第13話
「お、サルヴァ! おかえり!」
「久しぶりに見たなぁ。元気かー?」
「おーい、イザルさーん! 弟が帰ってきてんぞ!」
三日間の滞在を経て、四日目にシーサを離れたサルヴァは、約一ヶ月ぶりにエメリードに帰った。船から降りて足早に歩いていると、同じく戻ってきたばかりらしいディジットの船から声が飛んで来た。船上や波止場で荷下ろしなどをしている船員達に足を止めて、サルヴァは返事の代わりに手を上げる。
一ヶ月どころで変わるはずないが、慣れ親しんだ騒がしいともとれる明るさと笑い声にサルヴァは力を抜いた。
その時、甲板からイザルが顔を出した。
「どうだった」
「掴んだ」
簡潔に答えたサルヴァは真っ直ぐ兄を見上げる。イザルが意外そうに眉を上げるのが離れていても見て取れた。続けて、兄の口が何かをつぶやいた気もする。
サルヴァは内心首を傾げるもそれには触れず、言葉を続けた。
「今時間ある? 報告したい」
「――いや、いらねぇわ」
「えっ、なんで」
「今ので大体わかった」
「……『今の』って、俺何も言ってないけど……」
困惑するサルヴァに構わず、イザルが「後で教えろ」と話を進める。
「こっちの手を借りなくても、なんとかなりそうなんだろ。まあ、貸すつもりねぇけど」
「……ああ。それは大丈夫」
「だから、後で話せ。それでいい」
「――わかった」
言葉少なでも、副代表である兄からの信頼を受け取ったサルヴァは、頭を下げてから踵を返すと目的の場所へ向かうために地面を蹴った。
その後ろ姿を、イザルは欄干に片腕を預けながら眺める。そんな彼に、兄弟の会話を聞いていた船員の一人が問う。
「イザルさん、さっきの『珍しい』って独り言、なんのことっすか?」
イザルは彼を一瞥してから、くっと愉しげに笑った。
「あいつが本気で腹立ててるの、久しぶりに見たわ」
「サルヴァがっすか? 想像できねーなぁ」
「滅多にねぇけどな。俺も十年ぶりくらいか。静かにキレんだよ、あいつ」
「うへぇ……相手、何したんすかねぇ……」
イザルはにやりと笑みを深めて船員を見る。
「救いようのねぇアホなことだろ」
***
昼前の広場は人の数が多い。サルヴァは人混みを縫いながら、先へ先へと足を進める。大きな人の流れから横にそれて、店の並びが別の通りと交わり口を開けているところへ抜け出す。
右肩の布袋の肩ひもを掛け直しながらその通りを歩いて行き、サルヴァは足を止めた。
「いらっしゃいま――……サルヴァ?」
カウンターから目を丸くしてこちらを見つめるニーシャに、サルヴァは笑みを返す。
「ただいま」
「おかえりなさい……」
「ふ、そんなに驚くか?」
カウンターに歩み寄ったサルヴァは、宙に浮いたような返事をするニーシャの顔を覗き込んだ。
ぱちりと目が合う、翠色の瞳。一ヶ月どころじゃない、ずいぶんと久しぶりに見たような気がする。変わらずきれいな瞳だ。
「あと二、三日はかかると思ってたの。いつ帰ってきたの?」
「さっきだよ」
「それじゃあ、まっすぐここに?」
「ああ。……ニーシャ、今日時間あるか?」
その一言で察したようだった。ニーシャの顔が明らかに強張る。それをやわらげることはできない。だから、せめて彼女といる時は落ち着いていようと波に揺られながら決めたのだ。
サルヴァはいまだ腹の奥で燻っている怒りを固く押さえ込み、静かに告げる。
「ニーシャ。話さなきゃいけないことがある」
「……わかった。少し、待っていて」
そう言って、ニーシャはカウンターの奥にある作業部屋へ消えた。サルヴァは背後を振り返り、店内を眺める。
他に客のいない売り場で、陽の光に照らされる外の明るさによって、装飾品の数々が優しくきらめく。鉱物、金属、天然石からさまざまな飾りへと、職人の手で丁寧に、美しく姿を変えたその中に、ソレイスは一つも並んでいない。
「お待たせ」
声に振り向くと、ニーシャとニーシャの母が並んでいた。サルヴァは頭を下げる。
「こんにちは。お久しぶりです」
「ええ、こんにちは。この子の今日の仕事は終わりだから、ゆっくりしてらっしゃい」
ニーシャがカウンターから出てくる。きっとお願いして代わってもらったのだろう。ニーシャの母親も、時間を作ってくれたのだ。
「ありがとうございます」
返事をするようにほほ笑みが返ってくる。そうして、「いってらっしゃい」と送り出されて、ふたりは店を出た。
通りの奥にある小さな喫茶店が丁度いいと思う。そう言ったニーシャの提案通り、その店は客もまばらで、隅の席に座れば話が他の客の耳に入ってしまう心配もなさそうだった。
山に行けない時はよくここに来るのだと言ったニーシャが頼んだ紅茶をふたりで一口飲む。ふ、と息をついたサルヴァは単刀直入に話した。
「ジルゲンは、シーサでソレイスを売ってたよ」
「……噂の通りね」
「でも、どの店にもソレイスはなかった」
諦めにも似た色をみせる目を見つめて、サルヴァは告げる。
「闇取引を通して、特定の人物に売ってる。今までのものも、全部」
「――……」
ああ、と声にならない嘆息がニーシャの口からこぼれる。泣きそうに歪んだ顔を、両の手が覆った。震えた吐息が、籠もった音でサルヴァの耳に届く。
ギリ、と拳を握る。手のひらに爪がくい込むのをそのままに、サルヴァは続けた。
「相手は領主の血縁で、一人。専属の売買契約を交わして、どの販売経路にも乗せないで……一対一の取引を続けていくつもりだ」
ニーシャがゆっくりと顔から手を外し、卓上で手に手を重ねて握りしめた。俯いて流れる髪が目元にかかっていたが、彼女はそれを払うこともせず、翠色の双眸で自身の手を見つめる。
「……約束を守る気なんて、全くなかったってことね……」
目を伏せて小さくつぶやくニーシャの声に感情は乗っていない。ジルゲンの行動から導き出される彼の真意を、ただ確認しているだけにみえた。
カチャ、とカップが持ち上がる。数秒口を閉ざしていたニーシャは、おもむろに紅茶を一口飲んだ。
受け皿にカップを戻したときには、ニーシャの瞳から揺らぎが消えていた。
「サルヴァ、詳しく教えてくれる?」
「もちろん」
小さく口角を上げたサルヴァは、拳をほどいて布袋から二つの書類を取り出す。
「これは?」
「こっちは帳簿の写し。こっちは、ジルゲンとその貴族が交わした契約書」
驚いたように、二つの書類からサルヴァへ目をやるニーシャ。
「どうやって手に入れたの?」
「ふたりと直接関わりのある人からもらったんだ」
「それって、」
「危ないことはしてないよ。いい人だった」
嘘は吐いていない。それに、『闇商人』の彼の手を借りたことは言わない約束もしたのだ。得た情報を共有しなければいけないニーシャにも、できるだけぼかして話すことで許しを得た。
何かを察したらしいニーシャが、眉を落としながらも「ありがとう」と口にする。
その心配を隠しきれていない表情にサルヴァは思わず苦笑してから、契約書のある文言を指差す。じっと視線を注いだニーシャはそのまま語句の先へ視線を滑らせ、目で文をなぞっていく。
小さな口が、わずかに開いた。翠色の瞳がなぞった文を逆戻りし、もう一度、語句と内容が示す意味を飲み込むように、追っている。
「これが本物なら……」
「本物だよ。……複雑だけどな」
「……そうね」
二枚綴りの契約書。ニーシャは紙を捲り、最後まで目を通しながら存外しっかりとした声で続けた。
「あってほしくなかった結果だけれど、私でもどう動くべきなのかがわかるわ」
話しかけるというよりは独り言のようだった。
ニーシャが顔を上げる。
「サルヴァのおかげ」
誠実さで満ちる目が向けられ、サルヴァは受け止めるように目元をやわらげた。言葉は返さず、口元に笑みを浮かべるだけでとどめる。ニーシャだから、と口にするのは無粋だろう。彼女も返事を欲していたわけではないらしく、サルヴァにつられるように目を細めると、帳簿に手を伸ばした。
詳細を伝えるとは言ったが、サルヴァが持ち帰ったものを見るだけで事態の大半を理解できるだろう。それほど、はっきりとした証拠だった。
「ニーシャ、できそうか?」
サルヴァが前に出て行くことはできない。ジルゲンあるいはパトグ家を相手に、ニーシャの口からすべてを明かさなければならない。それがどれだけ不安で、恐ろしく、心細いかは、サルヴァもわかっているつもりだ。けれど、彼女がそれらの圧から逃げる気がないことも、わかっていた。
「――もちろん。……でも、あともう少しだけ手を貸して」
「当然だろ」
ジルゲンが戻ってくるまでそれほど時間はない。両家が婚儀の前に集まることは決まっているらしく、五日後に控えている。あと二、三日以内にすべて固めて準備を終わらせておくべきだ。
「とりあえず、」
ぐぅ、と腹が鳴った。サルヴァは手で腹をさすりながら、へらりと笑う。
「腹ごしらえ、してもいいか?」
ニーシャが、ふふっと笑いをこぼした。
「そうね。お昼にしましょう」
それからふたりは、休憩を挟みつつ、店の終わりまで話し合いを続けていた。
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