第2話 バストイレ付き物件
「ぬああっ!」
上半身が跳ね起き、一瞬遅れて目が醒めた。
両の掌が、いつも寝起きしているベッドの感触を伝えてくる。
……夢、だったな。
掌を背中に回す。
ひと月前、いざ魔皇帝と戦うという時に、不覚にも何者かによって背を刺された。
傷は既に塞がっており、痛みはない。
でも、走馬燈は背中を刺されるところまであって、今日は直前で目覚めたけど、最後まで視聴してしまった時の寝覚めの酷さときたら今日の比じゃない。
首が無意識に鳥のようにカクカクとせわしなく動き、周囲の状況を確認する。
大丈夫。あの世じゃない。
上は煤けた天井。
どんな仕組みなのか、天井の石の一つが時間毎に光ったり消えたりする。恐らく太陽の位置によって光り方が変わるのだろう。今は朝日のように柔らかな光を投げかけている。が、光る石は一つしかなく、満足な光量とは言えないし、夜は光を失ってしまう。
光る石の近くにはちょっとしたシャンデリアがぶら下げてあり、使いかけの蝋燭が何本か立っている。
自然光の気配がないから、ここはどうやら地下で間違いないようだ。
右は荒く組まれた石の壁。雑な造りだが、寝るときに素足をくっつけると冷たくて気持ちいい。
左には白いテーブルに椅子が二つ。その向こう側の壁には、ロープに干された衣類とタオルのすだれを隔てて、同じく白いクローゼットが作りつけられていた。
部屋の中ほどからは壁がせり出し、小部屋を形作っている。場違いな金属とプラスチックの扉の向こうは、ユニットバスだ。
ちなみに、窓はない。
細くなった部屋の奥にはもう一つベッドが据えてあり、そこには魔皇帝討伐の旅を共にした戦士、フォリックが長身を横たえている。彼は『細マッチョ』から徐々にただの『細』になりつつあり、痛々しい。
六人パーティでガファス城に乗り込んだのに、魔皇帝と相対したときには四人になっていて、次に目を醒ました時には俺とフォリックだけになっていた。しかも彼は全身に大怪我を負っていて、寝て、起きて、食べて、排泄するのがやっとの状態。戦うどころか走るのも難しいような体調だった。筋肉も落ちるってもんだ。
汗が一滴、顎を伝ってパジャマ代わりのハーフパンツに落ち、微かな音を立てた。大して暑くもない部屋なのに、酷い寝汗だ。
小さな溜息と共にベッドから降りると、フォリックの姿が視界に入る。彼は既に目を醒ましていて、天井を静かに眺めていた。
「カイ、起きたのか」
俺が動き始めた音を聞いたフォリックが、弱々しく首だけをこちらに向けて呻くように話しかけてくる。
「フォリック、気分はどうだ?」
「いつも通りだな。良くもなく、悪くもある」
「そこは『悪くもない』じゃないのな」
ぎこちなく片頬を吊り上げてニヒルに憎まれ口を叩くフォリック。これが彼流の『元気のサイン』だ。
どうやら小康状態らしいことを確かめると、浴室へと向かった。左右の壁に無造作に渡された物干しロープから、何度も洗濯したハンドタオルを一本引き下ろす。
……うーん、薄明かりの下でも色がくすんできた。洗濯機があればもう少し長持ちするんだけど、石鹸の手洗いだからな……
部屋の隅に作られたダストシュートの扉を開けると、汚れたタオルを捨てる。ダストシュートの奥は、ゴミを処理するのに都合の良いどこかに繋がっているはずなんだけど、行き先は真っ暗闇で、どこまで続いているのかもわからない。音の反響もしないし、今までけっこうたくさん捨ててきたけど詰まる様子もない。仮に身体が小さくなったとしても、ここに飛び込んでみようとは思わないな。もしかしたら、異次元に通じていたりして……まあ、今のところ危険はなかったし、こいつに襲われることはなさそうだ。
さて、新しいタオルを用意しないと。
俺は部屋の中央に戻ると、両腕を前に伸ばした。肘は軽く曲げ、手を肩幅より狭めに構える。集中を高めつつ、集めた指先を窄めて宙を摘み、ゆっくりと外に引いた。すると、何もなかった空間に水色のビニール巾着が現れた。中身は新品のハンドタオルと、おまけで使い捨て歯ブラシ……つまり、旅館のアメニティだ。うまくいった。
これが俺の固有スキル、【
パントマイム――うちの高校の演劇部では単に『マイム』と呼んでいた――で表現したものが実体化するという、異世界勇者だけが持つチートじみた力。
そして、付いた二つ名が『顕術師』。幻術師に対して、生み出したものが実体化するからなんだそうな。
後づけされた戦闘系のチートは、この部屋に入る前に全部なくしてしまったが、この『マイム召喚』とでも呼ぶべき固有スキルと、最近は標準装備じゃないこともある【異言語理解】は失わずに済んだ。
お陰でこのひと月、家具からユニットバスから創りまくって、快適な生活を送ることができた。
快適ではあったが、無為にひと月も過ごしてしまった。
依頼である魔皇帝討伐は、まあ結果論として成し遂げた。早いところここを出て、俺を召喚したエルナール王国に戻り、元の世界に帰してもらわないと。召喚されてから十五ヶ月も経っているし、元の世界ではきっと大変なことになっているだろう。下手したら俺の仏壇に家族が拝んでいる、なんてこともあり得る。
……いけないいけない。
最近、ネガティブな未来を想像しがちだな。気力が萎えるから避けないと。
さっさと身支度を済ませて、今日も看護と、そして部屋を出た後の動きを模索する一日をスタートさせよう。
俺は、そんな一日を三十回以上繰り返してきたことはとりあえず棚上げして、物干しロープから洗い終えた着替えを取ると、ユニットバスへの扉を開いた。
中は、ビジネスホテルなんかによくある、洗面とトイレとバスタブがセットになった空間だ。色はクリーム色で統一して、暖かみのある癒やしの空間にしてみた。部屋の壁が寒々しいから、せめてここだけでも……といった工夫だ。
正面の鏡には、やや疲れた色白の顔が写っている。焦げ茶色の髪の毛は邪魔にならない程度に切っていたから重たい印象はない。……よし、筋肉は落ちていないな。
鏡の横に置いてある蝋燭を手に取る。指先に意識を集中してやると、体中から神経を通って魔力が集まってくるのがわかる。
「『
小声で呪文を唱えると指先がぱっと光り、蝋燭の芯が優しい光を放ち始めた。
魔法の練習をしておいてよかった。
旅に出たばかりの時は、【百人の賢者】という勇者用チートアイテムの力で百種類の魔法を使いこなすことができていた。呪文を唱えるだけで魔法が掛かるのも、それはそれで面白かったけど、アイテムに頼り切って、いざという時に古いUSBメモリみたいに故障されたらどうしようという不安はあった。
そこで俺は、時々チートアイテムの機能を切って、魔法の練習をしていた。最初はパーティーの魔術師が教えてくれるコツもさっぱり理解できなかった。だけど、基礎の基礎である呼吸法や自然法則とかから根気強く教えてもらったお陰で、魔力を集めたり、体外に放出したり、アイテムに流し込んだりといった感覚が徐々に……本当に徐々にわかるようになっていって、ちょっとした魔法ならチートアイテムなしで使えるようになった。
元の世界に戻ってからも使えるのか試すのが、今から楽しみだ。
蝋燭に火を点け、ガラスのカバーを被せる。
衣類を洗面ボウルの横に積み、クリーム色のバスタブに入る。
コックをひねると、首筋辺りから魔力が抜けていく感覚とともに、シャワーから暖かいお湯が噴き出してきた。
このユニットバスを創ったときに、水道は自動的に水脈に繋がるように仕込んだ。しかし、給湯を再現するのには術者の魔力を消費する。給湯や電気など、持続的な変化を起こすものを【顕術】で創り出すと、それらの製品を稼働させるのに術者の魔力を吸っていくというわけだ。部屋にはエアコンも創ったけど、魔力消費が激しくて、一日中つけっぱなしは厳しい。
「ふい~」
シャワーの湯で肌を刺激されていると、自然に溜息が漏れてくる。
半乾きだった寝汗とともに悪夢の残滓も流れ去っていくようだ。魔力に余裕があることをいいことに、しばらく異世界離れした湯の感触を楽しむ。
久しぶりに創った新品のタオルで身体を拭き、洗い晒しの衣類を身につける。気持ちよくバスルームの扉を開けると、視野のど真ん中に現実が飛び込んでくる。
黒い鉄の扉。
重厚と言えば聞こえは良いが、堅牢と言った方がしっくり来る。シャワー後の清々しい心地はあっという間に吹き飛び、俺たちに現状を突きつけてくる。
そう、これが現実。
一ヶ月以上の間、【顕術】のおかげでビジネスホテルのように快適な生活を送ってきたが、逆に言えば一ヶ月以上の間、この部屋から出ることができないでいる。
この部屋の名前は『牢獄』という。
鉄格子の檻ではなく鉄扉なのは、どうやら勇者が怪しい術で看守を籠絡しないようにするためらしい。
鍵穴はなし。
動きがあるのは、足元辺りに作られた食糧が差し込まれる小窓だけで、目線辺りにある覗き窓は閉じられたまま修理される気配もない。一度、食事を差し入れてきた手に「ありがとう」と声を掛けたら、慌てて手を引っ込められた。あの時は軽く傷ついた。
……そんな収監されたばかりのエピソードを思い出していたら、焦りが湧いてきた。
魔皇帝だけに集中せず、周囲をもっと警戒していれば……
俺が刺される瞬間までは無事だった盗賊のあいつがいれば……
チートアイテムが一つでも残っていれば……
フォリックがもう少し元気ならば……
どうにもならないIFばかりが頭の中をぐるぐると回転して、後悔と混乱が無限ループする。
どうしてこんなことになった⁉
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