第3話


 サルヴァが静かに家の中に入ると、ソーセージの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。 

 仕切りのない居間への入口から顔を覗かせれば、玄関の音に反応したのか台所に立つ母が振り向き、それから驚いたように動きを止めた。


「サルヴァ? あんたこんな早くからどこ行ってたの」


 寝汚いあんたにしては珍しい、と物珍しげに声を高くする母に、サルヴァは得意気に笑ってみせた。


「早朝の綺麗な空気を吸いにな」

「…………ちょっといやだ、今日時化じゃないわよね?」 

「晴天だよ! 失礼だな!?」


 サルヴァは台所の小窓から外を確認した母に顔を引きつらせる。


「ごめんごめん。でもあんた、何かないと早く起きれないでしょ」

「その通りなんだけど……いいだろ別に。それより俺、朝飯食べてきたから」

「食べてきたって……まだお店開いてないでしょ」

「心優しい人にもらったんだよ」

「成人間近の男が何を言ってんのよ」


 カチ、と火を止めた母はフライパンの中身を陶器の皿に盛りつけてから振り向くと、「あやしいわね」と訝しげに目を細めてサルヴァを見た。

 こういった場合の母は、表情とは裏腹に内心愉しんでいるのだ。何度も身をもって知っているサルヴァは、目をそらしそうになるのを耐えて口角を無理やり上げると、何気ない風を装い軽く笑った。友人とはいえ、会っていた人物が女の子だと知られたら、格好の的である。


「冗談だよ。ちゃんとした知り合いだって」

「へーえ」

「……なんだよ、その顔」

「なるほど、なるほど。とうとうあんたにも春が来たのねぇ」


 文字通りにやにやしながら放たれた予想外の言葉に、思わず咳き込みそうになる。


「っは、はあ? なんか勘違いしてるだろ。友達だよ、友達!」

「女の子でしょ?」

「どっちでもいいだろ」

「あやし~」


 揃えた指先で口元をわざとらしく隠す母に、サルヴァは「っあーもう!」と天を仰いだ。

 ぐるっと踵を返し、肩越しに母を振り返る。


「俺もう仕事行くから! それ、昼に食うからとっといて!」

「はーいはい、いってらっしゃい」


 からかいの色が消えた声を背中で受け止めながら、サルヴァは玄関の扉を閉じた。盛大なため息が落ちる。

 さっきまでの清々しい気分がどこかへいった。


「……行くか」


 胸中で愚痴をこぼしたサルヴァは切り替えるように背筋を伸ばすと、自宅に面した石畳の通りへ出る。

 人気の少ない道を南へ下っていき、途中でいつも顔を合わせる植木鉢に水をやる近所のお爺さんに挨拶をしつつ、濃くなる潮の香りを辿っていった。

 緩やかな坂道を道なりに進むと、突き当たりを右折したその先に本通りが現れる。幅の広い本通りを下った先では、湾が正面――南へ口を開いている。青々とした海、停泊した船、それらを臨んで港の西に寄り建つのは酒場や露店だ。客層の大半は船乗りが占めており、昼前辺りからほどよく賑わっている。

 サルヴァの仕事場は、その港の東側一帯にある。事務所、木造倉庫と奥に連なって建つ商家ごとの敷地が、港の東端まで並び広がっていた。この町――『エメリード』に居を構える商人達の中心区画である。

 薄明かりだった空は色を増やし、澄んだ青に変わっていく。その空と翠に透き通る海のまぶしさに、サルヴァは目を細めた。いくつもの帆船がゆったりと波に揺られている。柔らかい静けさの中、耳を撫でる波の音と優しい潮風に体を委ねるのが心地好い。

 海を右手に半分ほど進んだ辺りで、サルヴァはある事務所の敷地に入った。

 二階建ての建物は間口が広く、敷地の境界である石壁までは、馬車が一台通れるほどの距離がある。また、地面の一部は、荷物を台車で運びやすくするために木板で舗装されている。事務所の奥には倉庫が建っており、その間は狭く、互いに行き来できるよう橋のような渡り通路でそれぞれの二階が繋がっているのだ。これはどの敷地も同じ構造となっていて、異なる点と言えば倉庫や事務所の大きさくらいだった。

 サルヴァの仕事場である事務所は、階数こそ二階建てだが、周囲の建物と比べて間口が広い。そして倉庫は、他の商家とは、階層が一つないし二つは違い、三階建てだ。

 サルヴァは正面入口の上部に掲げられた看板を一瞥してから、事務所の中へ歩を進めた。

 鋼鉄製の金縁の看板に白抜きで彫られた屋号――『ディジット商会』。

 サルヴァの父が率いる、エメリードを代表する商家である。


「おはよう、ロッツさん」


 事務所の一階は、行商人や小売商を対象とした売り場だ。海を経由しての交易が中心ではあるが、内陸への交易も重要な収入源となっており、特に行商人組合に属する商人が訪れてくる。

 カウンター内で新聞を読んでいた人物が「あ?」と顔を上げた。白髪混じりの髪を後ろに流し、銀縁の丸い眼鏡をかけた老年の男性だ。 

 眼鏡を額にずらしてサルヴァを見とめたロッツは、「今日は大荒れか……?」とぽかんと口を開けた。

 サルヴァは大きくうなだれる。


「ロッツさんまで……」

「なんだァ坊ちゃん、珍しいな。急ぎの仕事か?」


 新聞を畳むロッツに、サルヴァは「いや」と否定した。

 まだ売り場の陳列棚には、白い布が掛かっている。


「早く起きたから、自主的に」

「ははあ、ますます珍しいな。船仕事ん時だって出勤時間のギリギリまで寝てただろうに」

「……それは全くその通りなんだけどさ」


 カウンターに寄り掛かりながら、サルヴァは、腕を組んで乾いた笑いを落とした。


(これ、今日あと何人に言われるんだ……)


 これから会う人間の顔を思い浮かべて遠い目をしていると、ロッツがにやりと笑った。


「どうだ、慣れたか?」

「さすがに一年もやればな」


 すっごい疲れるけど、とサルヴァは軽く笑う。

 仕事に加わるようになってからずっと外で動いていた人間が、ペン片手に書類とにらめっこなんて、体を動かすよりも遥かに疲れを覚える。見かねた兄がたまに荷積み作業に借り出してくれるのが、とても有り難い。息抜きは大事だ。 

 ロッツが「はっは!」と威勢のよい笑い声を上げた。


「気張れよ、坊ちゃん。事務無くして取引は成立しねぇからな。重要な裏方も熟せてこそ一人前だ」

「いてッ……わーかってるよ」


 サルヴァはバシッと叩かれた背中をさすりながら腰を上げると、ロッツと向かい合う。


「これでもカナンさんに太鼓判押されてるんだからな」


 サルヴァは先輩にあたる人物の名前を挙げて軽く胸を張った。

 カナンという人物はディジット商会に約十年在籍しており、仕事が早く頼りになる敏腕事務員だ。


「へぇ、そりゃすげえ。裏の大黒柱の評価は厳しいからな」

「……そんな物々しい呼び名、カナンさんが聞いたら怒るぞ……」

「坊ちゃんが黙ってりゃあ問題ない」


 しれっと告げるロッツに、サルヴァは「言うわけない」と首を振る。怒らせると怖いのだ。わざわざ火に飛び入る真似はしない。


「さて、そろそろ行くな」


 サルヴァがカウンターから離れれば、おう、とロッツが片手を上げる。それに同じように右手を上げたサルヴァは、カウンターから見て左側にある扉まで歩み寄りドアノブに手をかけたところで、そうだ、と足を止める。


「そろそろ〝坊ちゃん〟は止めてくれ」

「それは聞けねぇな」


 飄々と笑うロッツ。予想通りの返事だ。サルヴァはため息をついてから、笑い声を背に扉を開けて廊下へ出た。明かり窓から差し込む白い光に、宙を舞う細かな埃がちらちら視界に入る。

 廊下は一本で、突き当たりを曲がると左手に物置部屋があり、通路の先には二階へ上がる階段がある。二階に上がり奥へ進めば、木製の質素な扉が右手に現れる。

 そこが、サルヴァの仕事場である執務室だ。

 中へ入れば当然誰もおらず、静かな空間にサルヴァの形式的な挨拶の言葉がひんやりとした空気に霧散する。

 執務室の入口正面と左右の壁には、壁を半分ほど埋める高さの本棚が並び、書類や参考資料、書籍などが保管されている。室内の中央には三つの頑丈そうな木製の事務机が向かい合うように配置されており、机と机の間は人が通れる程度の十分な距離が空いている。

 サルヴァは入口と対面している自席へ近づき、机上に置かれているトレーに手を伸ばす。昨日仕事を上がるときには空だったそこに、クリップでまとめられた書類の束がいくつか入っていた。

 椅子に座ると、サルヴァは慣れた手付きで、束ごとに書類をめくっていく。書面には南方面や西方面の大陸にある街の名が記されている。会長代理として署名されている名前は、南西それぞれに出向いていた商船二艘の船主のものだ。書類の日付と出航していた船の予定を考えるに、夜中や夜明け前に帰港したのだろう。

 内容に軽く目を通しながら、地域ごと、書類の種類ごとに分けて、新たなクリップでさらにまとめていく。

 基本的に業務は三人で、東西南の三つの地域を割り振って受け持っている。その上で、行商人や小売店ごとの必要書類を作成しつつ倉庫にて在庫の管理を行い、海上での交易を支えているのだ。

 サルヴァは最後の書類をトントンと机上で揃えてクリップで留めると、席を立ち、まだ来ていない二人の机にそれぞれ担当する書類を置いた。

 くあ、とあくびが漏れる。


「……紅茶でもいれるか」


 サルヴァは部屋の奥の給湯室でやかんを火に掛けてから再び自席に戻ると、お湯が沸くまで手元の書類の確認作業を進めていった。



 ガチャ、と扉の取っ手が回る音にサルヴァは書類から顔を上げた。扉を開けて室内に入ってきた人物が、「あらぁ?」と驚いたように声を上げた。

 耳の下辺りで一つに結ばれたふわふわと癖のあるブロンドヘアーが、傾げた首にあわせて揺れる。


「サルヴァくん、早いねぇ」

「おはよ、カナンさん」


 うんおはよ~、と間延びした挨拶を返す女性――カナンは不思議そうに目を瞬かせながら薄手の外套を脱いで、入口の脇の壁掛けに掛ける。

 彼女の席は、サルヴァから向かって左側だ。


「珍しいねぇ、早起きしたの?」


 予想通りの問いに、サルヴァは手短に肯定する。

 カナンが来たということは、始業時間まで三十分を切ったのだろう。掛け時計に目をやり時刻を確認したサルヴァは、ふぅと一息吐くとペンを置いて湯気の消えたマグカップに口を付けた。

 立ったままトレーへ視線を落としたカナンが、「お?」と声を上げる。そして書類の一番上の束を手に取り数枚めくると、少し驚いた様子でサルヴァを見た。


「これ、やってくれたの?」


 そう言って向けられたのは、取引先の情報をまとめた台帳だ。


「ああ、思ったより新規でとってきたみたいで。用意する書類の量えげつないから、地味に時間取られるやつやっときました」

「わ~、ありがとうサルヴァくん。……それにしても多いねぇ。ハリダナでまだご新規とれるとは思ってなかったなぁ。組合通してないもんねぇ、これ」


 カナンが受け持つ西方地域――ハリダナ地域は、ディジット商会で最も古い商圏であり、ハリダナでは大規模な商人組合に所属するのが主流であるため、一対一で小売商や行商人と契約を交わす機会は少ない。それでもゼロではないのだが、おそらく先方から声をかけられたか、あえて個別で狙ったかのどちらかだろう。


「資料を見るに、長く手広くやってるとこばっかみたいだから、組合から完全独立してるって感じですね」

「そうだねぇ」

「カナンさん、紅茶飲む?」


 椅子に腰を下ろしたカナンから「のむー」と返ってくる。それなら自分の分も入れ直そうとサルヴァが給湯室に向かった、その時。事務室の扉が勢いよく開いた。続いて溌剌な声が室内に通る。


「おはようございまーす!」


 鳶色の短髪を逆立たせた青年が快活な笑顔で入ってきた。三人目の事務員であるセンダだ。

 サルヴァとカナンが口々に挨拶を返す中、センダは一目散に自分の机へ駆け寄りトレーを覗くと、書類の束にざっと目を通し始めた。

 来て早々仕事に手をつけるセンダがあまりに珍しく、サルヴァとカナンは目を丸くする。何があった、と声をかけようとしたその時、センダの口から「はぁあああ……」と盛大なため息が漏れ出た。落胆してるようにも聞こえる。途端にカナンの眼差しが呆れた色を滲ませたのは気のせいではないだろう。


「なに、どうしたんだ? センダさん」

「聞かなくていいよぉ、サルヴァくん」

「聞いてくれるか!?」

「ほらぁ、始まった~」

「……ごめん」


 掴みかからん勢いで振り向いたセンダに、思わずサルヴァの顔が引きつった。


「聞く、聞くから、カナンさんの紅茶入れてきていいか?」

「お、わりぃわりぃ! ついでに俺の分もよろしく!」

「りょーかい」

「いいよサルヴァくん、私自分で入れるよ逃げるのはずるいよ~」

「……本音が出てるぞ、カナンさん」


 サルヴァが給湯室で動いている間もセンダの口は止まらず、その口から流れ続ける話に適当に相づちを打つ他二人という図は、この三人にはよくあるものだ。何度目かもとうに忘れた一夜の恋の冒険――の前日譚を事細かく語られ、サルヴァとカナンの中の彼の色恋事情事典が更新されていく。


「――要するに、定時で上がる前提で今夜約束したわけか。一方的に」

「それはもう、約束じゃなくて宣言だねぇ」


 今日は難しいんじゃないかなあ、と躊躇いなく現実を口にするカナンは明らかに興味がなく、紅茶を飲みながら壁掛け時計に目をやっている。もうすぐ業務開始だ。

 朝時点での業務量の多さから、順調に進めても定時は呆気なく超えることは容易に想像できる。それは、サルヴァより経験が長いセンダにも言えることで、追い打ちのようなカナンの一言で諦めがついたようだ。「さらば、俺の春の花……」と机に突っ伏した先輩に、サルヴァは苦笑する。つい一ヶ月前は『雪の華』との別れを惜しんでいた気がする。

 そのとき、パンッ、と乾いた拍子が空気を切った。


「はーい、仕事ですよー。センダ、いつものことなんだからさっさと切り替えなさぁい」

「ひっどい!」

「いいからさっさと手を動かす」


 普段の緩さが消えたカナンにセンダのみならずサルヴァも若干顔を青くさせる。確かに暢気に和気藹々としてる場合ではない業務量だ。サルヴァとセンダは揃って背筋を伸ばした。

 それからの時間はたまの息抜きに一言二言会話をするのみで、後は書類の処理や在庫確認、飛脚船の手配に関所への証明書申請など、手分けできるものは分担しつつひたすら頭と手とついでに足を動かして仕事を捌いていった。仕事の流れは変わらないが、一昨日までの悪天候の影響で普段よりも処理量が増えているため、息が詰まりそうな忙しさだ。

 なんとか昼に一息つかないと、昼食にありつけないまま午後の忙殺時間が始まってしまう。それだけは回避したい、と午前分の追い上げに入っていたサルヴァは、力強く走らせていたペン先をシャッと払った。ころりとペンが転がる。

 意味のない母音をため息交じりに吐き出すと、蓄積された疲労がどっと顔を出した。


「終わった……つかれた……」

「はぁー……甘いもん食いてぇ」


 同じく区切りがついたのか、センダもペンを放り出して椅子の背もたれを支えに仰け反っている。喉も反って苦しそうな声色で落とされた言葉に、サルヴァはうなずいた。久しぶりの詰め込み具合に脳が糖分を欲している。

 よっと掛け声と共に体勢を戻したセンダが、向かいの机に目をやってから壁掛け時計に視線を移した。


「カナンさん時間かかってるな」


 思案げな声にサルヴァは、ああ、と思い出す。カナンが外へ出たとき、センダは倉庫にいたから行き先しか伝えていなかった。


「帰りにパン屋寄って、俺たちの分も含めて買ってくるってさ」

「お、ラッキー。じゃあもうすぐ戻ってくるか」


 そうだな、とサルヴァが返事をしてからそれほど経たずに、紙袋を片手に抱えて、カナンが帰ってきた。机の上に置いた紙袋から薄い白紙で包まれたパンが並べられる。ふわりと空気を伝ってきた香ばしく甘やかな匂いに空いた腹が大きく鳴いた。


「はあい、好きなものどうぞ~。私のおごりですよぉ」

「おおっ、カナンさん太っ腹!」

「さすがカナンさん。有りがたくいただきまっす」


 各々が好きなものを手に取り、昼休憩に入る。

サルヴァは、イモとタマネギに酸味のあるソースをかけて焼いた惣菜パンやヤギのミルクが練り込まれたふわふわのパン、固めの細長いパンにサラダを挟んだものを選び取り、味わって食べる。「うまいなー」と言うセンダに同意しつつ目を向ければ、ライ麦パンのサンドイッチに手を伸ばしているところだった。

 ふと、サルヴァは今朝の静かな時間を思い出す。


(あれは美味かったな)


 出会ったばかりの少女が作ってきてくれたライ麦パンのサンドイッチ。景色と空気と純粋な味の良さのすべてが合わさって、とても美味しかった。

 カナンが寄ってきた店は港近くにある美味しいと評判のパン屋で、そこのサンドイッチとあれば、単純に気になったが、味ごと上書きしてしまうようで勿体ない気がして、サルヴァは選ばなかった。


(ニーシャの以外食べれなくなるかもな)


 浮かんだ考えに思わず吐息で笑いをこぼしたサルヴァは、それを誤魔化すようにマグカップに口を付けて紅茶を一口飲んだ。


「そうそう、デザートも買ってきたよ~」


 カナンがもう一つ小さな紙袋から中身を取り出した。口の開いた包装から見える、葡萄のような大きさの黄色い果実。それがふんだんに乗ったタルトが、彼女の机上に並べられる。


「リトフィリアの果物なんだって。イパロナ、だったかなあ」

「へえ。リトフィリアっていうと……東北の大陸の?」


 脳内に地図を浮かべながら、サルヴァは並ぶタルトを二つ手に取り、うち一つをセンダに渡す。


「そー。豊作だったみたいで、いつもより安くなってたから思い切って仕入れたんだって~」


 カナンの話に物珍しげに相づちを打っていたセンダが、唐突に「そうだ」と口を開いた。


「リトフィリアで思い出した。何ヶ月か前にさ、行商人のおっちゃんから聞いたんだけど。リトフィリアの隣にバルリアって国あるじゃん? なぁんかそこできな臭い動きしてる船があんだってよ」

「きな臭い?」

「そ。しかもその船ってのが、この辺りの商人なら、よっぽど情報に疎くなけりゃ知ってるとこでさ。なんでも、取引相手としてそこの名前が一つも出てこないのに、定期的にある街に停泊してるらしい。それが物資補給とか寄り道にしては滞在期間が長いし不自然だから、なんか後ろ暗いことやってんじゃねぇかって、コソコソ噂されてるんだってよ」

「なるほど~? たしかに、定期的となるとあやしい気もするねえ。しかも……」


 腕を組んで言葉を切ったカナンの後を、サルヴァが繋ぐ。


「俺たちも当然知ってるところ、ってことか」


 サルヴァとカナンの眼差しにうなずいたセンダの口元に、にやりと薄笑いが浮かんだ。


「俺らにとっちゃ同志かはたまた好敵手かってな」


 その言葉の指す答えを察して、目を丸くした。


「まさか、パトグか?」

「そのまさかなんだな、これが! 俺も耳を疑ったけど、あのパトグ商会の船らしい。ま、噂だから正確性には欠けるけどな」


 センダが両肩を竦めて軽い調子で言った。それに同意するカナンに続いて頷きを返しつつ、サルヴァは頭の中を整理するために目を下げた。

 同意したように、もちろん複数人から集めたわけでもない噂話を鵜呑みにするつもりはない。しかし、何のきっかけもなく噂が上るとも思えない。火のないところに煙は立たないのだ。その火が黒か白かを予想するには不十分な情報ではあるが、商家の人間として頭の片隅に留めておくべきだろう。

 サルヴァは下げていた目を黄色い果実の生菓子に移す。それを手づかみすると、口の中いっぱいに頬張った。

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