第9話


 外で食べてくる。そう言って昼休憩に入ったサルヴァは先輩二名から一つ返事で見送られ、いつもの場所へ来ていた。慣れたように見送った二人は、まさかサルヴァが一人で背を丸めながら昼食と取っているとは思いもしていないだろう。

 サルヴァ以外に人が――ニーシャが来る気配は、ない。休憩を終えるぎりぎりまで居座ったとしても、きっと現れない。

 セリュハへ出掛けた日から六日。一度も顔を合わせていなかった。

 当然だ。


「あ~……」


 サルヴァはため息混じりに声を上げた。

 あの丘での己の発言を思い返しては、顔を覆って無意味な声を吐き出す。そんなことを繰り返しながら、そのたびに反省をしていた。


「自業自得だよなぁ……」


 はは……、と乾いた声でつぶやく。

 軽くはなさそうな事情を抱えて悩んでいる彼女に、さらなる問題を与えてしまった。彼女へ向ける想いを口にしたのは、衝動のままに動いた結果に他ならない。ならないが、「頼ってほしい」と伝えるには、その望みの根底にある想いを告げなければ薄っぺらくなりそうだったのだ。……あの時はそんなことを考えるまでもなく、口を衝いて出たのだが。

 だから、正直なところ、反省はしていても後悔はしていなかった。あの場で、あの状況で、頼れと言わない選択肢はサルヴァにはない。好きだと言葉にしようがしまいが、『守らせてほしい』という望みはどちらにせよ伝えていた。ただの友人がもつには強く深い想いだ。そうなると、サルヴァがニーシャに向ける感情をさらけ出したも同然で。だったら、はっきりとした言葉で告げた方がいい。


(……って思うようにしないと、頭抱えたまんま転げ回るしかなくなる……)


 ふぅ、と息を吐いたサルヴァは、後ろ手に手を付いて空を仰いだ。遠くの空に灰色の薄雲が見える。午後から天気が少し崩れそうだ。


(仕入れ先に全く情報を共有しない理由なんて、『白』なわけないんだよなぁ)


 しかもそれをまかり通しているという状況も異常だ。だがそんなことをしそうな同業者がエメリードにいるとは思えない。


(――いや、でもたしか最近……)


 記憶を巡らしたサルヴァは、それほど時間をかけずにある顔に思い至った。


「センダさんだ」


 ぽつりとこぼすや否や、サルヴァは腰を上げてその場を後にした。

 事務所に戻ったサルヴァは、食休みにくつろいでいるのも構わずセンダに話を切り出した。以前センダが東北の大陸のとある港町で怪しい動きをしている商船があるらしい、と話していたのを思い出したのだ。

 そしてその船はエメリードの商家のもので、センダが挙げていた名は――、


「パトグ商会、だったよな?」

「そうそう」


 パトグ商会は、サルヴァ達ディジットと一、二を争う組織だ。にわかには信じがたいが、関係ないとは言い切れない。


「なんだよ、調べるのか?」

「いや……少し気になっただけだよ」


 その言葉どおりに受け取ったのか、ふーんと軽く相づちを打つセンダに続くようにして、のんびりと、しかしわずかに硬さの混じる声が釘を打った。


「深追いはしちゃだめだよぉ」

「気を付ける」

「ほんとかなー」


 サルヴァはじと目で疑ってくるカナンに苦笑を浮かべてから、ちゃんとわかってるよ、と言葉を返したのだった。

 そうしてサルヴァは、仕事の合間に情報収集するために動き始めた。


(まずは近場からいくか)


 手始めに、身内――特に東北地域を中心に動く船の乗組員達に話を聞いて回ることにしたサルヴァは、非番でエメリードに残っている者や他の地域から帰ってきた者達に、日常会話から派生させてさり気なく尋ねていた。あまり目立ってしまうと、それこそ血のつながりがある身内に勘付かれて、問答無用で止められるに違いない。代表である父は様子見としてしばらくは見逃してくれるだろうが、兄のイザルは納得させられるほどの理由を提示しなければ、それ以上の行動に許可を出さないはずだ。

 早くして次期代表として認められるほどの手腕と自負、そして元来の理知的な判断力をもつ兄。そんな兄を尊敬しているからこそ、予想できる結果である。

 しかし逆を言えば、筋道の通る理由、事情があれば、先が見えるということだ。もともと、手にした情報が示す状況次第では、兄に相談した上で必要となる行動の許可をもらうつもりだった。だから、『つかんでいる情報が又聞きの噂だけ』、という今の状況で兄にばれることは避けたい。

 そうしてこそこそと自然を装って船員達に話を聞いていくも、ほぼ進展はなかった。

 件の町は東北の大陸にあるバルリア国の港町であり、そこに着くまでに十数日はかかる。来港する時期も重ならないのか、『見かけた』という者もいなかった。

 ――ただ、やはりひっそりと噂にはなっているようで。そのなかで一つだけ、顔見知りの人間が出所のものを見つけた。

 港から一番近い、サルヴァもよく足を運ぶパン屋の店主である。


「いらっしゃい」


 甘く香ばしい匂いと共にはきはきとした男性の声がサルヴァを出迎えた。閉店間際に来たため店内にサルヴァ以外の客はいない。


「こんばんは」

「この時間に来るのは珍しいな」

「ああ。ちょっとおじさんに聞きたいことがあってさ」

「俺にかい?」


 驚いた様子で自身を指差す店主に、サルヴァはうなずく。

 陳列棚に残るパンの中に、葡萄に似た黄色の果実が目に入った。いつだったか、カナンが買ってきてくれたものだ。


「イパロナのタルトください」

「はいよ」

 最後の一つが棚から取り出され紙に包まれていく。それを視界の端に収めながら、サルヴァは話を切り出した。


「……バルリアの港町でエメリードの船が怪しい動きしてるって噂、知ってる?」

「おお、知ってるよ」

「その船が、パトグのものってことも?」

「知ってるよ。……聞きたいことはなんとなくわかったが……」


 うーん、と唸る店主の反応は当然だ。サルヴァが耳にした内容は、『港町シーサで、パトグ商会が一つの商品のために滞在している』というものだ。そして唯一その情報を口にしていたのが、このパン屋の店主らしい。

 ディジットの人間が、同じエメリードの商売仲間であると同時に商売敵でもあるパトグの取引について聞き回るということは、いわば諜報と思われても仕方のない行動だ。実際はそのような意図がないにしても、だ。

 しかし状況を正しく把握するためには構っていられない。件の噂が、ニーシャの抱える悩みと関係があるのかどうか。そこをはっきりさせないことには、いざという時、サルヴァも動くに動けないのだ。


「事情があって、事実を確認したいんだ。悪用するつもりはないし、関係がなければ聞かなかったことにする。……こんなこと堂々と聞くもんじゃないけど……、パトグが取引しているものが何か。知っていたら教えてほしい」


 店主から視線をそらさずに、まっすぐ目を合わせる。葛藤してまたしても唸る店主に申し訳なさを覚えつつ、どうか頼むと目に力を込めた。

 悩みに悩んでいる唸り声が軽いため息に変わったのは、そのすぐ後だ。


「……しょうがない。ディジットの真摯さは知ってるしな。おまえを信じて、教えるよ」


 サルヴァは安堵の息を吐いた。


「ありがとう」


 店主が、「……といっても、大したもんじゃないが……」と前置きしてから、続けた。


「カラルアさんの品で勝負しているみたいだな」

「カラルア?」


 聞き慣れない名称に首を傾げる。


「『カラルア装飾店』だよ。広場の外れにある店だ。セルジエルさんご一家で営んでてな。きれいでお手頃価格ってんで、穴場だなんだって妻がよく利用してるんだが……カラルアさんから商品を仕入れたときだけ、シーサに数日停泊するらしい。その船に乗ってる知り合いから聞いた話だから、他の噂話より情報源はしっかりしてるぞ」


 サルヴァはうなずきながらも思考を巡らす。『セルジエル』。初めて聞く名だった。そして、『ニーシャ』としか知らないから、それが彼女の姓なのか判断ができない。

 それでも、サルヴァの頭には一つの可能性が存在感を放っていた。


「…『広場の外れ』か」


 サルヴァは低く繰り返した。


『……私は、あっち。広場から西にそれた辺り』


 脳裏にニーシャの声がよぎる。サルヴァのつぶやきを疑問ととったのか、店主が、「西にそれた辺りだったかな。あるんだよ、装飾店が」と補足するように付け足した。

 ここまで一致すれば、もはや答えが出ているようなものだ。


「まあつまりは、密かな人気に目ェ付けたんじゃねーかな。あのお坊ちゃんにしては小さいとこ狙ったなと思うが」

「坊ちゃんって?」

「パトグ家の一人息子だよ。ジルゲン・パトグ」

「……ああ……いたような気がする」


 同業者なのだから覚えていそうなものだが、なぜかあまり記憶になかった。パトグ商会の話題が出ても息子の存在が垣間見えることもない。顔をはっきりと覚えていないため、もしかしたら知らぬうちに港かどこかで見かけているかもしれないが。


「それに、あそこの娘さんはえらい美人だからなぁ。――あわよくばって打算はあり得るな……って、これは下世話か」


 おどけたように笑う店主に、サルヴァは当たり障りなく笑い返した。一瞬、眉間に皺が寄ってしまったが誤魔化せただろうか。

 ここにはいない、顔もはっきりしない男に不快感を覚えたところで、サルヴァも似たような立場なのだ。あわよくばなどとは一切思っていないが、彼女の美しさに惹かれているのは己も同じだった。


(……いや、今それは関係ない)


 サルヴァはごちゃつきそうな思考を払うように頭を振ると、カウンターに置かれた紙袋を受け取った。


「助かったよ。話してくれてありがとう」

「こんなので足しになったかい?」

「もちろん。大満足だよ」


 十分な収穫だった。サルヴァは、もう一度店主にお礼を告げてから店を出た。

 日が落ちて薄い夜へ塗り変わった空を見上げる。得たばかりの情報が、ニーシャの話につじつまを合わせるように組まれていく。だが、大した変化はなかった。

 パトグ商会が『カラルア装飾店』の商品を仕入れているらしいということ。『カラルア装飾店』はニーシャの家が営んでいる店だろうということ。パトグ家の子息が取引を進めているということ。その彼が、おそらくカラルアへ必要な情報を与えていないということ。そしてカラルアの――ニーシャの希望通りに商品が扱われていないだろう、ということ。

 ここまでの整理はついたが、やはり肝心なパトグの動きは見えてこない。パトグというよりはジルゲン、彼の動きによって、サルヴァのできることは大きく変わってくる。


「どうやって調べるか……」


 思考にふけりながら、サルヴァは石畳を進み帰路へついた。

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