逃げる時間稼ぎのために、しばらくここに入っていてもらうけどね」
それだけ言うと、俺は自分を閉じ込めていた鉄扉を閉めた。【顕術】で丸太を創り出すと、それでつっかえ棒をする。厳重すぎるか? だって怖いんだもの……貞操的な意味で。
「行こう、ルグノーラ」
ルグノーラに囁きかけると、彼女も頷きを返してくれた。
こうして俺は一ヶ月の刑期を脱獄という形で終え、帰還への第一歩を踏み出した。
何が何でも地上に戻るんだ。命を賭けてくれたフォリックのためにも!
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