序2   魔王、勇者になる

「成功です」


 その言葉と共に視界が焦点を結ぶ。

 急に教会のような天井が目に飛び込んできて、慌てて上体を起こす。

 石の床に寝かされていたようだ。

 周囲に魔法陣のような文様が刻まれていて、赤く光っている。アクリル板か何かを嵌めて裏から照明を当ててるのか?

 魔法陣の周りには、数人の老若男女。一人を除いて白いローブを纏っている。中央の初老の男だけが、王冠に天鵞絨ビロードのマントを身に着けている。


 国王――と呼ぶことにしよう――が、一歩進み出た。


「おお、この者が勇者か!」


 俺に視線を寄越しながら、喜びの声を上げる国王。

 つまり……勇者って……俺?

 だが国王は、俺の顔を見るなり眉根を寄せた。


「随分と貧相な勇者だな。学院の研究生のようだ」


 失礼だな。まあ、当たらずとも遠からずってところだけど。

 不満そうな国王の表情を見て、白ローブの男が慌てて弁解を始める。


「いえ、ここに招かれたということは召喚適合者でございます。腕に神の力を宿した痣が現れているはずです」


 痣?

 俺はワイシャツの手首をまくると右腕、次いで左腕を見た。

 左腕に、ついさっきまではなかったボタンのような円形の痣が五つ、一列に規則正しく並んでいた。そのうち二つには円の中に日本語の文字が浮かび上がっており、


【異言語理解】

顕術けんじゅつ


と読むことができた。


 痣に見入っていると、国王が話しかけてきた。


「ところでお主、名前は?」

「俺ですか? 中須なかすかいです」

「ナカ……スカイ?」


 名乗った途端に、白ローブの集団がざわつき始めた。


「スカイ!」

「救国の勇者スカイの再来だ!」


 目の前の集団は喜びの表情を浮かべながら笑みを交わす。

 何これ? 劇の練習?


「あー、ちょっと悪いんですけど」


 俺の声に、国王と白ローブ集団が話をやめる。

 衆目の集中する中、立ち上がって背や尻の埃を払う。そのままおかしな集団を見渡した。


「演技、止めてもらっていいですか? 俺、こういうワークショップに参加する申し込みとかしてないんで」


 唖然とする謎の集団を後目に、左の方にあった扉へと向かう。

 しかし、凄い舞台装置だな。靴裏を通して石材の感触が伝わってくる。普通は足音が立たないようにパンチカーペットを敷くよな。壁だってどう見ても本物の石だ。


「ま……待て、勇者よ」

「なんか、いきなり演技空間にお邪魔しちゃったみたいですみません。じゃ、帰りますね」


 背中で返事をして扉を開ける。


「……⁉」


 屋外でもない。

 廊下でもない。

 舞台袖でもない。

 石造りの壁と天井。そして石造りの螺旋階段が下へと伸びていた。

 壁に刻まれた窓の外に広がる景色はビル街ではなく、放射状に広がる街並みとそれを取り囲む二十メートルはありそうな城壁だった。


「何だ、これ……日本じゃない……」


 思わず数歩後退りしたところに、国王の声が投げかけられた。


「勇者スカイよ。お主はこの世界に召喚されたのだ」

「召喚⁉」


 声が裏返る。

 まさか。小説じゃあるまいし。

 俺もそういうのが好きで何冊か読んだことあるけど……さすがにないだろ。

 勉強のしすぎで幻覚を……? いや、演劇部が忙しくてそんなに勉強した覚えはない。

 古本屋で本棚に押し潰された? まさかな。


「マジか……」


 口を突いて出る言葉。

 こわごわ振り返ると、クラシカルな衣装の集団は縋るような目で俺を見つめていた。白ローブの一人が口を開いた。


「勇者様、この国は危機に瀕しております」


 返事をできずにいると、どうやら本物だった国王が話を継いだ。


「我が国は魔皇帝タフリルドースの率いるガファス帝国の侵攻に晒されている……」


 国王の話によれば、このエルナールと呼ばれる国はガファス帝国という魔物の国から侵攻を受けているらしい。

 凶悪な魔物は女子供も見境なく虐殺し、物資を略奪し、国土を蹂躙しているそうだ。

 ここ数年は冒険者と呼ばれる何でも屋や軍が総出で対処しているが、じわじわと押されている状況らしい。

 そこでエルナール国王は、王国に伝わる秘術を用いて勇者を召喚した、ということのようだ。

 俺が無理矢理働かされる理由としては、弱いな。

 黙っていると、国王は俺が使命感に燃えていると勘違いしたのか、大きく頷いて口を開いた。


「さあ勇者スカイよ、魔皇帝タフリルドースを討ち果たしてまいれ」

「お断りします。興味ないので」

「はっはっは。そうか、興味……は?」


 国王は我が耳を疑った。

 人によってはおもしろがるかも知れないが、俺の脳内は過半数が演劇だ。


「元の世界に返してください」

「うぐっ……」


 常に命令に従う人しか周囲にいないのだろう。国王は言葉に詰まった。

 見かねて、横に侍っていた白ローブの一人が進み出た。耳が尖っている。リアルな特殊メイクだ。


「勇者様、あなたは『魔皇帝討伐』の目的のために特別な力を付与されて召喚されています。ですから、その力が逆に楔にもなってしまい、目的を達成するまで元の世界に帰ることは不可能です」

「何だって……!」


 部下の言葉に驚いた俺を見て気をよくしたのか、国王が気を取り直して命じてきた。


「お主に授けた特別な力は、神より授かったもの。人知を越えた、反則とも言える力だ。その力があれば魔皇帝討伐など旅行に等しいはずだ。使命を達成すればすぐにでも元の世界に戻してやろう」

「く……」


 今度は俺の言葉が詰まった。

 この状況を打破するためには、その魔皇帝とやらを討伐しなければならないということか。


「……ほ……報酬は……?」


 辛うじて声を絞り出すと、承諾と受け取ったのか、国王は破顔した。


「思いのままだ。この国に残ろうと、元の世界に帰ろうと、大抵のものは用意しよう」

「それなら……送還時に今の年齢に戻すこと、あちらの世界と時間がずれないこと、俺の体重と同じ重量の純金を金貨にして一緒に送還すること」

「金貨は約束しよう。時間は……難しいが何とかする。では、早速支度金と訓練の師範を用意しよう……」


 こうして俺は、半ば強制的に勇者になり、魔皇帝討伐に旅立つこととなった。

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