第12話②


「――どのくらい売れた」

「来て早々それか? 挨拶くらいないんですかね」

「挨拶か。君にそれをして、なんになる?」

「あー、お変わりないようで」


 そう言って鼻で嗤った青年の反応や相手が椅子に座ったであろう音が、思いの外はっきりとサルヴァの耳に届いた。

 店員を呼んで紅茶を頼んでいる男の声に、サルヴァはそっと頭を上げる。肩辺りまでは壁に隠れていてよかった。サルヴァは柵の幅広な板に顔を隠しつつ慎重に顔を出して、視線をずらす。


「――」


 両目で捉えた顔。それを見て、サルヴァは思い出した。その顔は、記憶にあるものだった。

 エメリードの行商組合と各商会により構成される、年に二回は開かれる集会。そこでたまに見かけていた人物。予想通りの、人間。


(――ジルゲン・パトグ)


 実際に現れると、やはり衝撃を受けるものだ。サルヴァは柵側の腕で片肘を付くと、手のひらで横顔を隠すようにこめかみ周辺と顎に指先を立てた。

 裏取引の代理人である青年と顔を突き合わせて、商品の売れ具合を確認するジルゲン。そして青年は、ソレイスのことを知っていた。裏の取引で扱っていることも認めた。

 つまりは、そういうことなのだ。


「すべて買っていただけたか……毎回ありがたいよ」

「相当お気に召してんのは変わらないようで、専属契約の準備はまだ終わらないのかってまた訊かれましたよ」

「ああ、今日はその話をするために来た」

「へえ? とうとう重い腰を上げるのか」

「あの方がどこまで本気なのか見極めていただけだ。それに、こちらの契約を済ませないと、鳥籠が不完全なままでね」


 誰に向けてか。どこかからかう声色でジルゲンが言った。相対している青年は興味のなさそうな相づちを打ってから話を変える。


「で? 今回のあんたのご要望は?」

「これに印章を。中に契約書が入っている」

「……ふぅん。なあ、代理で契約交わすのは問題ないけど、あんた、あのおっさんに説明することはないんですか。かなり稀少なんだろ、あの、なんだっけ。もとになるあの石」

「ソレイスだ」 


 サルヴァの瞳の色が、静かに濃くなる。


(――言った)


 ああそうそうそれ、と肯定する青年が意図的に誘ったのかは定かではないが、サルヴァは胸中で青年に感謝した。


「ソレイスをどこで採掘しているのか、いまだに口を割ってくれないが……まあ、それも今だけだ」

「なるほど。脅すわけか」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。『取引』だよ」

「その顔でよく言う」

「彼女も承知するさ」

「へーえ、女なのか」

「目を楽しませてくれる女性だよ。……ああ、余計なことを話したな」

「いや? ためになりましたよ」


 ギリ、とこぶしが音を立てる。

 こんなに激しい衝動を感じたのは初めてだ。サルヴァの口から、低く長い息が吐き出される。ふつふつと沸き上がる怒りを抑えるサルヴァは、「三日後の夕刻に回収に来る」というジルゲンの言葉に我に返る。ふたりの会話や周りの音が、聞こえていなかった。


「報酬も忘れないでくださいよ」


 少し声を張っている青年に、サルヴァはもう一度柵から様子をうかがう。真下の席には青年しかおらず、ジルゲンはすでに席を立ち出口へ向かっていた。

 その背中が店を出ていき、窓越しにも姿が見えなくなってから、サルヴァはようやく身を起こした。


「使える情報はあったか?」

「……まあまあ、あったよ。ありがとう」


 サルヴァは柵に寄りかかり、肩越しに下を覗き込みながら歯切れ悪く答えた。それに対して「煮え切らなねぇな」と片眉を器用に上げた青年は席を立つと、階段を上がって再びサルヴァの正面に腰を下ろした。


「なんだ、いまいちだったか?」

「いや、悪い。そんなことない。不正にソレイスを売っているって本人の口から聞けたし……」


 そこで言葉を切って逡巡したサルヴァは、頭に浮かんでいた考えを口に出した。


「……さっきの契約書、どうにかして貰えないかな」

「おまえに流せってことか?」

「そう、だな。……できれば、両者の印章が押されたものがほしいんだけど……」

「おまえ、意外と遠慮ねぇな」


 もっともな青年の指摘に、うぐっと言葉を詰まらせるサルヴァ。けれど、なりふりは構っていられない。

 ジルゲンの噂や疑念が杞憂ではなく真実だったと、目と耳で知ることはできた。しかしそれは実際に目の当たりにしたサルヴァにしかわからないことだ。


「無理を言ってるのはわかってるよ。でも……頼む」


 誰が見ても疑いようのない、形のある証拠が必要なのだ。

 下げた頭の上に、「あのなぁ」と呆れ声が落ちてくる。


「俺が言うことじゃねぇけど、今日初めて会った人間だぞ。しかも闇商まがいのことしてる怪しいやつ。そんな男によく頼み事できるな、おまえ」

「でも、手を貸してくれただろ」


 そう自分で口にしておいて、はたとサルヴァのなかで疑問が湧いた。


「なんで手を貸してくれるんだ?」

「今訊くのかよ……。好奇心だよ。興味があるって言っただろ」

「でもソレイスの取引がなくなったら、あなたにも影響が出てくるよな」

「そりゃな。だけど俺はうまく逃げれるし、金だって大して困らねぇよ」

「それでも、逃げなきゃいけないしお金だって減るんだろ。面倒くさい事態になるかもしれないってわかってるのに、どうしてだ?」

「……」


 口を閉ざした青年の目が、それずにサルヴァの目を射貫く。

 しかしそれもすぐにほどけ、青年は乾いた笑いを浮かべながら理由を口にした。


「報酬が低すぎんだよ」

「報酬……」

「馬鹿みてぇな高値で売りつけといて、仕入値も馬鹿みてぇな安さだぞ。利益の四割って話だったが怪しいと思って調べてみれば、割合下げてる上に、下げなくたってもともとの目安の額にすらかすってねぇんだよ。締め上げて払わせるにしても気に入らねぇ。まあだから、興味と腹いせと別の報酬目当てだよ」

「――ちょ、ちょっと待って」

「あ? 何」

「仕入値とか儲けを知らされてるのか?」

 おそるおそる尋ねたサルヴァへ、青年は得意気に口角を上げた。


「帳簿の写しをもらった」

「え!?」

「『仕事を取る上での目安になるから今までも書面でもらってるんだ』って言ったら、信じたんだよな。さすがに仕入値は抜かれてたけど、売値と利益の数字があれば大体わかるだろ」


 サルヴァは思わず唖然とした。 

 取引の代理を任せているとはいえ、伝えなくても何ら支障のない情報をよりによって闇取引を仲介する人間に教える。にわかには信じがたいが、青年の話す通りなのだろう。


(危機感が足りないのか、この人を信用してるのか……)


 どちらにせよ、サルヴァにとっては願ってもない展開だ。

 サルヴァの目に期待が滲んだ。


「それも、見せてほしい」

「だろうな」


 青年は短く息を吐くと、頬杖を崩して背もたれに寄りかかった。


「帳簿はいいとして、契約書の方はそう簡単じゃない」


 思考を巡らしているのか、視線を落として黙る青年をサルヴァは見つめる。少し加担力を抜くと、周りの音が蓋を外されたように耳に入ってきた。

 その音に、「まあ、」と青年の声が混ざる。


「出来ないことはない。が、ただではやれねぇな」

「わかった」


 サルヴァは即答した。シーサに行って自分で調べる選択肢が浮上した時から、もともと無条件で決定的な証拠が押さえられるとは思っていなかった。


「まだ条件言ってねぇんだけど?」

「あー……俺が用意できるものは決まってるから」


 はは、と誤魔化すように笑えば、青年が顔を引きつらせて「……おまえ、いい度胸してるな」とこぼした。


「はぁ……わかった。いや、わかんねぇけど、わかった。とりあえず、明日取りかかる。今は、報酬の質は訊かないでおいてやるよ」

「明日? 三日後じゃないのか」

「取引日から余裕を持たせてるだけだ。予定してない『何か』が起きるかもしれねぇからさ」


 な?と同意を求められ、サルヴァは「あぁ、なるほど……」と視線をそらしながらうなずく。かなり無茶で、場合によっては危険な頼みをしている自覚があるだけに、気まずい。


「明日の夜、この通りの奥にある酒場に来いよ。お前が昨日、熱心に訊き込みしてた店。場所わかるだろ」

「ああ」

「お前が望んだもんをきっちり揃えて来てやるよ。ただし、お前の『報酬』が俺のお眼鏡にかなわなきゃ焼却炉行きな」

「わかった」


 サルヴァの返事に満足そうに口角を上げた青年は、立ち上がるとテーブルから一歩離れる。しかしすぐに「ああ、そうだ」とサルヴァを見下ろした。


「焼くことになっても、ものを用意した分の金は貰うからな」

「ああ。ちゃんと持って行くよ」


 じゃあな、と言って背中を向けながら片手を上げる青年。その背中に軽く頭を下げたサルヴァは、階段を下りていく姿が視界から消えると同時に、脱力した。体いっぱいに空気を吸い込み、深いため息で空気を揺らす。木目の天井を仰いで、目をつぶった。


(……めまぐるしかったな)


 シーサに来て二日目。まさか今日の昼時の短い時間でここまで進展するとは思っていなかった。ただただ、運がいい。


(パトグ商会としてというよりは……やっぱりひとりで勝手に動いてるみたいだな)


 うっすら瞼を上げる。あたたかみのある照明が目にまぶしい。

 サルヴァは、兄のイザルと違ってジルゲンと直接の関わりはなく、パトグ家の一子で次期代表だという認識だけだった。

 とはいえ、同じ町内の同じ家業で。ましてやパトグとディジットは一、二を争うエメリード商会の顔と言える存在だ。同じ思いを持っているとは言わないが、似た考えや熱をどこかに抱いているからこそ、当代やそれまでも、両者の名が並んでいるのだろう。

 利益を欲することより。作り手の思いを、その思いと彼らの時間が込められた『もの』を、何故尊重しないのか。

 サルヴァは彼の行動を理解できる気がしなかった。


「……疲れた」


 口の中で転がしたと同時に体が重くなる。

 思ったより気を張っていたらしい。言葉にしたことで、主に脳が疲れを主張している。

 サルヴァは天井から正面に顔を戻す。


(宿に戻るか)


 ジルゲンがシーサに滞在している今、気分転換で街の中を歩き回るのは危険だ。

 よし、とひとりうなずいたサルヴァは、さっそく勘定のために店員を呼んだ。宿までの道すがら甘いものでも買って、食べながら改めて情報を整理しよう。そう決めながらも、無意識に朝から得た情報を順番になぞり始めたサルヴァは、ハッと目を見開いた。

 脳裏の映像では、臙脂色の短髪につり目の青年が喋っている。


「……名前、訊き忘れたな」


 ぽつりと落ちた声に、やって来た店員が首を傾げた。

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