第4話 魔皇帝タフリルドース
ラフシャーンとの死闘が繰り広げられた広間と魔皇帝の謁見室との間は、幅六メートルはあろうかという広い渡り廊下で結ばれている。悪の支配者的な凶悪さや、搾取する権力者的な華美さは感じられない。むしろ質実剛健と言うべきその廊下は、両側の壁に窓とタペストリーと燭台とが規則正しく並び、城の主が本当に暴虐で知られる魔皇帝なのかと疑わしくなるような上品さだ。
左右の壁の前には八……いや九体のプレートメイルが飾られている。緑、黄、赤、青という、四人の『王』のパーソナルカラーに塗られたものがそれぞれ二体ずつと、奇妙な金と黒の縞模様に塗装された甲冑が一体。それらはどれも身長が二メートル以上はありそうな者が着るようなサイズで、兜の隙間から虚ろな闇が俺たちを見下ろしている。
窓の外から緊急を知らせると思われるラッパの音が漏れ聞こえる中、俺たちは甲冑が並ぶ渡り廊下を進んだ。
「四人の『王』が魔皇帝を守る、か」
フェリオロが、気味悪げに四色の甲冑を見上げる。
「勇者様、さっさと魔皇帝を殺っちゃってくださいよ」
「わかっているよ、フェリオロ。それにしても……」
この、最後の一体は何だろう。
俺は場違いにも、金と黒のプレートメイルに興味をそそられた。
黒地の鎧に唐草模様のような黄金の曲線がうねっている。凶悪さと滑稽さをない交ぜにしたような模様の鎧は、他の八体とは違って存在感が強く、目が離せない。この鎧は一体何を表しているのだろう。放っといてはいけない気がする……
俺は腰の鞘から剣を引き抜くと、薄気味悪い甲冑の継ぎ目に切っ先を向け――
「カイ、置物なんて見てないで行くぞ?」
フォリックの呼びかけが鼓膜を叩き、急に鎧以外の存在が視野の中で色を取り戻す。
気づくと、みんなはもう数歩先まで進み、振り返って俺に注目していた。
「あ、ああ……」
生返事を返して、改めて九体目の甲冑を目を遣ると、もう妙な気配は消えていた。軽いトラップだったのか、気のせいだったのか……魔皇帝と相対する直前で気が立っているのかも知れない。落ち着け。
小走りでみんなに追いつくと、俺は謁見室に繋がる両開きの扉を押し開けた。
謁見室は小さめの体育館くらいの広さがあり、大理石が敷き詰められた明るいスペースだった。そこに、扉から奥に向かって赤い絨毯が伸びており、突き当たりの二段ほど高くなったその先には彫刻が施された玉座がある。そこに座るのは、巨大……でもない、禍々し……くもない、見た目はすらりとした、人間で言えば四十代後半くらいの赤毛の美男子。若干の日焼けがワイルドさを醸し出している。
魔皇帝タフリルドースだ。奴から放たれる、無意識に膝を折りたくなるような巨大な威厳は、ただごとじゃない。身分とは無関係な世界から来た俺でも、畏まりたくなる。
仲間を見回すと、全員が息を飲んだような表情を浮かべていた。
タフリルドースが立ち上がり、段を下りてくる。
玉座の左右に影のように控えていた二人が、左右の斜め後ろに控え、後に続いた。
一人は魔皇帝にも負けない長身をもつ魔族の男。頬骨の目立つ蒼白い顔に紺色の長髪。その合間から小さなカモシカの角が生えている。顔がやけに小さく見えるのは、身に纏った黄色い鎧のパーツ一つ一つが、予想される体つきに対して大きすぎるせいか。
もう一人は、俺より若干背の低い恰幅の良い男。顎の奥にまた顎がある丸々とした輪郭線と、鼻眼鏡から取り外したように大きな鼻が目立つ。金髪を後ろに撫でつけており、やや尖った耳の上からは魔族の証であるがっちりとした角が生え、それが後方にアーチを描いていた。そのどぎつい容貌は、派手な赤いローブも相俟って悪趣味な印象を醸し出していた。
「黄色い方が『貨の王』ガシェールム、赤い方が『杯の王』モルサルだ。出てくるのは予想していたが、二人分のプレッシャーは容赦ねえな」
俺の隣でフォリックが、隙のないよう注意深く剣を抜きながら呟いた。
そこで俺は、内心首をひねった。
もう一人、『王』がいたはずだ……
「『棍の王』アルドが居ないようですね。愛想を尽かして逃げたんですか?」
フェリオロが小手調べとばかりに軽く挑発を掛ける。しかしタフリルドースは動じることなく、ひたすら泰然と構えていた。
「『王』が内政も行うことは知っておろう。我が国は、明けても暮れても戦ばかりしているエルナール人とは違う」
第一声はタフリルドースの勝ちか……
ほんの半瞬の動揺を見逃さず、タフリルドースは一歩踏み出す。
「よくぞここまで辿り着いた。堅牢無比を誇る我がガファスの謁見室まで辿り着いた敵は、お前が初めてだ」
タフリルドースは大股で間合いを詰めてくる。すでに彼我の距離は十メートル程度だ。
奴は剣も抜かずに俺に視線を向けた。
「お前が勇者カイか。さすがは古の勇者スカイの再来と言われているだけのことはある」
おいおい、やけにフレンドリーだな。
俺たち、一応命を貰いに来ているんだが。
「お前たちの目的はわかっている。余の命を狙うとは無礼千万だ」
相変わらずタフリルドースは拍子抜けするほど自然体で、剣を抜く素振りさえ見せない。余程自信があるのか?
「……話が早いな。こっちも早いところ目的を達して自分の世界に帰りたいのでね。エルナール侵攻の戦犯である魔皇帝タフリルドース……その首、貰い受ける!」
「笑止!」
吼える魔皇帝。
その声が孕んだ圧力に、思わず斬り込むタイミングを外してしまう。
「お前、今『エルナール侵攻』と言ったな?」
「それがどうした」
「そんなでたらめの歴史をどこで吹き込まれた?」
「っ⁉」
嘲笑半分、哀れみ半分。タフリルドースはそんな表情を浮かべていたが、言われた俺は攻撃に向けた体重移動を完全に止められてしまった。
「で……でたらめ?」
「その通りだ。我が国は、過去に一度たりとも、エルナール王国に侵攻した事実はない。そちらの『冒険者』とやらが、おもしろ半分に我が臣民を殺して回ることはしばしばあったがな」
「何だと……⁉」
正反対に近い齟齬のため瞬間的に脳が混乱し、思わず安全な距離まで跳び退ってしまった。
ラスボスであるはずのタフリルドースの言い分は、俺がエルナールで修行中に教わった歴史とは酷くかけ離れたものだった。
ガファス帝国はモンスターの大軍を擁する、拡大主義の国。
しばしばエルナールとの国境を侵し、必死で防衛してきた。
女子供にも容赦がない。
…………
ガファス帝国は、異世界から召喚された勇者が討伐するに相応しい、まさしく絵に描いたような『悪の帝国』だったはず。
それが……「侵攻した事実はない」だと⁉
「勇者様、だまされてはいけませんよ! 魔皇帝の口車に乗ってはいけません!」
フェリオロが背後から叱咤してくる。
「魔皇帝を倒さねば、あなたは元の世界には帰れないんです!」
「仮にも『勇者』を名乗る者が、誤った情報を鵜呑みにして事実無根の国を滅ぼすのか?」
タフリルドースは落ち着き払った――むしろ敵意すら心の鞘に収めた――態度のまま、言葉を続けた。
「お前がエルナール人以外の何者なのかは興味はないし、戦であれば命の遣り取りくらいはあるだろう。だが、今までに行われてきた臣民の虐殺や戦闘が、勇者としての『正義』の名の下に行われたと思っているのなら、統治者として見逃すわけにはいかぬ!」
タフリルドースの言葉に、俺はどうにも一歩を踏み出せなくなってしまった。思い返せば、俺が学んだ世界の……いや、エルナールの歴史は、外界から召喚され、『正義』の名の下に敵を駆逐する勇者にとって都合がよすぎた。エルナールが清廉潔白すぎるのだ。今まで『味方』として関わってきた人々が全部エルナール人だったから、気づきもしなかった。
「カイ様、たぶらかされてはだめよ!」
ルグノーラが俺の腕を掴み、切羽詰まった声を上げた。しかしその声さえも俺の脳を上滑りしていった。
追い打ちを掛けるようにタフリルドースが言葉を紡ぐ。
「お前は異世界の勇者だそうだが、召喚されて以来、我が国の侵攻を体験したり、直接目で見たりしたことはあったか?」
「そ……それは、俺が……事前に災いの芽を……」
「力に酔っているのか、勇者よ。真実を……ガファスやその他の、エルナール以外の歴史や文化を学べ。それでも我が国が許せなかったら、余も全力で相手をしようじゃないか」
「じ……時間稼ぎか、魔皇帝」
それだけ声に出すのがやっとだった。ガファスを――魔皇帝を討つの二つの心のよりどころ、『正義』と『帰還』の内、前者が今まさに崩れようとしていた。
「カイ様。戦であれば互いの『正義』に齟齬が生まれるのは当然のこと。あたしたちの『正義』は、エルナール王国の安寧、そして魔皇帝タフリルドースの討伐よ!」
ルグノーラが俺の二の腕を揺する。
わかっている。このままではルグノーラも、他の生き残った仲間も、エルナールに連れて帰ることはできない。わかっているんだ。だけど、俺の身体はタフリルドースに射竦められたかのように、ほとんど動きが取れなくなっていた。
「……仕方ないわね。できるかわからないけど、魔皇帝はあたしがやる!」
ルグノーラは腰から突剣を抜き、全身のバネをしならせて攻撃姿勢に入る。
異変はその瞬間に起きた。
「がっ!」
タフリルドースの目が見開かれ、その身体が仰け反る。口元からごぼごぼという音が漏れる。
後ろから刺された……?
気持ちが一歩引けてた俺は気づいたが、必殺の一撃に意識を集中していたルグノーラには、その動きは隙にしか見えなかっただろう。違和感はあったのかも知れない。しかし、戦闘の緊張下でその違和感の処理をするには時間が短すぎたし、敵が強大すぎた。
無慈悲な切っ先は、狙い過たず魔皇帝の胸部に吸い込まれていった。
「やったわ!」
滑らかに突剣を引き抜き、返り血を回避して距離を取るルグノーラ。
だけどうれしがっている場合じゃない。今、おかしなことが起こったんだ!
「だ……づぅっ⁉」
だめだ、と言い切る前に、俺の背に冷たい痛みと、次いで灼熱感が走った。
何かが俺の背に突き刺さった。いや、俺も刺された⁉
が、この程度のダメージならチートアイテムの【命の器】で防ぎきれるし、リジェネレート能力で明日には完治だ。それよりも後ろから刺されるって一体どういう……あれ? おかしいぞ全然減衰してないっていうかこの痛みはガチでやばい痛い痛い痛い……!
全ての思考が『痛い』という言葉で上書きされていく。
俺が不意打ちされたのに気を取られたフォリックが、『杯の王』の錫をまともに喰らうが、手を伸ばすこともできない。
目がチカチカする。
視界がぼやけていく。
背中に衝撃を受け、俺は床に倒れた。
なぜかだんだん痛みが引いて……いや、感覚がなくなってきた。
まさか……死ぬのか?
地位も名誉もなく?
元の世界に帰ることもなく?
のたれ死に……なのか?
…………
小説に描かれた勇者みたいに、毎度毎度うまくいくはずもないか……
よく考えれば、成功例だけが物語になるわけだし。
『魔王と相打ちになった勇者』か。
格好悪ぅ……
身体は徐々に力を失っていき、聴覚だけが音を脳に届けていた。
「……気が変わった。この人間は……保管する」
「……が違うんじゃあないですか?」
「私がいつまでも……を斬らずにいると思うか? さっさと……知らせに行け」
「死んだら、我が輩に……」
「おお、……殿、そこにいたのか。こいつをどこか適当な……で……」
どうやら、俺の死体を分ける相談でもしているらしい。
だが、最後まで聞き終わる前に、俺の意識は泥沼の中へと沈んでいった。
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