第10話①
木目調の店内に、柔らかな日差しが差し込む。
髪飾りに耳飾り、首飾りに腕飾り。指輪や足首飾り、ブローチにベルト。彫りと加工で姿を変えたさまざまな鉱物が棚や台を飾ってきらめく。
店内では、二、三人の客がそれらを手に取って眺めたり身に付ける箇所に合わせてみたりと、のんびり見て回っている。
そんな午後のゆったりとした空間に、ある音が溶け込んでいた。
コッコッコッ、と軽さと固さをもつ音は、途切れることなく鳴り響く。
店の奥、店内からも見える位置の作業台で、ニーシャは手元に集中していた。
たがねの柄を槌で叩きながら、黒く濃厚な光沢を放つ表面に刃先をすべらせる。するすると模様が生み出され華やかな姿へ変わっていき、削った先から黒に隠れていた群青が顔を出す。
マスクの上から覗く真剣なまなざしを刃先の進む道に注ぐニーシャ。
その耳に、かた、と固いものが置かれた音が届く。
「いただけるかしら」
「――はい。お待ちください」
ニーシャはマスクと作業用エプロンを外し、カウンターで待つ女性客のもとへ行く。
琥珀色の石を提げた首飾りを気に入ってくれたようだ。ニーシャは代金をもらい、小箱と紙袋で包装していく。
「あれは新作?」
ニーシャの後方へ投げられた視線に、うなずく。
「ええ。新しい石を仕入れたので、それを」
「それは楽しみねぇ」
ふふ、とほほ笑む女性にニーシャも小さく笑みを浮かべながら礼を言う。待ち遠しそうな様子に、嬉しくなる。
「いろいろと珍しい石で作ってくれるから、毎回楽しみが尽きないのよ」
「おかげさまで、私たちも皆さんの反応を想像して楽しく作っています」
「ふふ、良い職人さんね」
「ありがとうございます」
薄く破顔したニーシャは、紙袋の口を留めるためにテープに手を伸ばす。女性が思い出したように「ああ、そうそう!」と声を上げた。
「去年売っていたきれいな指輪! そのとき手に入れられなかったものだから、ずっと心残りで。夕陽が沈んだ海みたいな、きれいな石。あれはもう手に入らないの?」
喉が狭まってしまったような心地だ。気づかれないように、細く息を吸う。
手には入る。今だって在庫はある。けれど、去年のように売り場に出すのは難しい。
「……相談してみますね」
その相手が父でも母でもなく別の人間であることに、もう何度目かもわからないやるせなさを感じた。
よろしくね、と出て行く女性を見送り、そのあとも他の客の対応をしていると、しばらくして店内にはニーシャ一人となった。
戻って作業をするべきなのに、ニーシャはカウンターに立ったままぼんやりと思考に沈む。
「……誰の手に、渡るのかしら」
ソレイスという石は、ニーシャの家のものだ。しかし、それから生み出す装飾品の数々は、今はどこで誰のもとにいるのかが少しもわからない。広く渡っているのか、それとも限られた範囲にしか渡っていないのか。この現状をどうにかしたいと思っているのに、どう動けばいいのかがわからなかった。
『耐えられなくなる前に、俺を頼って』
記憶が耳の奥で再生される。
あの日、静かに「帰ろう」と言ったサルヴァにうなずいて、復路船に乗ってエメリードまで戻った。別れるまで丘での話題に触れることはなく、それでも「きれいだった」「楽しかった」と偽りのない感想をぽつり、ぽつりと言葉にした。
日常に戻っても、橙色に染まるサルヴァの姿や声、その言葉を何度も繰り返し、頭の中でなぞっていた。そのたびに胸が柔く引き絞られるように痛み、そして相反するように高鳴るのだ。
あれから、山へは行っていない。
嬉しかった。泣きたくなるほどに、嬉しさが押し寄せた。けれど、応えることはできない。してはいけない。
当然だ。ニーシャには婚約している相手がいるのだ。それが例え、利害の一致から生まれた冷めた関係だとしても、事実は変わらない。
つまり、応えたいのなら変えるしかないのだ。しかしそれよりも先にするべきことがある。ニーシャにとって何よりも優先すべきは、ソレイスだ。どう動けばいいのかわからない。わからないけれど、力はなくてもできることはある。動かないことには、進展も後退もない。
助ける、と。だから俺を呼んで、とためらう素振りもなく手を差し伸べてくれた、サルヴァ。
だからこそ。
(――自分で抜け出さなきゃ)
ニーシャはスカートのポケットにそっと手を置いた。サルヴァからもらった小花の髪飾りを、肌身離さず持っている。
ぼんやりしていた瞳は光を取り戻し、緊張と決意を滲ませていた。
その時、ニーシャの背中に声がかかった。
「ニーシャ、交代よ」
母が作業部屋からカウンター内へ入ってくる。もうそんな時間かと、思わず店先の通りを窓越しに確認する。
「約束の時間にはまだあるわよ。もうそろそろ準備した方がいいんじゃないかと思って」
「ああ……よかった。ありがとう」
些細なことでも弱みになりそうなところは見せたくないのだ。母の気遣いに素直に安堵し、礼を言った。母は、そんな娘の内心も把握しているのか、心配そうな顔つきになった。
「お断りしていいのよ、ニーシャ」
「――しないわ。大丈夫」
婚約者との予定が入るたびに、両親は心配してくれる。そしてニーシャは毎回、その優しい選択肢を大丈夫だと断っている。今日もそれは変わらない。何より今日は、ニーシャがその時間を望んでいるのだ。
自室に上がったニーシャは、着替えて髪を整え、準備を終える。
そして、巾着に入れた髪飾りをお守りのようにワンピースのポケットにしまった。
ほどなくして迎えに来たジルゲンが選んだ店は、紅茶の香りが漂う喫茶店だった。落ち着きのあるゆったりとした雰囲気をもつ店ではなく、談笑する声と時折耳を掠める食器の奏でる音で満ちていた。邪魔にはならず、むしろその音のベールによって会話が目立たなくなることを狙っているのだろう。ニーシャにとっても都合がいい。関係のないことにまで気を配れるほどの余裕はない。
カチャ、とティーカップが受け皿に戻る。その動きを、ニーシャは黙ったまま見つめた。
「商談は、少し時間がかかっている」
「……」
「難航しているということではないがな。先方の都合で話し合いの時間が短くなってしまったから、あと一、二回、場を設ける必要があるんだ」
「……そうですか」
「おかしいな。嬉しくないのか?」
薄く笑うジルゲンは、わかった上で聞いているのだろう。
ニーシャは紅茶を一口飲んだ。
「……私たちは、ソレイスを広めたいんです」
「もちろん、わかっているさ」
「……その商談が成立して、本当に私の望みは叶いますか」
「どういう意味だ?」
表情を変えないジルゲンから目をそらさずに続ける。
「一つの顧客と契約を取り交わす理由はなんですか? 店の名前も、どこの地域かも教えていただけないのは、なぜですか」
平静を装って、今まで何度もしてきた問いを口にする。
普段とは違い、本気で問い詰めようというニーシャの空気に気づいたらしい。上滑りな笑みを浮かべたジルゲンは、卓上で指を組んだ。
そして、こともなげに言った。
「契約して、今後も引き続き購入すると仰っているんだ。つまりは、収益が約束されている。ちまちまと広めるより利が濃い。そうは思わないか?」
「そのお相手は、個人では?」
同意を求める言葉には応えずに一歩踏み込む。しかし、どこか面白がっている様子の彼は、真剣に取り合うつもりがないようだった。
「秘密、と言っただろう?」
「……今のお話だと、私が望んだような
「それは君の想像力が足りていない、とも考えられるな」
反射的に、ジルゲンへ向けるまなざしに力が入る。
のらりくらりと躱し、遊ばれているようにしか思えない。例え彼の言う通り、ニーシャに先を読む力が足りていないのだとしても、彼の黙秘が不自然であることに変わりはない。
「私が今求めているのは、ソレイスを知ってもらうこと。それは了承いただけたはずです」
ジルゲンが、ふむ、とわざとらしくうなずく。
「したな。したけれど、」
ジルゲンはそこで言葉を切ると、案ずるような、はたまた同情するような。そんな表情を作り上げた。
「――仕入れても黒を出せると判断できるほどの魅力は、ないようだよ」
「……え」
「素材のソレイスは、評判がいい」
「……加工技術に問題がある。そう、仰りたいのですか」
「そうとは言っていないだろう。ただ、まあ……素材を活かしきれていない、ということはありえるよ」
「ありえない」
ジルゲンの言葉尻が消えきる前に、重ねた。
活かせていないわけがない。これは意地でもひいき目でもなく、装飾職人としての知識と経験から言えることだ。いまだ修行の身であるけれど、幼い頃から日常的に鉱物や作業を見て、教わり、学び、そして触れてきたのだ。
ソレイスの魅力を損なうような技術は持ち合わせていない。祖父から父へ、母へ、そしてニーシャへ。つながり磨き上げられている自負がある。
積み重なった時間と経験は、確証もない推測でけちを付けられるほど、軽くはないのだ。
「その方達は、なんと言っていましたか? どこがうまくないと?」
ニーシャが問うと、ジルゲンは「どうだったかな」とカップを持ち上げながら肩を軽く竦める。記憶を掘り起こしている様子はなく、ニーシャにはただ白を切っているようにしか見えなかった。
目を曇らすとわかっていても、疑念は増す一方だ。
ニーシャは踏み込む足を止めなかった。
「……本当に、聞いたのですか。ソレイスの評価を」
「疑っているのか?」
「曖昧なお答えばかりで、どう信じろと?」
「君のそういうところは可愛くないな」
「話をそらすのはやめてください」
ニーシャは、知らずに乾いていた喉に、唾を流し込む。
「……私が、直接伺います」
カチャ、とカップを置く音が、いやに耳に響く。ジルゲンの焦げ茶色の目から笑みが消えた。
「何?」
「……どの点に問題があるのか、直接聞きます。改善すべきものでも、そうではなくても。ソレイスのためになる」
ニーシャは、膝の上に置いていた手をずらして、ワンピースの布越しに『お守り』を握る。
「ジルゲンさん。場所は、どちらですか」
そうしないと、毅然とした姿勢が崩れそうだった。
しかし、ニーシャの勇気も虚しく、返ってきたのは酷薄な微笑だった。
「教えるわけがないだろう。仮に教えたとしても君は行けないよ、ニーシャ」
取り繕うのはやめたのか、ジルゲンの声がどこか高圧的な色をみせる。
「なぜ?」
ニーシャが問えば、ジルゲンは愉しげに目を細めた。
「行けばそれこそ、君の望む『ソレイスの
「……どういう意味かしら」
口調に気をつかっている余裕はなかった。
気を悪くした様子もなく、ジルゲンは歌うように言葉の節々に抑揚をつけて話す。
「俺が君に場所を教えたとして、君がそこへ赴き君の疑っていることが確信に変わったとしよう」
「……」
「そうなった場合、真実を知られた人間が何もしないと思うか?」
ジルゲンが嗤う。
「ソレイスが出回らないようにするくらい、わけないさ」
「――っ」
呼吸が震える。恐れていたことだ。踏み込むことに躊躇していた理由。それが言葉という形になって、冷たく重い鉛のように、ニーシャの心を圧迫する。
「とは言っても、俺は潔白の身だ。だから、もし君が諦めきれずに何か行動を――そう、例えば俺の父に相談……なんてことをしても、同じだよ。婚約者を疑って、顔を立てるどころか潰すのだから、当然だろう?」
口から漏れた細い息が、怯えを伴って空気を揺らす。指の感覚が鈍く、その手にあるはずの存在を感じられない。
「そんなに心配なら、入籍を早めよう」
「え……」
「結婚をすれば、俺――パトグ家がソレイスの所有権を得られる。今はまだそちらが調整をしているが、分譲とはいえ所有権が手に入るなら、受注数も今以上に増やせる。つまりは、ソレイスが人の目に触れる機会も格段に上がる、ということだ」
ニーシャの姿を映したまま細められる、焦げ茶色の双眸。まるで名案だというように笑っている。本当にソレイスを広めるつもりがあるなら、入籍せずともとっくに出来ているはずなのに。
「――望む通りだろう?」
「……、」
ちがう、と。口にできる空気ではなかった。ジルゲンの目が。纏う空気が、声の圧が。異を唱えるニーシャの心を押さえつけて、首をもたげることを許さない。
「そうだろう、ニーシャ」
「――……」
否定も、肯定も、それらを示す仕草すらできない。
彼は答えを求めていないのだろう。それ以上言葉は重ねず、紅茶を飲み、茶菓子に手を付けている。
とうとうニーシャは、ジルゲンが満足そうに話を変えるまで、俯いた顔を上げることができなかった。
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