Track 02 - Melody Fair
「ヘアカットプラン」 ①
ああ、引っ張りたい。
教室の奥、後ろから二番めの窓際の席。机に彫刻刀で『
もちろん、引っ張ったって音が鳴るわけじゃない。それはわかっているけれど。
「――痛っ……」
授業が終わった途端、いつものように俺がその三つ編みを軽くつまんで引っ張ると、前の席に坐っている三つ編みの主、
「……あの、痛いんで毎日それ、やめて……」
「なあなあ岸谷ぃ」
つまんで持ちあげ、俺は思ったことを率直に訊いてみた。「これ、けっこう重くね?」
すると岸谷は顔を真っ赤にして、ふいと前を向いてしまった。三つ編みがぶんと揺れる。
「そうやって一回束ねてから三つ編みにしてんの、ひょっとして髪が多くてまとまらないからとか? なんか重かったし髪見るからに多いし、太いし、ちょっと癖もあるよな」
太い、多い、硬いと三重苦背負ったような髪をさらに岸谷は、腰まで届きそうなほど伸ばしている。それをポニーテイルのように束ねてから三つ編みにしているのだ。たぶんだけど、相当重いし肩だってこるはずだ、と俺は思った。
「なあ、なんで短くしねえの? 毎日大変だろ、絶対」
「……わ、私の髪なんでほっといて……!」
岸谷はすっくと席を立つと鞄にあれこれ詰めこんで、慌ただしく教室を出ていった。
「……シャンプーだって、めっちゃ減ると思うけどなあ……」
ぶつぶつ独り言を云いながら、俺は中身をほとんど机の中に置いたままの軽い鞄を手に、歩き始めた。
次の日も、そのまた次の日も、眼の前には太い三つ編みがあった。
俺は授業なんかそっちのけで、その三つ編みを見つめながらノートに落書きをしていた――ショート、ミディアム、ボブ、エアリー、レイヤー、カール、ウェーブ。うーん。たぶん、あまり短くしすぎないほうがいい。中途半端にシャギーを入れるのもだめだ。下手なことをするとライオンかマントヒヒみたいになりそうだ。なるほど、長くして編んでいるのはいちおうは正解なのか……。俺はああでもないこうでもないと考え事をしながらヘアスタイルのアイデアをいくつも描き、ノートを黒く塗り潰していった。
まあこんなことをしたって、自分にはまだ切る技術も資格もないのだけれど。
「――あ」
ある日の朝。校門に続く坂道で、俺は前を行く人並みの中に見慣れた三つ編みをみつけた。一歩進むごとに三つ編みがぶらんぶらんと左右に揺れている。なんだかやっぱりがらんがらんと音が鳴っているような気がする……ああ、引っ張りたい。
岸谷はほんの少し背の高いポニテ女子と一緒に、並んで歩いていた。クラスの女子ではない。うちのクラスにあんなさらさらロングはいない。高めの位置から垂らしているその髪は真っ直ぐで、風にさらりと靡いている。その横でぶんぶん暴れている三つ編みとはえらい違いだ。俺は思った――たぶん、これビデオに撮って見せたら、二度とこのポニテ女子とは並んで歩かないだろうな、と。
やがて坂道を登りきり、一年の教室がある二号館のほうへ向かおうとすると――
「じゃあね、お姉ちゃん」
と、そんな言葉が聞こえた。あらら。俺はその声に振り向き、姉ちゃんだったのかと岸谷に憐れんだ目を向けた。
「あ……お、おはよう、沢渡くん……。な、なに?」
目が合ってしまい、無視することもできずしょうがなくかもしれないが、岸谷はそんなふうに俺に挨拶してから訊いてきた。教室以外で挨拶するのは初めてだったかもしれない。俺はなんとなく慌ててしまい、つい――
「あ、えと……、おまえと違って姉ちゃんの髪はさらさらで真っ直ぐなのな」
そんなことを云ってしまった。
云った瞬間、俺はあ、やべえと思った。こんなこと云うつもりじゃなかったのに――たぶん、これは云っちゃいけなかったのに。
案の定というか、岸谷は顔を真っ赤にし、泣きそうに顔を歪めて走り去ってしまった。
まずったなあ……。俺はその場に立ち尽くして岸谷が走っていったほうを見つめ、がしがしと頭を掻いた。
また、ある日の放課後。
俺は悪友たちと一緒に『よってき屋』へ行こうと、グラウンド沿いの歩道を歩いていた。
よってき屋は学校の裏手に昔からある、小さな店だ。
表にはアイスクリームのショーケースと一緒にガシャポンと、ソフトドリンクの自動販売機が並んでいて、中に入ると駄菓子の並べられた棚と台、そして年代物らしい鉄脚のテーブルと椅子が二セット置いてある。その向こう、カウンターで区切られた中からはじゅーじゅーといい音が聞こえていて、ソースの焦げる匂いが漂ってくる。
メニューは大判焼、たこ焼き、お好み焼、焼きそば、フランクフルト、アメリカンドッグ、フライドポテト。珍しくもなく、特別美味しいというわけでもないが、安くて居心地が良い所為か店の周りはいつも学生だらけだった。中のテーブル席は近所のお年寄りたちの指定席になっている。溜まり場というやつだ。
「おばちゃーん、たこ焼きと焼きそばとポテトのスペシャルセット、マヨ増しねー」
テイクアウトの窓口から注文し、財布から割引チケットを出すと、俺は店の外壁に背をつけて坐りこんだ。
――グラウンドではサッカー部が練習中で、フェンスにはたくさんの女子が張り付いていた。サッカー部には片倉という三年生の名フォワードがいて、将来有望な花形選手というだけでなくイケメンなので、いつもきゃーきゃーと騒がれているのだ。
いつもいつもよく飽きないよなあ……なんて思いながら歩いていた俺は、ふとフェンスの小スズメたちを見やり、そのなかに見慣れた三つ編みを発見した。
岸谷は他の小スズメたちと同様、片倉先輩がパスしただけで横にいる女子と顔を見合わせ、両手を胸の前で組んで小躍りしていた。太い三つ編みがぶんぶんと暴れている。
――けっ、ミーハーな。
俺はその光景を思いだし、ふん、と鼻を鳴らしながらスペシャルセットのトレイをを受け取ると、割り箸を咥えて片手で割った。
* * *
「――おい、おまえ。一年二組だろ、ちょっと来い」
いきなりそんなふうに呼び止められ、俺はむっとしながら振り返った。
そこにいたのはあの、サッカー部のスターだった。俺はあんたを知ってるけど、あんた俺のこと知らないだろ? おまえ呼ばわりされる覚えはないけどなあと思いつつ、先輩相手にそうも云えず、俺は促されるまま廊下の端で先輩の用件を聞いた。
「なんか俺に用すか」
「おまえさ、岸谷って子と席近いだろ?」
意外な名前が出て俺はちょっと驚いた。
「……はあ、前の席っすけど」
「悪いんだけどさ、この手紙――」
サッカー部のスターは制服のポケットから、イメージとは違うファンシーなパステルカラーの封筒を取りだした。
まさか、ラブレターか? 嘘だろーと思い、俺がまじまじと片倉先輩の顔を見ると。
「姉さんに渡してくれって、あの子に頼んでくれないか」
は!? 俺は驚きを斜め上に超えていった展開に、目を瞠った。
「はあっ!? やですよ、そんなん。自分で頼めばいいじゃないっすか」
「でかい声だすなよ。あのさ、俺もできれば直接渡したいんだよ。でも岸谷は……姉さんのほうは、いっつも仲のいい女子に囲まれててちっともチャンスがないんだよ。で、妹に渡してもらおうと思ったんだけど、もしそんなところを誰かに見られたら、あの子が苛められる危険があるんで」
「いじめ? なんで」
「俺、サッカー部なんだけどさ、いちおうファンクラブみたいのがあって……前にも一度、俺がちょっと仲良くした子が総シカト喰らったりしたんだよ。だから、この手紙にも返事はどうあれ、学校では話したりできないって書いてる」
……モテ男はモテ男なりに苦労があるんだなあと、俺は同情した。しかし、それとラブレターを言付かるかどうかは話が別だ。こいつのファンらしい岸谷に――否、ひょっとしたら恋心さえ抱いているかもしれない岸谷に、姉ちゃんへのラブレターを渡すよう頼むなんて、そんな残酷なことができるわけがない。
なのに片倉先輩は廊下を歩いてくる女子たちに気がつくと、「じゃあ頼むな!」と俺に手紙を押しつけて、逃げるように去っていってしまった。
「えーっ、嘘だろ……。勘弁してくれよ……」
俺は押しつけられた手紙を手にしたまま、呆然と立ち尽くした。
そして放課後。
気は進まなかったが、かといって焼却炉に放りこんでシカトをきめこむわけにもいかず。帰り際、俺は言付かった手紙を岸谷に渡すことにした。
「えっ……、な、なに? 手紙? って……あの、これって」
どう云えばいいのかわからないまま、黙って手渡した所為か、岸谷はそれが俺から自分への手紙だと思ったようだ。顔を真っ赤にして驚く岸谷に、俺は恥ずかしくなって焦り、つい――
「ち、
と、ぞんざいに口走ってしまった。
俺のすぐ眼の前で、真っ赤だった顔がみるみるうちに色を失っていく。
やっぱり断ればよかった、と思った。
[Track 02 - Melody Fair 「ヘアカットプラン」 ② へ続く]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます