第12話①

 がやがやと賑わう気配が届く港にサルヴァは降り立った。久しぶりの長い乗船に、波に揺られる感覚が体から抜けない。

 サルヴァはぐっと腕を突き上げて体を伸ばし、一気に力を抜いた。凝り固まった空気を腹から吐き出したサルヴァはゆっくり辺りを見回してから、船から離れた。

 埠頭に面する幅広な階段を上ると、人が行き交い、店が建ち並ぶ大通りが伸びている。話し声、笑い声、客を呼び込む声。どこかでベルの音が鳴り響いている。屋台の食べ物が出来上がった合図だろうか。

 町の規模としては商港都市といえるほど大きくなく、しかしエメリードよりは広い。店数も多く種類も揃っているため、商取引も町の規模の割にさかんらしい。かく言うディジット商会でも、南の方の米粉や麦芽で契約を取っていたはずだ。


「……さて、まずはどこに行くか」


 港に停泊していた船のなかに、パトグ商会のものはなかった。しかしおそらく、明日明後日には着くはずだ。ならば、それまでにめぼしい店への訊き込みをしておきたい。

 サルヴァは宿屋に荷物を置いてから、さっそく行動に移した。

 しかし装飾品を扱っている店はさほど多くないようで、サルヴァはニーシャからもらった腕飾りを手に、装飾店の場所を教えてもらいながら屋台、露店、店舗への訊き込みを続けていき、訊き込み数が把握した店舗数の半分ほどに差し掛かったところで、とうとう見つけた。


「ああ、その石! 名前は知らなかったけど、それと同じ石でできた飾りをいくつか紹介されたよ」


 若い店主が、難しい顔をして腕を組む。


「でも、あれはちょっと手が出ないな。高すぎないかって交渉したんだけど、全く、微塵も、これっぽっちも応じてくれなくてさ。あれだとどこの店でも買わないよ」


 見たことない色と透明度できれいだったんだけどな、と店主が残念そうにぼやいた。


(……おかしい)


 サルヴァは眉をひそめた。ニーシャから事前に聞いた価格は、ソレイスの美しさと希少性に対して、むしろ安いくらいだった。誰の手にも渡りやすいようにと、ともすれば損失となり得るくらいに売値を下げているようだったのだ。いくら輸送費が上乗せされるとはいえ、手が出ないほどの価格にはならないはずだ。


「シーサで、その装飾品を仕入れた店ってありますか?」

「ないんじゃないかな。さっき言った通り、金持ちじゃなきゃ買えないような価格で交渉にも応じないんじゃあ、この町一番の店だって扱わないよ。シーサに店を置く商売人は、お貴族様をターゲットにしてないからね。あの商人の男だって、売り込む気があるようには見えなかったよ」

「……」


 商号は名乗っていなかったらしいが、ソレイスで取引を持ちかけているということは十中八九パトグ商会の人間だろう。そしておそらくは、ジルゲン本人だ。そうだとすると、明らかに不審な点が多い。また、どの店も取り合っていないのなら、ジルゲンは誰を相手に取引を成立させたのか。

 黙り込み思考に耽るサルヴァに、店主が声を落として言った。


「町の奥に、領主様の別荘があるんだ。領主様は良いお人だが、その別荘を借りて住み着いている叔父のガリスっていうのが正反対でな。領主様のお顔を汚さないようにと多少は気を配っているらしいけど、金遣い女遊びは相当だって、町中に広まってるよ」


 サルヴァは店主を見る。


「君が何を探してるのかは知らないけどさ。もしかしたら、ガリス様が取引してるかもな」


 そこまで言って、店主は表情をがらっと変えて「まあ紹介状とかなしに会えないから、それはないか」と笑い飛ばした。

 店を出たサルヴァは、ふと顔を左へ向ける。なだらかな起伏と共に高度が上がる土地に作られた、シーサの街並み。視界の奥、段々に重なる建物の向こうに、明らかに作りの違う絢爛な屋敷がわずかに覗いていた。貴族らしい豪奢なもので、一部の人間しか手が届かない世界。


「……真逆だろ」


 乾いた笑いと共に思わずこぼれたつぶやきは、そのまま地面へ落ちていった。

 その後、残りの装飾店への訊き込みを続けたが、他に目ぼしい情報は得られず、ただ、売り込む気がないという若い店主の印象は、外れてはいなかった。すべての店をまわった結果、ソレイスのことを知っていたのはその若い店主の店だけだった。

 並行して領主の叔父という人物についても訊きはしたが、全員が口を揃えて「ろくでもない独身貴族」と、言葉遊びと共にそう評価していた。しかしこちらもそれ以外の情報は得られなかったため、サルヴァは領主の叔父に関する訊き込み先を、もっと、明暗さまざまな情報が潜っているだろう場所へ変更した。

 行く先は、酒場である。

 町のなかに二カ所ほど酒場が集まっている場所があり、サルヴァはその内の広場より奥、街の外れで賑わう区域へ足を運んだ。

 日が暮れて街の一部が活気に溢れる時間帯に、サルヴァは思考が鈍らない程度に酒を口にしながら酒場をはしごし、世間話の延長を装って主に地元の人間から話を訊いていた。


「へえ。じゃあほとんど遊んでるのか」

「そーよ。最低限の仕事はしてるって話だけどさ、それもどうだかなぁ。外にもあまり出ないで、屋敷に娼婦やら商人やらを呼んでは金を振りまいてんだ。さぞかし楽しいだろうよ」

「しかもお呼ばれする商人が闇商ってんだから、シーサが潤うわけでもなし」

「シーサの店を堂々と御用達にでもしてくれりゃあ、少しは見直すってのにな!」

「けど、それはそれで裏があるんじゃないかってこえーよ、俺はぁ」

「ハハハッ! 違いねぇ!」


 どっ、と周囲で笑いが起きる。仕切りなどない店内は、近くの席なら、がやがやと音や声で溢れるなかでも話が耳に入りやすい。近くで飲んでいた客が、話に混ざって笑っている。

 サルヴァはその空気に笑いながらグラスをあおる。天井に向けた顔から笑みが消えるが、酒の入ったグラスに隠れて周囲には気づかれていない。度数の低い酒を頼んでおいて正解だった。サルヴァは、喉を鳴らして中身を飲み干す。そして、


「――闇商って?」


 好奇心を装って、最大の手がかりに手を伸ばしたのだった。



 ***



 シーサに来て二日目の昼。サルヴァは再び酒場の集まる一角に足を運んでいた。日中から飲食を提供している店があったため、小さなことでも耳に入ればと、昼食がてら情報収集を続けている。


(……とはいえ、さすがに夜みたいにはいかないよなぁ)


 断片的に聞こえてくるのはどれも平和なもので、そもそもサルヴァが求めるものは偶然拾えるほど気軽な話題ではない。

 しかしそれでも、昨晩得た情報に少しでも肉付けをしたかった。あわよくば、裏付けに手が届くほどの。


(昨日教えてもらった商人。その人に会えればいいんだけど)


 もぐもぐと口を動かしながら、サルヴァは酒場の会話を振り返る。


「闇商って?」


 豪快に笑う客の一人に、サルヴァは尋ねた。ひげ面で体の大きな五十代くらいの男は笑い声を引っ込める代わりに、悪い顔でサルヴァを見た。


「お? 兄ちゃん、度胸あるなァ。こんな酒場で堂々と」

「……みんなでかい声で言ってただろ」

「はっはは! 冗談だ! なに、そんな危ないやつじゃないぞ」

「やつ?」

「その闇商人だよ。まあ、実際は闇取引を代理するってだけだから、闇商人とはまた別の、わるーいやつだ」


 どこか距離が近く親しみの籠もった物言いに、サルヴァは首を傾げる。


「知り合いなのか?」

「顔見知りではある。知ってるやつは知ってるし、取引したことがあるやつも少なくねぇな。俺もそうだ」

「えっ」


 サルヴァは目を丸くして男を凝視した。取引したことがあるということは、つまり、闇商売に手を染めているということではないのか。

 そこまで考えたサルヴァは、突然吹き出した男に背中を叩かれて、痛みに思考が飛んだ。


「いッ!?」

「だっはっは! ちゃんとした取引だからそう怯えんな!」

「怯えてはない、けど……つまりどういうこと?」


 サルヴァが問うと、男は麦酒をあおってから、髭についた泡を拭った。


「そいつはな、闇取引の代理もするけど、合法な取引もするんだよ。その場合は、一商人としてまっとうな方法で仕事をする」

「それはなんというか……」

「変なやつだろ?」

「かなり」

「そんで、そいつが闇取引の方であのろくでなし貴族と取引しているってわけよ」


 つながった話に、サルヴァは、なるほど、と相づちを打ったのだった。


(あのおじさんには感謝だな)


 昨晩の情報はかなり有益なものだった。

 サルヴァはこれまでに得た情報を反芻しながらトマトスープを口に運ぶ。一口、二口。そうして食事を進めながらも、サルヴァの表情には苦い色が消えずに浮かんでいた。

 酒場で話を聞き終えてすぐ頭に浮かんだ一つの仮説。

 パトグ商会が、その人物に闇取引を依頼している――そんな考えが、頭から離れないのだ。


(本当にそうだとしたら、ニーシャとジルゲンの当事者だけで終わらせられる問題じゃない)


 とはいえ、どんな真実にしろ、噂や人づての話ではなく、自分の目と耳で実際に確認しなければわざわざシーサまで来た意味がない。

 今朝、港に立ち寄った時はまだそれらしき船は停まっておらず、海上にも影はなかった。帰りの日数を考えると、もう着いていてもおかしくないのだが。


(……もう一回見に行ってみるか)


 とりあえず次の行動を決めたサルヴァが料理を食べ進める手を早めようとした、その時。

 近くでガタッ、と椅子が動く音がしたかと思えば、正面に見知らぬ人間が座った。


(な、なんだこの人……)


 突然の出来事にサルヴァはパンを持ったままぽかんと口を開けて固まる。


「ここ、空いてるよな」

「……空いてます、けど……」


 座ってから訊いても意味がないのでは、とは口にせず、サルヴァは戸惑いつつも受け入れた。

 年若い青年は、サルヴァよりも兄のイザルに近い。二十五、六だろうか。暗い臙脂色の短髪はさらに前髪が上げられていて、すっきりとしている。しかし目じりのつり上がった目と含みをもってうっすら上がる口角で、食えない質の人間にみえる。初見でそう思わせるほどに、纏う空気がどこか普通と異なっていた。

 その青年は、気まずさと戸惑いを前面に出すサルヴァを意に介さず、口を開いた。


「酒場でいろいろ訊き回ってたの、おまえだろ?」

「え……」

「領主邸に住み着いてるおっさんのことと、その屋敷に出入りしてる商人について。顔も隠さず堂々と訊いてたんだろ。こっちとしちゃすぐに見つけられるからありがたいけど、こそこそしたいならもう少し気を付けな」


 すらすらと言葉を重ねる青年に、サルヴァは頭の片隅で一つの可能性を浮かべながら、「……あなたは、」と中途半端に問いを発した。

 問われた青年は左手で頬杖をつき、どこか胡散臭い笑顔を浮かべると、一言。


「出入りしてる、わるーい商人」


 さらりと告げた。

 サルヴァはごくりと唾を飲む。まさか本当にそうだとは思わなかった。昨日の今日で、しかも相手から接触があるなんて想定していない。していなかったが、実際目の前に、昨夜教えてもらった重要な手がかりとなる人物がいる。

 しかし、どんな目的でサルヴァに接触してきたのかがわからない。

 サルヴァは緊張しながらも、声を落として確認を重ねた。


「……取引の代理人?」

「ああ。俗に言う『黒い』方のな」

「……どうしてここに?」

「俺に用がありそうだったから。こっちから出向いた方が早いだろ」


 はあ、と気の抜けた返事がこぼれる。探し回る手間が省けた分ありがたいのは事実だが、彼の真意をはかりかねる。


(親切心、なわけないよな。……釘を刺しにきたってところか?)


 真偽はわからないが、この機会を有効に使うべきなのは間違いない。ならばとサルヴァが口を開こうとしたところで、青年によって遮られた。


「ってのも理由だけど、単純に興味が湧いた。大してデカくねぇ取引を探るやつとその理由にな」

「牽制じゃないのか」

「牽制するなら顔なんか見せねぇわ」


 それもそうか、と納得したサルヴァはそこで我に返る。青年の空気に流されて、緊張感がどこかにいってしまった。しかも初対面であるにもかかわらず、青年は「で?」と世間話のように促してくる。


(……まあ、情報を得られる可能性が高いし、とりあえずいいか)


 そう判断したサルヴァは巾着の中から腕飾りを取り出すと、手のひらに乗せて青年に見せた。単刀直入に訊く方が、きっといいだろう。


「これ、ソレイスって石を使ってるんだけど……同じような品で取引してないか?」

「してるよ」


 躊躇する素振りもなく返ってきた答えに、サルヴァは一瞬言葉を忘れた。本当か、と念を押して訊くと、青年は肩を竦めて、「隠したってしょうがない」と飄々と言った。


「身を飾るものは大体あったな。質も良い。希少性も高いとみた。けど、価格はふっかけてる。あのお貴族様は気づいてないけどな。……で、あんたはこの取引をどうして探ってる?」

「……その装飾品は、友人が作ってるんだ。……もし友人の望みからかけ離れて汚されているのなら、手を引かせる。そのために、取引に関わる情報を集めてる」 


 ここまでくればパトグ商会が関係していないわけがなく、あとは証拠をどれだけ得られるかにかかっている。

 信用できるかどうかは、今はどうでもよかった。最も真実に近い人物が現れてくれたこの機会を逃すわけにはいかない。サルヴァが開示した情報はほんのわずかで、触りのようなものだ。これ以上の情報を自発的に発信すべきではないと理解しているサルヴァはそれでも、どうか、と望みを懸けて、取引の代理人という青年を見つめた。

 黙っていた青年が笑みを薄めたのはその時だ。肘を崩し、テーブルに寝かせた左腕に体重をかけて重心を片側に寄せると、青年はサルヴァとの間に置かれた腕飾りに手を伸ばす。そして、腕飾りには触れずにすぐ横の卓上を、コツ、と人差し指で叩いた。


「これの出どころは、唯一か?」

「それは言えない」

「このまま裏で捌く方が潤うんじゃないか」

「仮にそうしても、きっとあと何年も続かない」

「……へえ?」

「この方法で得られる取引相手は限られるし、……あなたの取引相手である依頼主が、手当たり次第に買い手を選ぶとは思えない。今のソレイスの取引がなくなったとして、新たに相手を選ぶにしても、かなり少数になるはずだ。だから利益だけを考えても、長い目で見たら正規の取引が逆転するよ」

「ずいぶん自信がおありだな」

「それだけの魅力があるからな」


 言いながら、サルヴァは自然と誇らしげに笑った。美しさ、完成度、希少性、技術、作り手の思い。どれをとっても宝石に引けを取らない代物だと、サルヴァは思っている。


「なるほどな」


 青年が喉で笑った。そして、もう一度「なるほど」と笑みを乗せた声で繰り返すと、おもむろに立ち上がった。まるで話は終わったかのような行動に、サルヴァは驚くままに青年を見上げる。


「ちょっと待って、まだ訊きたいことが――」

「あとでな」

「はっ?」

「これから仕事があんだよ――そこで」


 青年の指し示す方へ顔を向ける。サルヴァの席は一階席から一段上にある場所で、青年は柵の外へ腕を出して真下を指差していた。

 サルヴァは柵に身を寄せて無人のテーブルを見下ろす。いつの間に移動したのか、視界の端から青年が歩いてきた。

 案の定、無人だったテーブルに腰を下ろした青年は、サルヴァを仰いで口角をわずかに引き上げてみせた。


(……つまり、これから)


 ――この人の取引相手が、来る。

 サルヴァは唾を飲み込んだ。誰が来るのかはわからない。わからないが、話の流れと彼の反応から、当たりの可能性がかなり高い。

 青年に目を合わせると、彼の鋭い目が愉快そうに細められた。


「欲しい情報が手に入るといいな?」

「……」


 サルヴァは返事をすることなく、顔を引っ込めた。ついでに頭を下げて、いつ現れるかわからない取引相手に万が一にも顔を見られないようにする。

 近くで声が増えたのは、それから少し経ってからだ。

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